こころの散歩道(心理学総合案内)/犯罪心理学/毒物事件/林真真須美被告の半生(新潟青陵大学・碓井真史)
林真須美被告は、小さな漁村で3人兄弟の末っ子として生まれます。一人娘でした。
父親は地味な人でした。母親は、外向的でまめな性格で、保険の外交員として活躍しました。
小さいころの真須美被告は、ごく普通のかわいい子どもでした。両親ともに忙しく、あまり遊んではもらえなかったかもしれませんが、経済的な不自由はなく、当時この地域としてはめずらしくピアノも買ってもらい、小遣いも十二分にもらっていました。よく家の手伝いもするよい子だったようです。子ども時代の彼女を知る人々は、「明るい子」だったと語っています。同時に、「負けず嫌い」だったとも多くの人が言っています。
思春期になった真須美被告は、やせていて、どちらかといえば、内気で恥ずかしがり屋の清純な女の子でした。
その一方で、負けず嫌いの激しい性格の一面ははむしろ強まっていきます。テストで悪い点をとったときなどは、悔しくてたまらなかったようです。いつもは笑顔でおだやかなでしたが、怒ったときには、まわりが驚くほどヒステリックになり、収まりがつかなくなりました。
高校卒業後は、大学付属の看護学校に入学します。看護学校の2年生になった19歳の時、真須美被告は後に夫となる建治被告と知りあいます。
当時彼女は、看護学校の寮に入っていましたが、しつけや規則の厳しい寮生活で、窮屈な思いをしていたようです。「こんな生活は嫌だ。自由が欲しい」と彼女は語っています。
建治被告は、シロアリ駆除会社を経営する当時35歳の会社社長。結婚もしていましたが、派手な車で真須美被告を迎えに来ては、20万円のネックレスをプレゼントしたりしています。建治はギャンブラーであり、百万単位の儲けを出すこともありました。19歳の真須美にとっては、見たことのないような大金の札束が右から左へ動きました。
真須美は、しだいに建治に魅かれていきます。自分を束縛から解放し、自由にしてくれる男性に見えたのでしょうか。
建治は妻と離婚し、1983年、真須美の卒業後すぐに真須美と結婚しました。建治にとっては、3度目の結婚でした。
しかし、二人の新生活の第一歩である結婚式から、トラブルが起こります。披露宴での行き違いから、建治は「てめえ、おれをコケにするつもりか! 恥をかかせやがって!」と、新妻の真須美を平手で殴りつけたのでした。二人の結婚生活はこうして始まりました。
2人の生活は、家賃3万円の3部屋のアパートから始まります。真須美も働きはじめます。ウエイトレス、化粧品販売。結婚の翌年1984年には、新築一戸建ての家を3500万円で購入しました。このときには、普通の住宅ローンを組んでいました。この年、長女が生まれ、85年には次女を出産しています。
さて、この後、真須美の周りでさまざまな事件事故が発生します。保険金詐欺を行い、大金を手に入れていったのです。
1995年には、園部地区にある120坪の家を7000万円で購入します。
この年の10月、真須美の母親が「急性白血病による脳出血」で死亡。67才でした。真須美は、保険金1億4000万円を手にしています。
1998年2月には、高級リゾートマンションの最上階を購入する契約をしています。同年3月 保険金目的で、知人にヒ素入りうどんを食べさせます。(殺人未遂罪)。そして、この年、1998年7月25日。カレー毒物事件が起こりました。4人を殺害、63人をヒ素中毒にしました(殺人、殺人未遂罪)。
真須美は、結婚してから変わったと言われています。大金が入った彼女は、「身に付いたぜいたくは直らないよねえ。つい、どんどん買っちゃって.....」と語っています。
しかし、次々と贅沢な買い物を行い、また真須実が掛けていた40件を越す保険料の支払いは、毎年2000万円を越えていました。そしてあの夏祭りの日、カレー鍋に毒を入れたのです。
真須美は自由を求めていました。自分の今の生活がとても不自由だと感じていたのです。漁村での生活も、看護学校での寮生活も、若い真須美にはとても不自由に思われました。
18歳の時に出会った建治は、とても自由に生きているように見えました。それは薄っぺらな自由でしかありませんでしたが、真須美にはわかりませんでした。真須美は、自由を得ようと必死にもがきます。しかし、真須美が得たのは、ぜいたくな暮しをしながらも金に追われる毎日と、鉄格子のついた小さな部屋でした。
真須美は、強い男性を求めていました。建治は、金持ちの会社経営者で、大勢の人に慕われている親分肌の男性。真須美には、理想の男性に見えました。しかし、建治はギャンブル好きが高じて、しだいに仕事をしなくなり、廃業してしまいます。真須美は夫を憎みます。
「あんなおっさん、早よ死んだらええんや」
「昨日、おやじとケンカして殴られたんや。ほんま腹立つ。あんなおやじいらん。早よ死んだらええのに」
「アタシは、カスをつかんで結婚してしもた。仕事も続けんと、競輪でスッてばっかりしくさって、早よ死にさらせ」
収入のなくなった建治と家族を支えたのは、真須美の保険に関する知識と、保険金詐欺で得た死臭の匂いのする金でした。
自由を与えてくれるはずの建治が、かえって真須美の自由を奪いました。真須美は、新たな自由への道を探っていたようです。
「(建治が)死ねば、保険金もぎょうさん入ってくるし、そしたら子どもと一緒に自由気ままに暮らすんや」
逮捕の朝、連行される真須美の背に、「ママー!」という子どもの叫び声が響きました。
さらに詳しい内容は、
「少女はなぜ逃げなかったか」:続出する特異犯罪の心理学 小学館文庫
(和歌山カレー毒物事件も扱っています)
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