心理学総合案内「こころの散歩道」

 

第2回 グレイスチャペル 市民公開講座 会場:アッセンブリー新潟キリスト教会(グレイスチャペル)
025-261-5522 牧師:土屋潔

97.7.13


やる気を育てる心理学

ガリ勉や働きバチではない本当のやる気を探そう

新潟青陵女子短期大学 碓井真史




賞罰のはたらき(強化理論)


人間は、報酬(賞賛、微笑みなど)と罰によって動かされる。
良いことをすれば、報酬を与える。これが基本。
全然勉強しない子どもが、10分間勉強した。その時には、10分しか勉強しないからといって罰を与えるのではなく、勉強を10分始めたことに報酬を与えることが必要。
だれだって、すぐに全部うまくできるようにはならない。

成功を求める気持ちと失敗を避けたい気持ち(達成動機)
何かをやろうとするやる気があっても、失敗を恐れる気持ちが強いと行動できない。失敗しても怪我をしない、バカにされない環境が必要。


やる気とやれる気(自己効力感)


たとえば、受験勉強へのやる気を出すためには、
毎日2時間勉強すれば、きっと入学試験に合格できるだろうと、信じることが必要。
でも、この私が毎日2時間も勉強なんかできないと思えば、やる気は出ない。
私にもやれるという気持ちが必要。


やる気の階段、(マズローの欲求段階説)


1. 飲みたい、食べたい(生理的欲求)。
2. 死んだり、ケガをしたくない(安全欲求)
3. 仲間がほしい、愛されたい(愛情・所属欲求)。
4. ほめられたい(承認欲求)
5. 自分らしく生きたい、真善美を求める、人を助ける(自己実現欲求


本当のやる気:賞罰をこえて(内発的動機づけと外発的動機づけ)


人間は人からの賞罰を求める。けれども自分の内側からのやる気がないと本当の満足感は得られない。
本当のやる気(内発的動機づけ)のもと。

・自分にもできる
  (自己有能感、コンピテンス:がんばれば環境が変わる)
・自分でやる
  (自己決定感:人にやらされるのではなく、自発的にやりたい)
・愛されている
  (他者との交流、他者からの受容感:受け入れられている)

親や先生や上司に受け入れられている、賞罰や強制でしばられていない、そして努力は報われる、そんな環境のなかで、本当のやる気は育つ。

人はみな本当のやる気を持ちたいと願っているけれど、どこかでつまずいてしまって、無気力になったり、ゆがんだやる気を持ってしまう。



やる気を育てる心理学 補足

賞罰のはたらき(強化理論)

 良い方向に少しでも動けば、すぐに報酬を与えることが必要である。「スモール・ステップ、即時フィードバック」 そのためには、今はできなくても、いつかはきっとできるはずだという信念が必要になる。

 良い行動をしていても、何も与えられないとき、人は悪いことでも行ってしまう。万引きや、暴力で、仲間から賞賛されることもある。また、親や教師から無視されることはとても辛いので、たとえ怒られる形でも、相手にされたいと願って、非行に走るときもある。

 強化理論によれば、基本的に罰はあまり使用しない方がよい。ただし、人間は動物とは違う。罰によって、その人を恨むこともあるが、罰によって、その人の真剣さや愛情すら感じとることもある。

成功を求める気持ちと失敗を避けたい気持ち(達成動機)

 高い達成動機がある時には、人は自分にちょうど良い目標を選ぶことができる。達成動機が低いときには、失敗を恐れて簡単すぎる目標を選んだり、失敗してもプライドが傷つかないような難しすぎる目標を選んでしまう。

やる気とやれる気(自己効力感)

 やればできる(行動すれば結果が得られる)という信念を結果予期という。これに加えて、自分はその行動をやれるという信念(効力予期)が必要である。高い効力予期の感情を自己効力感という。人はやれると信じれば、実際にやれるようになる。

やるきの階段、(マズローの欲求段階説)

 食べ物がないときには、人間は必死になって食べ物を求めるように、心理的な安全や愛情が満たされていないとき、人間はどんなことでもして、それを得ようとする。人から受け入れられ、愛されるためには、「良い子」を演じ続けることもある。犯罪を犯すこともある。女性が体を提供することもある。必死になって、ピアノの練習をしたり、ボランティアをしたり、残業をするかもしれない。これは、とても苦しい。

 自分が良い子でなくても、営業成績トップでなくても、それでも自分は受け入れられている、愛されているという実感を持てたとき、初めて、ゆったりとした気持ちで、友人との交際や仕事や趣味に励むことができる。

本当のやる気:賞罰をこえて(内発的動機づけと外発的動機づけ)

 短期的には、賞罰による外発的動機づけは、強力で、効果的である。しかし、長期的にみると、内発的動機づけによる行動の方が、質が高く、持続性があり、楽しく行動できる。試験のための勉強は、試験が終わればすぐに忘れてしまう。人を賞罰や強制で操ろうとすると、短期的には上手く行っても、長期的には、かえって内発的動機づけを失うこともある。 

