心理学総合案内・こころの散歩道/心のニュースセンター/犯罪/3.非行
少年法は改正すべきか
はじめに
神戸の小学生殺害事件は、加害者の少年の深い病理性が第一の問題であり、一般的な非行と同じようには考えられません。しかし、彼は少年らしい心を全く持たない怪物なのではありません。
おばあちゃんが大好きで、ペットのイヌの死を悲しみ、教師からかけられた濡れ衣に必死になって反論しています。そして、学校に行かなくなった後、友人にこんなふうに言っています。
「みんなと一緒のことがしたい。学校へ行きたい。」さて、少年の供述どおり、池の中から凶器が見つかり、容疑が固まる中で、少年法改正の声が高まっています。前のページでは、快楽殺人といった病理的な面を見てきましたが、ここではさらに、少年の心や少年法に関する心理学的な理解を深めるために、「非行の心理」について考えたいと思います。そして、少年法改正について考えていきましょう。
非行を治す、治療するとは、処罰や説教によって行動を改めさせることではない。
彼らは自分の逸脱行動の動機を正しく語ってくれるとは限らない。
彼らに対して許容的な態度をとれば、素直な感情を表出するだろう。そのうえで、なぜ、そのようなことをしたのかを話し合わなくてはならない。 突飛な行動の背後にも、合理的な理由が存在する。
〈ケース〉授業中に教室で突然傘をさしたA子
A子は先生の関心をひきたくて、このようにした。
A子のような非行者は、周囲に親切にしてもらいたいという気持ちでいっぱいである。だが、幼少期に親から拒絶され、愛を求めてもいつも裏切られてきたために、依存の必要な場合でも、かたくなに依存を拒否するようになる。 一般の人なら、愛してほしい、甘えたいという場合には、そのような行動をとる。周りの人もそれに応えることができる。しかし、非行者は、表面的にはそのような行動をとらない。
行動化性格 自分の欲求を言語ではなく行動で表わしてしまう。
神経症者とはちがい、不安が低く、外罰的。
人格構造 なぜ、非行を犯すのか。
超自我が弱いのか。→道徳的説教をしても非行者はよくならない。
本能衝動が強すぎるのか。→本能的欲望は、人間活動のエネルギーであり、善悪の評価はできない。
自我機能の未成熟。→非行の原因は、自我機能の面からいうと、自我によって衝動のコントロールが困難であることによる。
母性的剥奪 :母性的な世話(愛情)が与えられないこと。
母親自身の、口唇期(乳児期)の依存欲求が満たされていないという葛藤がある。そのために、子供を愛することができず、また適切な制限を科すことができない。
愛情や承認という土台がなければ、人はみずからの衝動をコントロールしたり訓練する機会を失う。非行者は、親からの愛を充分に受けなかったために、何才になっても、親の愛を求めてやまない。だが、表面的には求めていないふりをする。
しかし、逆境に育った人がみな非行者になるわけではない。
溺愛による非行
溺愛→自己規制のできない子→思春期になり自分自身の自由奔放さに困惑→親は大人になりかけた子に、突然、規制や処罰で臨む→親子関係の悪化→非行
父なき社会の問題点 厳しい父親の躾を受けなかった子は、強い自我ができない。 もし、親が、自己防衛のため子供を叱責しないなら、それは、子供が求めている「愛」を拒否していることになる。子供は、無意識に外的コント ロールを求めて、処罰を受けるような行為をあえて繰り返すこともある。
家庭内暴力の問題
親に愛情もあり、躾もし、おとなしくそれに従っていた柔順な模範生が、突 然、暴君になる。 これは、一つの障壁を飛び越えることに失敗した日から始まる。強い子ならば、それに対処することができるが、弱い子は、パニックを起す。そして、そのような自分を作り上げた親をうらみ、反逆する。
道徳的であることが犯罪の原因?
