ネット上で、相手のことがわからないことは、マイナス面ばかりではない。
現実場面では、性別、年齢、社会的地位、経済力などで、偏見や差別にさらされることがあっても、ネット上ではそれらのものから自由になることができる。
ネット上では、自分から言わなければ、わからないのだから、女のくせにとか、若造のくせに、あるいは年よりは黙っていろといった
のない非難から自由になることができる。
ある自治体では、ひきこもりの不登校児に携帯電話を渡してメールを活用し、効果を上げている。
メールを使った教育相談で、体面のカウンセリング以上の成果を上げているケースもある。実際に会ったり、電話で話すことができない人でも、ネットならコミュニケーションが取れる。
クライエントは、カウンセラーからもらったメール、そこにある言葉を大切にして、何度も読み返し、実践しようと努力する。
ただし、カウンセラーは体面の会話以上に慎重に言葉を選ぶ必要がある。メールカウンセリングは、対面カウンセリング以上の難しさがあるだろう。
会話と違い、文字は残るからである。また、前述したように様々な意味で解釈されてしまう可能性があるからである。
私自身は、特にメールカウンセリングを行っているわけではないが、様々な相談が持ち込まれることはある。「死にたい」「これから死にます」「私には価値がない」などなど。
対面でも同じだが、こんなことを言われれば誰でも動揺する。動揺すると、自分の心を守るために「正論」をはきたくなる。しかし、ほとんどの場合、それでは効果はない。
大切なのは、相談者に「寄り添う」ことである。共感を示すことはもちろん、顔も声もわからない相手だが、できるだけ彼らの雰囲気を感じ取り、それに合わせる。
「泣くものと共に泣き、笑うものと共に笑う」(聖書)ことが大切だ。
メールは対面よりも電話よりも、ストレートに本音が出せる場合がある。
ある女性は、「たった今、夫から別居を言い渡された」とメールしてきた。まだ誰にも話していないことを、見ず知らずの私にメールしてきたのである。
この種のメールは、珍しくない。メールは、まるで耳元でささやくように、秘密を話せるときもある。
私としては、すべてのメールや掲示板での投稿に返信することは不可能だが、それでもせっかくの勇気ある告白を無駄にはしたくないと願っている。
ネットにはすばらしい可能性がある。ネットを通して、仲間ができたり、結婚したりする人もいる。
しかし、私たちはまだネットに慣れてはいない。ネットを上手に活用するために、ネットとコミュニケーションの特徴を知ろう。
良いコミュニケーションのためには、自分自身の心が守られていることが必要だ。愛されている。失望しても絶望することはない。わかる人にはわかるんだ。そんな心の余裕が必要である。
もちろん、人はみな弱く、傷つく。だれもがそうだ。心の傷がネットで癒されることもある。
ただし、自覚は必要だろう。恋の甘い罠にひっかかったり、醜い争いの嵐に巻き込まれたりしないために。
人間関係において真の意味で「勝つ」とは、相手を負かすことではなく、自分らしさを失わないことである。
ネットにおいても、どんな人間関係においても、個性を失わず、あなたの強さと優しさを失わないコミュニケーションがとれればどんない良いだろうか。
ネットコミュニケーションはあなたを育て、そして今度は、あなたが誰かを助け、守っていくのだろう。(2002.3.1)
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BOOKS
『ハートセラピー―心にしみるメールカウンセリング』
『インターネット・セラピーへの招待―心理療法の新しい世界』
『癒しのメーリングリスト―不器用なボクらの「生き直しの物語」 (こころライブラリー)』
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