心理学総合案内「こころの散歩道」

インターネット著作権問題:似ている?
(問題サイトRAPTURE著作権侵害か?)

インターネット著作権問題(こころの散歩道)

 当サイト、心理学総合案内「こころの散歩道」は、アクセス数200万を超える心理学定番サイトです。ヤフーを始め、多くのサイトやマスメディアでも紹介されています。(心理学総合案内「こころの散歩道」トップページ参照)

 最近、当サイトののコンテンツと大変類似したサイトを発見しました。著作権侵害ではないかと思われます。以下、そのサイトの問題部分を転載します。

 私としては、スムーズな解決を望んでいるのですが、何らかのトラブルになったときのためにこのページを作成します。2002.3.8
その後の経過報告 3.28
問題サイト
RAPTURE
http://members.tripod.co.jp/rapture/rapture.html
上記サイト内の
WORDS(2002年版)
http://members.tripod.co.jp/rapture/words02.htm
WORDS2000〜2001年版)
http://members.tripod.co.jp/rapture/words01.htm

上記サイトのこの2つのページの日記エッセイ風文章の中に、当サイトの文章と極めて類似性の高い文章が多数見られます。以下、当サイトの文章と比較するために、上記ページ内の文章を転記します。
左側が問題サイトRAPTURE
(所々文字が大きいのは、原文のまま)
右側が当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」

今年2002年分

問題サイトRAPTURE内の
WORDS(2002年版)

No.2 信用しない、でも信頼する 

(2002/01/14
)

いつだったか忘れちゃったけど、ある野球評論家がこんな事言ってました。キャッチャーはピッチャーを「信用」してはいけない。だって。キャッチャーがミットを構えたところ投げてくれると、下手にピッチャーを信用してしまうとひどい目にあうというらしい。どんなすごいピッチャーだって、球ひとつ分コースが狂うことはよくあるし、人間である以上完璧なんて事はないから、それはごく当たり前のこと。とんでもない失投をすることもあるしね。そういう可能性を考えながら、キャッチャーはピッチャーをリードしなくちゃいけない。でも、だからといって、ピッチャーを「信頼」しないのでは、やはり良いリードはできない。「あ〜あ、あのピッチャー、どうせまた打たれちゃうんだろうなあ」なんて思っていると、その不安がピッチャーに伝わりホントに打たれちゃう。「あいつなら、このピンチもなんとか抑えてくれるぞ」という信頼感があってはじめて、ピッチャーも自信を持って良いピッチングが行えるという。ちょっと思ったんだよね。人は弱い。強く見えても、誰だって本当は弱い。つい悪いことをしてしまう。失敗することはたくさんある。簡単に人を信用することはできない。でも、人への信頼感を失ってしまったら、やっぱり人は幸せになれない、と思うんだよね。昔、テレビの中でベテランの教師がこんな事言っていた。私はすごい悪賢い連中を相手にしている。ぼんやりしていたらだまされる。生徒になめられてはいけない。しかし、それでもなお、生徒を信頼することが私の仕事だ。簡単に人を信用したりしない、でも、人を信頼することを忘れはしない。

当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」内の
 今日の心理学
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/day/index.html

● 信用しない、でも、信頼する。 

2001年4月27日(金)

 ある野球評論家が言っていました。キャッチャーはピッチャーを「信用」してはいけない。キャッチャーがミットを構えたところ必ず投げてくれると、下手にピッチャーを信用してしまうと、ひどい目にあうというのです。

 どんなすごいピッチャーだって、球ひとつ分コースが狂うことはよくあります。とんでもない失投をすることもあるでしょう。そういう可能性を考えながら、キャッチャーはピッチャーをリードしなくてはなりません。

 でも、だからといって、ピッチャーを「信頼」しないのでは、やはり良いリードはできません。「あ〜あ、あのピッチャー、どうせまた打たれちゃうんだろうなあ」なんて思っていると、その不安がピッチャーに伝わり、ほんとに打たれてしまいます。

 「あいつなら、このピンチもなんとか抑えてくれるぞ」という信頼感があってはじめて、ピッチャーも自信を持って良いピッチングが行えるのです。

 私は思います。人は弱い。つい悪いことをしてしまう。失敗することはたくさんある。簡単に人を信用することはできない。でも、人への信頼感を失ってしまったら、やっぱり人は幸せになれないと思うのです。

