心理学総合案内・こころの散歩道/犯罪心理学/神戸小学生殺害事件/犯罪心理/1
神戸小学生殺害事件の経過
1997年5月27日、神戸市須磨区内、市立友が丘中学校正門前で、3日前から行方不明だった土師淳君(11)の頭部を発見。酒鬼薔薇聖斗の名前で、「さあ、ゲームの始まりです」などと無差別殺人を予告。6月4日には、さらに長文の犯行声明が送りつけられ、地元の不安と緊張は高まった。
6月28日午後7時5分、淳君殺害容疑で、中学3年生の男子(14)を逮捕。犯行を自供。6月30日の新聞によると、小学生の女児2人が死傷した連続通り魔事件の犯行を認める供述も行っており、捜査本部はいずれも少年による単独犯と断定した。(6.30)
このページの目的
被害者のことを考えても、加害者のことを考えても、こころがとても痛みます。このページは、興味本位に事件のことをかき立てたり、まだよくわかりもしないのに、少年の心の中をのぞきこもうとするものでもありません。
「こころのニュースセンター」の目的は、様々な事件をきっかけに、人の心について考えることです。そして、このような不幸な事件が少しでも減ることを願っています。今回は、この事件をもとに犯罪心理学について考えてみたいと思います。ただ、やはりこの事件と事件報道に関することも無視するわけにはいきません。
新聞報道(見出し)
まず、事件を伝える新聞の1面と社会面の見出しを見てみましょう。
(全国紙は12版を見ました。)
逮捕翌日6月29日(日)の朝刊
朝日新聞
淳君事件中3逮捕 , 3つ年上......凶行なぜ、 , 淳君の笑顔戻らず、 , 信じられない、近所の人絶句
読売新聞
淳君殺害容疑中3少年逮捕 , 近所の顔見知り , 「まさか......」中3の凶行 , 「衝撃解決」列島走る , 「時代の病理」色濃く反映 , 安堵・戸惑い , 社会への恨み、なぜ
毎日新聞
中3男子を逮捕 現場近くに居住 , 「近所の子に」衝撃 , 惨殺の背景に何が
新潟日報(地元紙なので)
14才の中3少年逮捕 , 神戸小6殺害 35日ぶり解決 , 顔見知りと供述 , 自宅からナイフ , ネコ惨殺から浮上 , まさか中学生が 意外な結末 県民も衝撃 , ゲーム感覚が恐い 仮想と現実の境 希薄に
6月30日(月)朝刊
朝日新聞
連続通り魔事件も供述 , 淳君殺害、教師の失跡引き金か , 「学校来るなといわれた」 , 大人と子ども、二つの姿 , 「透明な存在」素顔は...... , あきらめ、没個性 , 過剰な順応先鋭行動 , 周囲は「明るくまじめ」・同級生は「激しい気性」 , ネコ虐待、逮捕の端緒
読売新聞
淳君頭部一時自宅へ , 「人の首切りたかった」 , 少年はなぜ変わった , 中学で無口、暴力増幅
毎日新聞
学校への恨み動機か , 何が14才を変えたのか , 命の重みどこへ , 校長「言葉にならぬ」, 住民の心、なお晴れず , インターネットに容疑者実名、アクセス殺到、別人の住所、電話番号まで
産経新聞
「普通」と「凶暴」同居 , 決め手は「動物虐待」
新潟日報
連続通り魔も自供 , 自宅に猟奇ビデオ , 友が丘中 校風穏和「羊の学校」 , 根っこに受験教育への不満
新聞の見出しを見ると、まず逮捕されたのが中学3年、14才の少年だったことへの驚きが伝わってきます。私もショックでした。さらに、近所の顔見知りの犯行であったことが大きくでています。そして、学校や教育の問題が語られているようです。容疑者逮捕を事件解決だと単純には喜べない戸惑いを感じます。しかし、教育制度や学校や教師の問題が何であろうと、普通の人は、遺体の首を切り取り、学校の門に置くなどということはできません。たとえば、私でも誰でも、激しい怒りや恨みのために人を殺してしまうことが絶対にないとは言えません。すくなくとも、ある状況によってはそのような犯人の気持ちに共感できる部分はあるでしょう。
さらに、犯行を隠したい一心で、遺体をバラバラにすることもあるかもしれません。しかし、普通はネコの足を切り取ることだって気持ちが悪くてできないのですから、人の遺体を切るとしたら、必死の思いで眼を堅くつぶって気持ち悪くなるのを我慢しながら、行うでしょう。そして、その後には激しい良心の呵責を感じるはずです。
しかし、この少年は、あえて頭部を切り取っています。新聞報道によれば、「人間の首を切りたかった」と供述しています。犯行声明にも、殺人自体を楽しんでいるような記述があります。このような行動や感情は、私たちには共感できません。つまりこの少年の病理性を強く感じずにはいられません。
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人を殺すことが何かの手段ではなく、殺すこと自体が目的であり、殺すことに快感を感じるような殺人を、快楽殺人と呼んでいます。数年前にベストセラーになった「FBI心理分析官」によると、アメリカでの連続殺人、大量殺人のほとんどは快楽殺人であり、人を殺すこと、あるいは人が苦しむこと自体に性的快感を感じる犯人達による犯行だとされています。
犯人の多くは、他の犯罪と異なり、白人で中流の人たちです。日本では、このような快楽殺人は多発していません。(アメリカで流行るものは、じきに日本でも流行るという、いやな予想もありますが。)今回の容疑者が少年だったことが私たちを驚かせたのですが、上記の本から少年時代に関連する部分を拾ってみましょう。ただし、今回の少年のことはまだほとんど分かっていませんので、これはあくまでも一般論です。
