心理学総合案内・こころの散歩道

科学者の発言と責任

Nさんへの返信(科学者の発言とは)

とても興味深いメールありがとうございます。

>「重い刑罰を科してもこの種の犯罪の抑止力にはならない」という命題は、

> 証明されているわけではありません。

「この種の」とは、ここでは、心の病としての非行や、快楽殺人のことです。これらは、「理論的」に言って、重い刑罰が抑止力になるとは考えられません。ただ、現実の犯罪行動は、無数の要因がからんでいますので、そう単純には言えないことも事実です。(更新した「やっぱり死刑が必要か」もお読み下さい。)

>しかし、大学の教授がこのことを

> あたかも事実であるかの様に話されると一般の人はそうだと信じてしま

> うのです。一個人の意見として「と思う」ならまだましです。

> 一個人が発言の自由だといって発言するのと、大学の教授が発言するのとで

> は重みが違います。(マスコミの発言って、重大責任ですよね。)だから、あ

> る命題を証明済みであるかのように発言するのは困るのです。

科学の世界は、ほとんど全て「仮説」によって成り立っています。だから、10年前の科学の本と今の科学の本は、違うことが書いてあります。また、10年たてば、内容は変わっているでしょう。

ただ、全て仮説といっても、その科学の中で、一部の人が主張するときには「仮説」と呼ばれ、検証データーが増え、賛同者も増えると「理論」と呼ばれ、大多数の人がそう思うようになれると、「定説」と呼ばれたり、時には「事実」と呼ばれることもあります。

「証明済み」と思われた定説が、後にくつがえされることも科学の歴史では、ありふれたことです。

科学上の命題は実は全て「私はそう思う」(仮説)なのです。それが、「私たちはそう思う」(説や理論)になり、「私たちのほとんどはそう思う」(定説、事実)になります。そして、そうなると、「〜である」といった表現を使うこともあります。

たとえば、「太陽系の惑星は、9個である。」と一般に表現します。しかし最近、10個めの(とても小さい)惑星発見のニュースを新聞で見ました。もしかしたら、もっと遠くに、もっと小さな11個めの惑星もあるかもしれません。

科学者の書くこと言うことは、すべて、「現在のところ私たちの多くはそう考えている」と、解釈しなくてはなりません。

そうは言っても、みなさんがそういうふうに解釈して下さるわけではないので、やはり、発言の際には、慎重な態度が必要だと思います。メールをいただいて、あらためて、そう思わされています。

よく、講演会の最後などに私はこう言いいます。

「心理学者の言うことなど信用しないでください。5年たったら、違うことを言うでしょう。それに、心理学の理論をそのまま実生活に応用しようと思うと、どうしても不自然な態度になってしまいます。これでは上手く行きません。心理学を学んで、「ああ、本当にそうだなあ」と思ったとき、自然にあなたの態度が変わると思います。そうでなくてはいけません」

> 責任をとるとらないの問題ではありません。

> 仮に世論を間違った方向へ導いて、被害者が続出したとした場合、死んで責

> 任をとってもらっても被害者は生き返らないのです。(核戦争のボタンを押

> した大統領にどんな責任を押しつけられるのでしょうか。)

以前は、科学者は中立だと考えられてきました。爆弾を作った科学者には、何の責任もなく、それを使った政治家や軍人に責任があるのだと言う考えです。しかし、まさに、核爆弾の登場以来、少しずつ変わり始めました。科学者も中立などとは言っていられない。責任がある、という考えです。

だから、数年前にアメリカでソ連の核ミサイルを無力化するスターウォーズ計画が出されたとき、多くの研究室が研究を拒否しました。

しかし一方で、たとえば東海地震の警報発令に関しては、科学者は一切の責任を問われないそうです。もし、警報を出して、そして何も起こらなかったらどうでしょう。パニックで死傷者が出たり、莫大な経済的損失はどうなるでしょう。それを科学達の責任にするとしたら、彼らは冷静で客観的な発言など、できなくなってしまいます。

気象庁が明日の雨の確立は0パーセントと発表し、そして雨が降ったとしても、予報を出した研究者らの責任を問うことはないでしょう。

これは、科学者は無責任でよいと言うことではなく、ある場面では、自由な立場で発言させた方が、多くの人の利益になるという考えからのものでしょう。

今回の事件に関して、政治家や評論家やマスコミなどの一部は、自分の経験や信念(思いこみ?、感情?)にもとづいて、「厳罰を与えるべきだ!」「厳しい刑罰は、非行や快楽殺人の抑止力にもなる!」と主張しています。

それに対して、大学の教員であり心理学者である私は、心理学の考えに基づいて「そうではない」と意見を述べています。私たち心理学者が何も言わなかったり、証明されていないからと言って意見を述べなかったりしたために、もし、好ましくない厳しい管理と厳罰主義の社会になってしまったとしたら、それこそ、心理学者の社会的責任が果たせない、その方がよほど無責任な態度だと、私は考えています。

