こころの散歩道(心理学総合案内)/ 犯罪心理学 / 環境
「兄に迷惑かけると犯行ためらう」
9.14の報道によると、容疑者の男性は、凶器を用意したものの、「兄に迷惑かける」と犯行ためらい、ゲームセンターに通っていたそうです。
私たちは誰もでも犯罪の誘惑に駆られるときがあります。しかし、その心にブレーキがかかり、実行はしません。
ほとんどの人は、悪いことをすると、良心の呵責(かしゃく)を感じます。悪いことをしようとすると、ドキドキして不安が高くなります。また、人間の自然な感情として、他者を傷つけて血を出すのに、不快感を感じます。
私が、近所のネコを斬り殺さないのは(ネコが好きだという理由のほかには)、そんなことをするのは気持ちが悪いと感じるからです。しかし、ときどき、血を見たときの不快感を感じない人もいます。また、ひとたび犯行を犯してしまうと、人間の体もただの物体としか見えなくなる犯人もいるようです。
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法律による刑罰が犯罪へのブレーキになることもあります。しかし、死を覚悟したような大量殺人や通り魔殺人の場合には、あまりおおきな力にはならないようです。
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何だかんだ言っても、この人間社会を愛している人、自分自身を愛している人は、ひどい犯罪は犯しません。
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人生に希望が持てるとき、自分の人生を台なしにするような犯罪は犯しません。
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ある非行少年が言っていました。
「いろいろ悪いことをしてきたが、これ以上やったらオレの人生は終わりだと思ったとき、お袋の顔が浮かんだ。泣いている顔が浮かんだ。お袋のためにオレは最後の一線だけは超えずにすんだ」
今回の池袋のケースでは、それがお兄さんでした。
人は、誰かに愛されていると実感できるとき、進んで凶悪犯罪を犯すことはできないのです。
彼が、もうほんの少し、お兄さんの愛を実感することができていたら、犯行を迷い、ゲームセンターに行き、そして凶器を捨てていたかもしれません。被害者が出ることもなかったかもしれません。とても残念です。
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犯罪心理学者の小田晋氏は、殺人の最大の抑止力になるのは宗教だと述べています。
警察に見つからないことはあっても、神や仏にわからないことはないでしょう。死を恐れない人でも、死後の裁きを恐れることはあるでしょう。その宗教を信じていれば、「殺すなかれ」といった戒律に従うでしょう。
仮に家族に捨てられ、友人にバカにされても、神の愛や仏の慈愛を感じ取ることができるとき、自分を愛し、人を愛することができるでしょう。
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私は、彼の人生に希望が無かったとは思えないし、世界中の誰にも愛されていなかったとも思えません。彼がその真実に気づくことがあれば、この通り魔殺人事件も未然に防ぐことができたでしょう。
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