心理臨床家は、道徳的でありすぎること、つまり超自我の肥大を危険な兆候とみている。
〈ケース〉今まで母親以外の女性と一対一で話したこともなかった少年が、レイプ事件を起した。
彼の模範生としての自己(超自我)が強化されればされるほど、真実の自己 (欲望をもった本能衝動)は抑えつけられた。しかし、ながく自己を偽っては生きていけなかった。彼は、自分みずから(超自我)に反抗するために、あえてハレンチな性犯罪を試みた。
社会規範の許容する方法によって、自己の本能衝動を満足させることが必要である。
親子関係と自己破壊
人は、口唇依存→愛情依存(親の愛情を期待し、親のために行動する)→自己依存(自分自身にとってしなければならない行動だからする)の段階を経る。 非行者は、身体的には大人でも、精神的には、絶望的に愛情依存の段階に留まっている。そのうえ、態度の点では、誰にも頼らないという態度をとりつづけるという矛盾をもっている。
性非行
〈ケース〉おとなしい良い子だったA子(高一)は、親にたたかれたことを きっかけに家出をした。40日めに帰ってきたA子は、髪を赤く染め、妊娠していた。
思春期の少女の性的な誤ちのきっかけは、このような場合が多い。
つまり、子供は、親にとって大切な存在でありつづけなければならない。そこで、親から拒否されると、「この大事な私がいらないのね、私がどうなったって後悔しないのね」というい心理が働く。人は、他人から駄目にされる前に、自分で自分を駄目にする。そこで、自分を性的に汚してしまうのである(性的に厳しい価値感をもつ家庭である場合のほうが多い)。小中学生の自殺
彼らは、極めて道徳的で、要求水準が高い。そこで、失敗をした自分を許せない。また、親も、失敗した自分を拒否するにちがいないと思う(事実、自殺少年の親の要求水準は高い)。親への復讐として自殺する。だが、親が「勉強する子は好き」という条件的な愛しか示さないのではなく、無条件的、肯定的な愛情をもった親ならば、復讐されることはない。非行者の自己像
一般に人は自分の親と同一化し、自己像を作る。しかし、道徳的に厳しすぎる親 は、子に過大な期待をする。子は努力をするが、これ以上不可能という段階 で、すべてを放棄する。親はさらに厳しく、時には、愛を与えないという形で処罰する。すると、子は、親の期待する人間像(道徳的で立派な人)とは正反対の人間をモデルにして成長し、親に復讐する(否定的同一性)。
自己像と親の評価 人は、周囲の重要な人物の自分に対する評価をとり入れて、自己像を作る。親や教師によって、「不良少年」と評価された子は、そのような自己規定をし、それにしたがった行動をとる。
基本的人間観
人間は、無限に成長発展する意欲と可能性を秘めた存在である。治療者は、道徳的説教や助言を繰り返すのではなく、彼の可能性を阻止する諸条件にまず着目しそれを除去して、彼の自己実現を援助しなくてはならない。症状と原因
非行は良いことである 非行とは症状であり、病理的な家族関係や人格形成の歪を知らせる危険信号である。原因となっている問題が未解決であれば、非行は再度出現するに違いない。非行はわれわれに、問題の所在を教えてくれるものであり、有益であり、よいことである。援助者としての三つの役割
初期:親としての役割:本人を受容しつづけ る。ただし、治療者自身が、その行動化のパターンの中に巻き込まれないようにする。
中期:教育者としての役割:クライエントは、初期の、よそ行きの態度を捨て、強い敵意、依存、自暴自棄の感情を露呈してくる。しかし、治療者が、平静を保ち、クライエントの感情を受容すれば、そこではじめて治療者を信頼するようになり、情緒的に深いつながりができてくる。そのうえで、クライエントがある種の行動を繰り返す傾向があること、その行動が困難な結果をもたらしていることを自覚させる。
後期:治療者としての役割
一般的、概略的知識がなければ、非行者を扱うことは冒険であり、相手の人権侵害(訓練も受けずに尊い人間を実験材料にする。それによって、必要な治療を受ける機会を逃して手遅れにさせる、という意味で)になる。だが、それと同時に、面接とは、唯一、一回性のものであり、型通りにはいかない。
導入期の問題
治療関係 治療関係とは、一方が改悛を要求し、他方が反省し、謝罪する、という関係ではない。 クライエントは未熟な愛情依存の状態にあるので、面接者の愛情をあてにしつつ、かつ、面接者を拒否する(アンビバレントな感 情)。しかし、面接者は自分を自律させるため援助しようとしている人だという現実的な認識に到達し、また、自分自身をも、ありのままにみつめるようになる。このようにしてはじめて、治療関係が成立する。
行動化
自己の感情や欲求不満を行動によって示すこと。たとえば、クライエントが面接に不満を感じていたとする。しかし、それを言語化せずに、欠席したり、遅刻して、面接者をイライラさせる。
行動化の扱い方かた
いきなり行動化を指摘したならば、クライエントとの関係は中断してしまう。まず、許容的に、真実が述べられやすいように話しかける。クライエントが 語ってくれば、真実を打ち明けてくれた勇気を賞賛し、そして、その理由を話し合う。
説得することが大切なのではない。欲求不満をすぐに行動によって発散しようとする傾向があることを自覚させる。そして、自覚したことを言語化させることである。治療技法と治療過程
現実を、より客観的に認識できるように援助する。自己の行動と動機との関連を歪曲することなく、直視するように援助する。治療とは、事実に直面させること、つまり自己理解にある。
クライエントの置かれている特異な状況の全体が、クライエントの行動の原因になっている。環境を変えることが必要。
非行少年は、たいてい二重人格的だといわれる。彼らは、一見、極めておとなしい。彼らは、他人の前では仮面をかぶり、自己以外の人間になろうとす る。非行者に自然さが欠けているのは、このためである。