連続殺人犯の多くは、決して貧しくない家庭で育っています。知能も、平均以下の人よりも平均以上の人の方が多いほどです。少なくとも外見的には、普通の家庭の普通の子ども達でした。しかし、家庭の内側には様々な問題があり、その中で子ども達は傷つき、異常性が育っていったのです。
子ども達の多くは、家庭の中で無視されたり、精神的、肉体的、性的など、いろいろな形での虐待を受けています。それでも、他の家族が助けてくれたり、思春期以後に何かの助けがあればよかったのですが、彼らにはそのような助け船は出ず、むしろもっと心を傷つけるような出来事が続くのです。
こうして彼らは、誰とも温かい人間関係を持つことができず、強い孤独感の中で、異常な空想、異常な思考パターンを続けていきます。そして、次第に空想を現実化していき、動物や家族、級友への問題行動が生まれ、ついに、何かのきっかけがあったときに、自らの空想によって殺人へと駆り立てられるのです。いったん犯罪を犯してしまうと、もう後戻りはできません。彼らはおびえると同時に快い興奮も感じ、連続殺人者になっていくのです。
様々なケースを見ると、連続殺人者として逮捕されるのは20代か30代でも、8才から12才のころから異常な行動が始まり、10代半ばから犯罪行為に走る例も珍しくありません。このころに窃盗、レイプなどで逮捕されることもあります。ある犯人の最初の殺人は、15才の時の祖父母殺しでした。ある犯人は、13才の時に自転車に乗りながら、女の子の背中を鉛筆で突き刺し、これが見逃されたために、さらに大胆な犯行へと走っていきました。もし、このとき逮捕され、適切な心理的援助が与えられていれば、連続殺人者にはならなかったでしょう。
ある犯人は、「学校を抹殺することを夢見ていたんだ」と語っています。心の問題を抱えて苦しむ彼らを、学校も助けてくれなかったのです。そして、また別の犯人は、「また誰かを殺さないうちに私をつかまえてくれ」と、願っていました。
今回の事件も、もしもっと早く誰かが助けてくれるか、あるいは逮捕されていれば、こんなことにはならなかったでしょう。深い悲しみを感じます。しかしそれでも、犯行声明以後、新たな犠牲者を出す前に逮捕できたのは、誰にとっても不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。
小田晋先生、福島章先生のご意見、
付け足しに私の意見
お二人とも、有名な犯罪心理に関する専門家です。
小田先生が新聞紙上で述べられていることによると、この事件を管理教育や受験制度の話に持っていくのは誤りだとしています。そうではなくて、彼の異常な欲動という病理性に目を向けなくてはならないと述べています。(6月30日産経新聞朝刊)
(私は犯罪心理学や臨床心理学が専門ではないので、今回の事件が快楽殺人だとしたら、通り魔事件の被害者は女児だが、次の被害者が男児なのはなぜだろうと思っていました。小田先生によると、未成年の場合は性衝動と破壊衝動が未分化のために、対象が同性に向かうこともあるそうです。)
福島先生は、テレビ番組の中で、この事件には少年の病理性の問題と社会や教育の問題の両側面があるだろうと述べています。
私は、やはり第一には少年の病理性を考えなくてはならないと思いますが、少年をさらに追いつめたり、事件のきっかけとしての、教育や社会の問題はあるかもしれません。また、そうでないとしても、この事件の結果、様々な分野で良い改革が行われることこそが、事件の本当の解決だと思っています。
(今日は、ここまでで時間切れ。さらに、報道されていることへの心理学的解説、一般的な犯罪心理学や少年犯罪の問題について、そして今後の対応法方については、またすぐに書きます。6/30.10:30p.m.)
少し追加 7.2
このような事件の後はいつもそうですが、少年法の改正や教育改革などの話題が出ています。今回はなんだか本当に動き出しそうで、少し恐い気がします。私は、今回の事件が犯人逮捕で終わることなく、社会全体がよりよい方向に行くことを願っています。それが、被害者の死を少しでもムダにしないことになると思います。しかし、このようなマスコミが大騒ぎする中でヒステリックな状態のまま改革への道が進められることには賛成できません。
たしかに、現在の教育制度にも問題はあるでしょうし、少年法について論議してはいけないとも思いません。しかし、以前から自分の思う方向への改革を狙っている人たちが、今回の事件を利用しようとしているような気がします。様々な制度に関しては、この事件をきっかけに、みんなで時間をかけて論議を進めることこそが必要だと思います。
昨日、NHKテレビに出演していた福島章先生が、「私たちは、今回の事件から学ばなくてはならないが、学びすぎてはいけない」とおっしゃっていました。1つの事件のために多くの人たちが不幸になってしまうような制度の改悪をしてはならないのです。
今回の事件が、もし快楽殺人の一種ならば、刑罰を重くしても犯罪の抑止力にはなりません。もっと違う形で、犠牲者が出ないようにする工夫が必要でしょうし、刑罰という形ではない別の方法で、加害者が出ないような努力が必要でしょう。(7.2)
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