心理学の理論も私の意見も、もちろん絶対に正しいというはありません。しかし、科学者であれ、政治家であれ、個人であれ、よりよい社会を作るためにそれぞれの立場から、自分の考えを誠実に述べるしかないのではないでしょうか。

続き 2通目の返信 報酬と罰

N  様

こんにちは。

前回の続き、後半です。

(読者の広場でメールのやりとりを公開しています。

そのつもりで書いているので、

少し心理学の授業みたいな雰囲気になりそうですが、

勘弁して下さい。)

At 9:09 PM 97.7.26,    wrote:

> 報酬と罰の効果について(人間の場合)

> (もともと、ネズミと人では、物事に対する認識力が違うと思います。)

その通りです。
私も、動物と人間は違うと考えています。
しかし、医学にも動物実験があるように、
心理学の場合も、動物実験で理解できる人間の一部分があるとは思います。

> 少年法と刑事事件との違いを私が理解している点について述べたいと思いま

> す。少年法が想定しているのは、本人が謝って済む程度の事件であり、だか

> らこそ、被害者より本人の更正を重要視できるのです。実際にほとんどの場

> 合、保護観察処分といって罰がありません。重くても少年院送致で、いずれ

> なにごともなく退院します。

そうですね。少なくとも今回の事件のような犯罪は
想定していなかったでしょうね。
ただ、今よりも、何十年か前の不良達の達の方が、
愚連隊のようなすごい悪だったそうですが。

昔はいかにも悪い少年達が、犯罪を犯し、
今は、普通の少年達が、突然凶悪犯罪を起こすようです。

> 刑事事件は、本人のみならず他の人間が犯罪を犯すことを抑止することも重

> 要視しています。だから、犯罪に見合った罰が与えられるのです。

>

「見せしめ」というのは、「教育的」ではないと思います。
しかし、犯罪者がどんな扱いを受けるかは、他の人に大きな影響を与えます。

誰かが、大金を盗み、そのまま捕まらないとすると、まねをする人が出ます。
盗みという行動にお金という報酬が与えられると、本人だけでなく、
それを見聞きした人達も、盗みという行動を学習してします。
これを「観察学習」といいます。

その反対に、万引きしていた同級生が、少年院ではなくても、
鑑別所にでも行くことになれば、それは一般の子達にとっては
大変なことなのですから、他の子も
もう万引きをやめようと思うかもしれません。


> 従って今回の事件の場合、事実が確認されたのなら、死刑の判決がでても当

> 然と思います。もちろん、犯行の動機や犯行に至った経緯を調査し、今回の

> 様な子供を育てないようにする事は必要です。しかし、同じ様な境遇の子供

> が既にいるかもしれず、その子達の犯罪を未然に防ぐには、犯罪に見合った

> 罰は、大きな抑止力になります。

死刑の存続自体は、賛否両論、いろいろあるでしょうね。

快楽殺人に限って考えれば、
心理学的にいって、死刑は抑止力にはならないと思います。

少年犯罪について考えると、
14才の犯罪でも死刑ならば、13才でも死刑でしょうか。
12才でも、11才でも、10才でも、9才でも。

以前、放火を繰り返して「保護」された幼稚園児に会ったことがあります。
放火は、殺人に次ぐ大罪です。

ただ、もちろん何もしないのがよいわけではありません。
将来、快楽殺人犯になるはずの人に対して、
友達に乱暴したり、動物を虐殺している段階で、
「罰」も含めて、適切な対応ができれば、
あるいは、将来の犯罪を防げるかもしれません。

> 又、贖罪の意味においては、犯人の死だけではまかなえません。犯人のご両

> 親には、なんらかの処置が必要でしょう。多分、犯人の家族で一番かわいそ

> うなのは、兄弟でしょう。

最近、そのようなご意見をマスコミを通しても聞くようになりました。
東京・埼玉連続幼女殺害事件の犯人のお父さんは、自殺しています。
このような例は、ときどきあるそうです。

子供が少年院から出てくると、すでに家族はばらばらで
帰る場所がないなどということも、あるようです。

>

> すなわち、罰には、更正(贖罪)の罰・戒めの罰があり、重大な犯罪になれば

> なるほど、戒め意味を強くする必要があると思います。

>

人間は、動物とは違います。罰を受けたときにその意味を考え、
深く反省することもできるでしょう。
(逆に、かえってその人や社会を逆恨みすることもあるでしょが。)

Nさんとは、意見の違いが大きいと思いますが、
私は、このような論議を社会全体でしていくことこそが、
大切だと考えています。

ありがとうございました。

上記のメールに対する
Nさんからの再返信

うすい様

いろいろ丁寧に答えてくださってありがとうございます。
先生と大きく意見が違うとは思いません。
先生のホームページを見て、共感できるところが多々あります。

違うのは、動物実験の結果で人間を推測したり、
加害者本人だけに影響を絞っていることです。

例えば、ネズミの実験の結果に対して、人間の場合をあてはめているようです。
しかし、ネズミの実験と人間が学校へ行く行かないの議論は単純に比較できる
ものではないと思います。