行動化を起しやすい性格障害者や非行者は、対人関係が極めて悪い。彼らにとっては、現実に悪意に満ちた社会に住んでいるのである。
非行児の親とその態度変容
非行は、愛情のある親(特に母親)によって育てられなかったことによる。親は、最初はほとんど、その「共犯性」に気づくことはない。 幼少期にある非行児の治療では、親の治療が主になる。だが、思春期以降になると、子供は、徐々に親から独立するので、そのような愛のない親を、時間をかけて、改善するよりも、子を親から独立させ、自己の境遇を受容させることを主眼にする。
主体性の確立 面接においては、ワーカーは冷静な科学者であると同時に、母のような温かい心も必要である。クライエントは理解され、承認されることはあっても、責められる理由はない。人は、無条件的な愛や承認を得た時、主体的になれる。
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少年犯罪の心理(少年事件、非行の犯罪心理学)
少年法は改正すべきか
私は法律のことはわかりませんが、ここでは、心理学的な側面から考えていきます。
大人の犯罪と少年非行
大人の犯罪の多くは、自分の利益のために行い、もちろん犯行がばれないように行います。ところが、少年非行の多くは違います。十分なお金やものがある環境で万引きをしたり、わざわざ学校の中でタバコを吸ったり、みんなの見ている前でガラスを割ったりします。まるで捕まるためにしているようです。心理学的には、非行は広い意味での心の病気であり、必要なのは刑罰ではなく、治療的な教育や援助です。
女子高生の「援助交際」についても、「保護」ではなく、もっと厳しい対応をしていく動きがあります。しかし、ある女子高生は、最初の売春の時に、「生まれて初めて人にほめてもらった」と語っています。彼女は、その後ずるずると売春を続けました。少女達が、親からも得られなかった愛を獲得するために自分の体を提供することは、珍しい例ではありません。このような少女達にただ厳罰で臨めばよいのでしょうか。
私は、児童相談所を訪れたときに、その一時保護所で、いろいろな子どもに会ったことがあります。記録を見ると、びっくりするような悪いことをしてきた子ども達が、しかし一時保護所では、屈託のない明るい表情で卓球をしたり、おしゃべりをしていました。恐ろしい非行少年少女の側面と、素直な子供らしい側面と、どちらも彼ら自身なのです。
刑罰による犯罪抑止
このような非行少年達は、大人のような損得勘定で犯罪を犯しているわけではないので、刑罰を重くしても、非行は減らないと思います。また、快楽殺人のような異常な犯罪も、死刑がないから行っているわけではありません。
もちろん、規制が何もいらないわけではありません。一部の人たちが、したり顔で、「援助交際」や様々な逸脱行動を賞賛するかのような態度をとるのは、良いこととは思えません。人は時には、叱られることで愛情を感じることもあります。また、誰かが叱ってくれないこと、止めてくれないことに腹を立てて、非行を繰り返す少年達もいます。けれども、ただ力で押さえつけるだけでは、問題解決にならないのです。
諸外国の例
ある人達は、アメリカの例などを出して、日本の少年法を批判しますが、国によって事情は違うのです。多くの人が銃を持ち、ある学校では、玄関に金属探知器があるような事情の国と、日本を同じには考えられません。
また、欧米では、異常な快楽殺人が増えていることもあるでしょう。ただの殺人以上に、きわめて残虐な殺人事件を見たとき、私たちが犯人を憎み、厳罰を求めるのは、自然なことです。もちろん、私も感情的には共感できます。
それでもやはり改正か
すべての少年犯罪が、これまで見てきたような非行の理論によって説明できるのか。正直言ってわかりません。ただ、一見すると極悪非道の憎むべき少年犯でも、その裏に深く傷つき愛を切望している姿があります。
1989年におきた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。女子高生を誘拐し、41日間にわたって監禁し、何人もの少年達が暴行を加え続けた後で、殺害、死体を遺棄しました。今、こうして書いていても、胸が詰まる思いのする事件です。
しかし、深く傷つきながらゆがんだ心を育てていった少年達の生い立ちを見るとき、私達の社会は、ただ少年達を責めるだけでは済まないのだと強く感じます。
参考文献「かげろうの家:女子高生監禁殺人事件」 横川和夫・保坂渉 著 共同通信社(これはすぐれたルポルタージュです。)しかし、それでも、大人の犯罪と同じ心理で行われる少年犯罪もあるかもしれません。けれども、一部の少年犯罪がそうだからと言って、単純に刑罰を重くしてしまえば、本当は保護と援助が必要な少年達の再生のチャンスを奪うことになるのです。
今回の事件のような快楽殺人は、また別のことを考えなくてはなりません。このような深い病理は、2、3年のあいだ少年院にいたとしても、どれほど改善されるか疑問です。少年自身のためにも、新たな犠牲者を出さないためにも、何かが必要です。
ただ刑罰を重くする改悪ではなく、今後増えるかもしれない快楽殺人のような病理性の高い犯罪にも適応できるような法律を考える必要はあるでしょう。
(すいません、法律のことはさっぱりわからないので、どんな案を出したらよいのかもわかりません。少年の心にも法律にも詳しい方のご提案と、時間をかけた論議とを、一市民として期待するばかりです。なんだか無責任な言い方になってしまって、すいません。でも、ひとりで全てはできませんから、ネット上でそのようなページがあればここにリンクを張りたいのですが。)
キーワード:少年犯罪の心理,非行の心理,家庭裁判所調査官,少年法改正問題,非行少年,非行少女,不良,少年犯罪,犯罪少年,
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