人間とは何か。
心理学総合案内・こころの散歩道/エマオの道(宗教と科学・キリスト教と心理学)/人間とはなにか
宗教と哲学思想と科学(キリスト教と心理学)から考える
キリスト教思想を中心に、いろいろな思想を通し考えてみましょう。
科学的に言えば、人間は動物の一種です。人間とチンパンジーの違いは、チンパンジーとゴリラとの違いと同じように、量的な段階的な違いであり、質的な決定的な違いがあるわけではありません。しかし、だからといって、科学者が人間は裸のサルにすぎないと考えるのは、思想であって科学ではありません(「科学と宗教」参照)。もっとも、それを自覚して積極的に思想にしてしまうこともあります。
たとえば、進化論の適者生存の考えから、一つの思想として、強い国が弱い国を滅ぼすのは当然だとか、社会の中で能力の劣る者はあまり子どもを産むべきではないとかいう考えです。
しかし、一般的に私たちは動物と人間が同じだとは考えません。動物を食べたり、実験に使うことはよいが、人間を食べたり、人体実験をするのは良くないと考えるのです。また、弱者は死ねば良いとも考えません。人間は、他の動物とは違うというヒューマニズム(人間中心主義)の思想です。
このように考えれば、肉屋に人肉が並ぶことはありませんし、弱者も助けてもらえますし、私たちは安心して暮らしていけます。(人間中心主義と人道主義は違います。人道主義に反対する人はあまりいないでしょう。)このヒューマニズム思想(人間中心主義)をすすめると、人間こそがこの世で一番偉い存在だ、人間こそ宇宙の中心だということになります。人間に命令する存在などありませんし、人間の幸せだけを考えればよいのです。人間の生活のためなら、他の動物を犠牲にしても良い、森をなくしても良いという考えです。
ある時期、私たちはそのように考えていました。昔、尾瀬に観光客用の道を作ろうとしたとき、一人の青年が自然が壊されると反対したそうです。しかし、ほとんどの人に理解してもらえませんでした。道路ができる、観光客が来る、町が栄える、このどこが悪いのかと。
今は違います。環境主義的な考えが広まっています。人間も他の生き物も宇宙船地球号に住む同じ仲間です。飛行場の滑走路の延長工事をしようとしたら、そこは貴重な水鳥の生息地だった。それなら、工事は取りやめにして、飛行場全体を他の場所に移転しようというわけです。
環境を守ることはとても良いことでしょう。けれども、中には医学のための動物実験すべてに反対している人たちもいます。私も不必要な動物実験は減らすべきだと思いますが。
以前、動物の臓器を人間に移植する話がありました。その時、強く反対する人々がいました。私は、冒涜的行為だと反対しているのかと思ったのですが、そうではなく、人間の命のために他の動物の命を犠牲にするのは許せないという考えでした。人間のために動物を殺すことはいけないことなのでしょうか。
キリスト教の思想によれば、人間も他の動植物も、同じように神によって造られた者です。その意味では同じ仲間でしょう。しかし、神は人間を特別に愛しています。人間のためにこの世界を造りました。その意味では人間は特別な存在です。
ただし、だからといって人間が何をしても良いわけではありません。人間には、この世界を管理する責任が与えられています。だから、せっかくの美しい世界を台無しにしては、神からの管理責任を果たせないことになります。
環境を守りながら、それを人間のために生かしていくことが必要とされます。そして、人間は宇宙の中心ではなく、人間としてしてはいけないことも定められています。たしかに、以前は、この管理責任を誤解して、自然などどのようにしてもかまわないと思ってしまう人もいました。しかし、現在では管理責任の正しい理解が進みました。
環境破壊とキリスト教思想ある人達は、自然破壊はキリスト教思想のせいだと言います。仏教思想の方が、人間と自然との調和をはかれるという人もいます。もし、そうならば、世界でもキリスト教徒がとても少ない国である日本では、自然が破壊されなかったはずです。しかし、実際には、日本は公害先進国でした。高度成長と引き替えに、公害による自然破壊が激しく進みました。
日本で自然破壊が進んだのは、キリスト教思想や仏教思想のせいではなく、むしろそのような思想が弱く、ただ経済主義だけで行動してしまったためではないでしょうか。エコノミック・アニマルなんて呼ばれていましたからね。カタカナにするとインパクトが弱いのですが、「お金の獣(けだもの)」です。
聖書の中には、人間に対して「あなたは私(神)の目には高価で尊い」と書かれています。どのくらい高価だというと、人間であるあなたのために神のひとり子イエス・キリストを十字架にかけたほどにです。
私は自分の大学の学生さん達を大切に思っていますが、そのために自分の子どもを投げ出そうとは思いません。しかし、神はそれほどまでに人間であるあなたや、他の人たちを深く愛したのです。それほどの価値があるのです。
世の中の、どんな重罪犯人でも、どんな重い障害があって働けない人でも、神がそれほどまでに大切にしているのですから、人間がバカだとか役ただずなどとは言ってはいけないことになるのです。
他人の命や人権を大切にするのと同様に、自分自身も大切にしなければいけません。自分勝手に自殺したりするのは、神の思いに背くことになります。キリスト教国では、他人を殺すことだけではなく、自殺も宗教的な罪だとされており、これが自殺の抑止力になっているようです。
神は、あなた自身のことも、あなたの周りの人のことも愛しています。高価で尊いと言っています。だから、私たちは自分自身のことも他者のことも愛するのです。自分のこともにとのことも大切にします。自分に対しても、人に対しても、価値がないダメな人間だと思うのは、あなたの大きな誤解です。
心理学を学んでいると、人にとって、誰かに心から愛される、その人と信頼関係を持つことがとても大切なことだとわかります。様々な心の問題や社会の問題が、愛のないところ、愛を感じられないところで生まれます。
愛されていると感じられない人は、楽しむことも、がんばることも、我慢することも、誘惑に抵抗することも、人を愛することも、上手くできません。
特に親子の愛が大切です。自分と親との関係が悪い人は、自分と子どもとの関係も悪くなりがちです。ある心理学者は、もし3代続けて、すべての親子関係が改善され、愛と信頼関係が保たれるなら、今はこんなに分厚い精神病理の本も、パンフレットのように薄っぺらになってしまうだろうと言っています。
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心理学の授業でしたら、ここまでで終わりですが、今は形而上学(思想)の話をしているので、さらに先に行きましょう。不幸にして、親とも他の人とも愛と信頼関係を持てなかった人たちがいます。そんなときに、人はあなたを見捨てても、神はあなたを愛していると信じることができれば、どれだけ大きな助けになるでしょうか。
近年、心理療法の世界で注目されている考えに「インナーチャイルド」というものがあります。この内容は、また別の機会に書きたいと思いますが、その提唱者は、著書のエピローグの中で、こんなふうに述べています。
「私たちは神から来て神に返ると私は信じています。それがどんなに良くなっても(心理療法によって治療が進んでも)、私たちは心の故郷には帰っていません。〜神様、我々の心はあなたの中に横たわるまで静まりません。」
BOOKS
『キリスト教は初めてという人のための本 新装―ヨハネの福音書3章16節から (1st step series) 』
『「聖書は初めて」という人のための本 (ファーストステップシリーズ) 』
『キリスト教は信じられるか―現代人のための信仰入門 』
『これからのキリスト教―一精神科医の視点 (21世紀ブックレット) 』
『図解雑学 現代思想 (図解雑学シリーズ) 』
『図解雑学 哲学 (図解雑学シリーズ) 』
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