心理学総合案内「こころの散歩道」/マインドコントロール研究所 / オウム / 法的責任
死者12人を出した地下鉄サリン事件の実行犯横山被告に対し、
東京地裁は死刑判決を出しました。9.30
彼がサリンをまいた車両では死者は出ていないが、
事件全体に責任があるとしました。
そして、
「マインドコントロール下の能力減退は認められない」
として死刑判決を出しています。
オウム問題に詳しいジャーナリストの江川紹子は、
「判決は、マインドコントロールの影響について、冷静で目的に添った行動をしたとの理由で否定的にとらえたが、理解不足だ。マインドコントロールの下でも合理的な行動をする」
と述べています。(新潟日報9.30夕刊より)
asahi.comは、オウム事件に関する詳細でわかりやすい情報を提供しています。(特集:オウム真理教問題)
その中で、マインドコントロールされた人を次のように説明しています。
「マインドコントロールされた人間は、肉体的にも精神的にも自律性や自由意志を奪われ、他人に支配され、魂のない抜け殻のようになってしまい、論理的な善悪の判断をする能力を失い、教祖のいかなる破壊的な気まぐれにも服従するようになる。」
たしかにその通りだと思います。しかし、これをまったく訳のわからない狂乱状態や文字通りのロボットのような状態と理解してはいけません。
マインドコントロールされている人でも、その人の知識や経験に基づいて、冷静に論理的に法律論議もできるでしょうし、医学の話をしたり、手術をするることもできるでしょう。
マインドコントロールされて布教して歩いている人々の多くは、礼儀正しく、にこやかです。一見すると、ごく普通の、心身ともに健康な人々です。これがマインドコントロールの怖さとも言えます。
マインドコントロールは、外見からはなかなか判断できないのです。
(ただし、この冷静さやにこやかさも、彼らの信じる教祖や組織への批判的なはなしになると、とたんに変わってしまうことはありますが。)
私たちは、責任能力のないものには法的責任を追及しないというルールを作ってきました。
(江戸時代でも、「乱心でござる」ということになると、通常の罰は免れますし、どんなに小さな子供でも大人同様に刑罰を加える国などないわけです。)
善悪の判断ができ、自分の意志で、自分の行動をコントロールできる人間が、それでも違法なことをしたときにはじめて罰するわけです。
心の病などで、「心神喪失」となれば罰せられませんし、「心神耗弱(こうじゃく)」となれば罰は軽くなります。
*
今回の事件では、弁護側はマインドコントロールによる心神喪失、心神耗弱を主張しました。
私は、マインドコントロール恐ろしい力を理解したいと思っています。マインドコントロールによる犯罪者は、加害者であると同時に被害者であると考えています。
マインドコントロールの研究者の中には、弁護側の証人になった人もいます。
私も、弁護側につきたい思いはあります。しかし、マインドコントロールに恐ろしい力があると言っても、現在の法や判例からすると、やはり法的責任を問わざるをえないと思えるのです。
多くの犯罪者、特に犯罪を繰り返す犯罪者は、不幸な過去を背負っています。深い心の傷を負っています。「性格障害」と診断されるケースも多くあります。脳に小さな傷があるケースもあります。
だから私は、彼らを簡単に責めたり、バカにしたりする気にはなれないのです。心理学的に言えば、かれらはその犯罪行為を犯さずにはいられなかったとも言える場合もあります。刑罰だけではなく、治療と援助こそが、彼らのためにも社会のためにも必要だと感じています。
しかし、現在の裁判では性格障害だからといって無罪になることはありません。心神喪失とは見なされないのです。
だとすれば、マインドコントロールを受けた場合も、心神喪失、心神耗弱と考えるのは、とても難しいのではないでしょうか。
また、精神障害によって自分や人を傷つける恐れがある場合には、法的に強制入院させることで当人や周囲の人間を守ることができますが、マインドコントロールには、この法律は適用されないでしょう。
(この入院は、刑罰ではなく、「保護」です。)
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