又、今回の快楽殺人(なんていう言葉でしょう、殺人が快楽なんて。)に対して、
死刑は抑止力にならないという意見についても、次の様に一致している部分と
しない部分があります。

先生の言われるとおり、正に今、快楽殺人を犯そうとしている人間にとって、
死刑になるという罰は、抑止力にならないかもしれません。
しかし、その予備軍にいる人たちにとって、抑止力にならないとは言えません。

>将来、快楽殺人犯になるはずの人に対して、
>友達に乱暴したり、動物を虐殺している段階で、
>「罰」も含めて、適切な対応ができれば、
>あるいは、将来の犯罪を防げるかもしれません。

先生も言われているように、快楽殺人に走る前の兆候をまわりの人たちが気づいて、何らかの軌道修正がとれるかもわかりません。

「思う」とか「かも」とかが多いのですが、重要なのは、
「抑止力として可能性のあることは、害がない限りすべて行うべきだ。」
ということです。

>「見せしめ」というのは、「教育的」ではないと思います。
>しかし、犯罪者がどんな扱いを受けるかは、他の人に大きな影響を与えます。
>.......
>これを「観察学習」といいます。

私も、「教育的」ではないと思います。
でも今は、被告に「教育」する場合ではありません。

犯した罪に値する罰を与えて、他の人間に対する観察学習をさせるのが目的です。

>人間は、動物とは違います。罰を受けたときにその意味を考え、
>深く反省することもできるでしょう。

故意に人を殺した人間が反省することがあるとして、
その犯人が自分自身を許せるとは思いません。

自分の子供が、殺人を犯しただけで自殺する親もいるくらいなのですから。
(でも、そういう子供を育ててしまった親にも責任はあると思います。)

そういった意味で、被告に死刑の判決がでることは、
世の為になりこそすれ、なんの害もあたえません。

「無責任な発言はやめて」について

「重い刑罰は必要か」の中でスキナーの実験結果らしいのがあがっています。
これを読んだ人は、皆、罰は効果がないと思いこんでしまいます。
この章で書かれているのは、「スキナーが実験をした。」
「罰は、効果がない。」だけです。

「どんな実験(詳しく)をして、どんな観察結果だった。」というのがないのです。

事実はどうかというと、罰を与えないで育った子供は、
善悪の判断がつかなくなっています。

今の親は、自分に自信がないせいか、子供を叱りません。
その結果、小学校や中学校がどのようになったかは、ご承知の通りです。

スキナーがどんな実験をして、どんな観察結果だったが知りませんが、
その観察結果の解釈は間違っており、
「罰は、効果がない」というのは、現実社会を見る限り嘘です。

「罰だけを与えるのは、効果がない」なら、否定はできませんが。
スキナーの実験結果から、「罰は効果がない」と信じている心理学者が多いなら、科学者として問題があります。

自分で子供を育てたことがあるなら、
適度な罰と説明は、子供の行動を望ましい方向へ導くのに非常に役に立ちます。
罰とまでいかなくても、自分で責任をとらせることは、

教育上有効な手段です。
ある意味で、私は科学者を信用していません。自分の理論に一致する実験をして、
一致しない実験をしない又は一致しない実験結果を無視する傾向があるからです。

多分、先生は、自分の主義が「罰は、効果がない」なのでしょう。
でも、科学者として、冷静な目でスキナーの実験の結果を
正確に解釈してもらえないでしょうか。

そして、「効果がない」のが、本人だけの問題なのか、
回りのひとにも効果がないのか判断してもらえないでしょうか。

又、「罰」の内容にも注目してもらえないでしょうか。
説明なしの罰なのか、説明付きの罰なのか。

実際に、今の小中学校では、罰を与えることができずに、
むちゃくちゃな子供も育っています。

もちろん、そのような子供は家庭でも罰を与えられていません。
「罰は、効果がない」というまえに、
科学者として回りをよく観察してほしいと思います。

又、結論を急ぐことはないと思いますし、
単純に「罰は、効果がない」と言い切る必要もありません。

科学者として発言する場合(先生の場合)、
発言したときの影響、発言しなかったときの影響を

よく考えてほしいと思います。
発言内容についても、事実と意見を間違えないようにお願いします。

一度、ゆっくり話し合ってみたいですね。
ホームページを見る限り、いい人のように見えますし、
そんなに考え方が違っているとも思えないし。
もちろん、主義は大きく違うようですが。

最後までお付き合いしてくださって、ありがとうございました。

筆者(うすい)より

上記のメールには、まだ返信していません。ご質問への回答は、ホームページ上の「質問に答えて」(仮題)のなかで、行いたいと思っております。意見の違いはあっても、良いディスカッションができたことをうれしく思っています。Nさん、どうもありがとうございました。


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