 最も内発的動機づけが高い状態を「フロー」という。やる気がある自覚すらなくなるほど、静かに熱中している状態であり、充実感や満足感があふれている。

 ・努力が報われる、自己有能感が得られる環境のことを「応答的環境」という。努力に応じて、成果が変わる環境である。

 ・自分の行動は自分で決めたいという欲求が満たされると、自己決定感を得られる。ピアノがどんどん上手になって、自己有能感が得られても、親に言われてしかたなくやっていて、自己決定感がない場合には、内発的動機づけは高まらない。自己決定感があるときだけ、自己有能感によって内発的動機づけは高まる。いつも自己決定を求める自律性のある生き方が大切である。

 ただし、自己決定とわがままは違う。自己決定とは、自分の行動は自分で決めるという側面と、自分では決められないことを、肯定的に受け入れるという側面がある。


「神よ、私に、変えられることを変える勇気と、
変えられないことを受け入れる信仰と、
そして、その2つを見分ける知恵を、与えて下さい。」

 ・はじめは、親や教師に言われてやっているだけのことや、上司に言われてしかたなくやっていることが、次第に自発的にやるようになる。そのためには、他者からの受容感が必要である。人間は、愛されている確信がないと、安心したやる気のあふれるフローの状態にはなれない。



やる気の発達心理学

知的好奇心の芽生え


 小さな乳幼児が目をきらきら輝かせて、何かをいじったり、どこかに行こうとする。旺盛なやる気の始まりだ。このような知的好奇心による行動が出るためには、親とのしっかりした愛着関係が必要である。何かがあれば、すぐに親という安全基地へ帰れる、そう思っているときに、子どもなりの冒険ができる。

 親との愛着関係のある子どもは、ゲームに負けそうになっても、がんばることができる。親から愛されている子どもは、自分自身を信頼することができるからだ。

親と子の達成動機

 達成動機の低い親の子供は、達成動機が低くなる。適切な目標を与えたり、何かをやり遂げることを励ましたりしないからだ。しかし、最も高い達成動機を持つ親の子は、最も達成動機が低い。親の設定する目標が高すぎること、そして子どものささやかな達成を認めることができないことが原因である。

親(教師)と子の内発的動機づけ

 内発的動機づけの高い親や教師は、内発的動機づけの高い子どもを育てる。自分が自律的な人は、他者の自律性も大切にするからである。子どもの自律性を支援する態度とは、子どもの自律性を尊重する、力による強制をしない、理由付け、はげまし、共感を示すような態度である。

道徳的行動、しつけ(他律から自律へ)

 これらは、もともとは人に言われなければわからない他律的なものである。しかし、いつまでもそれでは困る。他律から自律に移ることが必要である。

 あまり、厳しすぎる罰で何かを禁じられると、人は、罰があるから自分はやらない、本当はやりたいから、見つからないようにやろうなどど思ってしまう。できるだけ、小さな罰で禁じられていると、自分はそれがいけないことだと思っているので、やらないのだ、という自律性が育ちやすい。

 子どもが何かを散らかして遊んでいる。頭ごなしに片づけを命じるよりも、「散らかすのは楽しいよね」と共感を示した後で、片づけなくてはならない理由を説明した方が、自律的に片づけるようになうる。

共感と親子の対話

 思春期、青年期の子どもが、恋人ができたと喜んでつれてきた。親の目には、あまり良くない恋人でも、まず、子どもの喜びに共感を示せるだろうか。その後で、言いたければ、大人として説教すればよい。

 未婚の娘が妊娠したと言う。本当に弱り果てている。その、娘の悲しみや戸惑いに共感する前に、世間体や自分の対面を心配してします親がいる。共感のないところに信頼関係は生まれない。

 「喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣きなさい」

親子で「対話しよう」と思っても対話はできない。「子どもの話を聞こう」と思うぐらいでちょうどよい。

職場のやる気

 やる気を低下させるものとしては、給料の額や職場の待遇がある。やる気を高めるものとしては、やりがいや、充実感がある。

やる気の高まる職場、会社(特に中小企業)

 失敗の責任をとらせすぎない、成功の手柄を上司のせいにしない。会社の中がガラス張りである。社員にいろろな決定権を持たせる。社長が夢を語れる。これが社員がやる気を持ち、伸びている会社である。

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さらに補足 

 心理学の話としては、ここまでです。でも、今日は、会場がキリスト教の教会なので、この先の話もしましょう。人は自分にとって大切な誰かから無条件で愛されることが必要です。それが、やる気と心理的健康の根元なのです。誰かに愛されたとき、自分を愛することができ、自分の人生を大切に生きることができます。

 普通、無条件の愛を与えるのは、親の役目です。あなたが親に愛されていないと感じているとしたら、それはほとんどの場合、あなたの勘違いです。親は、あなたのことを心から愛しています。

 けれども時々、愛情表現が下手な親がいます。また、まれなケースですが、親に問題がある場合もあります。そんなとき、神があなたを愛していると信じることができたら、とても大きな心の支えになります。

神は、私のことも、あなたのことも心から愛しています。

「あなたは、私(神)の目には、高価で尊い」(聖書)

だれかが、あなたをバカにしたとしても、決して自分で自分を嫌ってはいけません。あなたはとても価値のある人間なのです。人を愛し、自分を愛することができるのです。


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