こころの散歩道(心理学総合案内)/ 犯罪心理学 / 環境
容疑者の不幸な過去などを語ると、「だからといって犯罪が許されるわけではない」と反論されます。そのとおりです。心神喪失状態なら別ですが、彼には、彼の行動の責任をとってもらわなければなりません。刑罰を受けなくてはなりません。
被害者、遺族の心を無視して、犯人をかばうことなどできません。
しかし、その一方で、犯人をただ一方的に責めることも、私にはできません。
もちろん、不幸な環境でりっぱに生きている人はたくさんいます。そういう方々を尊敬します。しかし、だからといって、環境の問題を考えるのが間違いだとも思えません。
たとえば、公害病について考えてみましょう。同じ汚れた空気を吸っていても、みんなが病気になるわけではありません。では、環境の問題がないのかといえば、違います。
悪い環境があり、そして、高齢者とか赤ん坊とか、疲労とか、気管支が弱いとか、いくつかの条件が重なったとき、発病するのです。
環境だけで発病するわけではありませんが、その環境は、今は病気になっていない人も体もむしばんでいるのです。
社会心理学的な研究によると、私たち人間は、他人のことを見るとき、環境の影響を軽視し、実際以上に個人の責任を重視してしまうことがあると、わかっています。
刑罰や取り締まりを厳しくして、減る犯罪もあるでしょう。計算された犯罪はそうです。企業犯罪などは、そうでしょう。違法駐車も、罰金を十倍にしれば、数は減るでしょう。
しかし、衝動的犯罪は、自分が受ける刑罰のことなど考えずに、犯行に走ってしまいます。通り魔殺人は、法的に言えば、予告したり、凶器を準備するなど、計画的犯行ですが、心理的に言えば、感情爆発による犯罪が多いと言えるでしょう。
犯人は、逮捕され、死刑になることがわかっていても、犯罪を犯します。
犯人には、法に基づく厳しい処罰が必要です。しかし、彼が何度も何度も傷つき、破壊的な感情をうっ積させていったその時に、もしも誰かが、手を差し伸べ、適切な援助をすることができたら、この不幸な犯罪は、起きなかったかもしれないのです。
警察には、警察の大切な役目があります。同時に、心理学を学ぶものには、心理学を学ぶものとして役目があります。私たち一人ひとりが、親として、友人として、教育や福祉の職業人として、果たすべき役割があると思うのです。
犯罪が起きたとき、悪い人が悪いことをしたと考えるだけで終わらないように。
その事件を通して、少しでも、社会が良い方向に行くように。
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