 友人の教師が言っていました。俺はすごい悪賢い連中を相手にしている。ぼんやりしていたらだまされる。生徒になめられてはいけない。しかし、それでもなお、生徒を信頼することが俺の仕事だ。

 「ヘビのように賢く、ハトのように素直であれ」(聖書)
簡単に人を信用したりしない、でも、人を信頼することを忘れはしない。

問題サイトRAPTURE内の
WORDS(2002年版)

No.3 命名 「敬宮愛子」 

 (2002/01/16)


コレ、去年の話でスンマセン。思い出したように書くなっ、などと言われそうですねはいそうです思い出したように書いてます。まぁいいや、本文突入。昨年末、天皇家に赤ちゃん誕生しましたね。どこの家庭に生まれた子どもでも、人として幸せになって欲しいと思います。みんな知ってると思うけど、名前は「愛子(あいこ)」、称号は「敬宮(としのみや)」と決まりましたね。中国の古典「孟子」から取った名前のようで、人を愛するものは愛され、人を敬うものは敬われる。「人を愛し、愛され、人を敬い、敬われる」という事だそうだ。ふと思ったんだけどね。人に愛される秘訣は人を愛する事だと思うんだよね。うん。その後の小泉首相は会見で、名前が「敬宮愛子内親王」と決まったことを受けて、「〜敬愛されるお子さまとして、健やかにご成長してほしいですね」と言っていた。ちょっと強調点が違うだろ、と思ったのは黙っておこう。もしかしたら将来日本の象徴になるかもしれない女の子。名前のとおり、人々への敬愛の心をもった素晴らしい人になって頂きたい思います。でね、こんな事言うのもらしくないんだけどさぁ。愛される人より、愛する人の方が素晴らしいと思う。「ありがとう。あなたのことが大好きです。」愛される事も大事だけど、愛する事も大事、だと思う。

補足:今の日本の社会にとって、女帝(語弊あるかもしれないけど)っていいと思うな。本当の男女平等への大きな一歩になると思うんだよね。ただ、女帝になった本人はとても大変だとは思うけど。

当サイト内 今日の心理学

● 命名 「敬宮愛子」 
(としのみや あいこ)


2001年12月10日(月)

 天皇家に赤ちゃん誕生。どこの家庭に生まれた子どもでも、人として幸せになって欲しいと思います。

 みなさんご存知のように、名前は「愛子(あいこ)」、称号は「敬宮(としのみや)」と決まりました。中国の古典「孟子」からとったもので、人を愛するものは愛され、人を敬うものは敬われる(「人を愛し、愛され、人を敬い、敬われる」)ということだそうです。

 大昔の偉い人の言うことも、最新心理学の研究結果も、同じような結論になることはよくあります。心理学の研究成果からも、人に愛される秘訣は人を愛することだと思います。(心理学的には「好意の返報性」といいます)

 小泉首相は名前が「敬宮愛子内親王」と決まったことを受けて、、「〜敬愛されるお子さまとして、健やかにご成長してほしいですね」と語っています。

 まあ、いいですけど、ちょっと強調点が違うかな。

 もしかしたら将来日本の象徴になるかもしれない女の子。名前のとおり、人々への敬愛の心をもったすばらしい人になってほしいと思います。愛される人より、愛する人の方がもっとすばらしいと思います。

ありがとう。あなたのことが大好きです。(愛されるよりも愛することを)


                   ****

 日本の社会にとっては、女帝っていいと思います。男女平等への大きな一歩になるのではないでしょうか。ただ、ご本人はとても大変でしょうねえ

問題サイトRAPTURE
WORDS
(2002年版)

No.4 年忘れ 

 (2002/01/16)

もう年明けてからしばらく経つんで、今更こんな話するのもアレなんスけどね。コレも去年の話でスンマセン。昨年12月28日は仕事納めだったから、働いてる人の中には忘年会だったって人も多かった事でしょうね。俺?思いっきり仕事してて忘年会どころの騒ぎじゃなかったけどな。もっとも、会社の忘年会なんてさ、どうせ仕事の話しか出ないんだから行きたくもないけどさ。まぁそんな事はどーでもいいとしてだ。去年はどんな一年だったでしょうかね。良い一年だった人は、何もいう事無し。良かったですね。苦しい一年だった人、悲しい一年だった人。少なくないと思いますよ。去年は色々な事件もあったし、人間、いつ病気や事故に襲われるか分からないし、世帯主の失業者もはじめて100万人を超えたとか言ってたからね。本当に辛い目に合われた方には、気軽に慰めの言葉を差し上げる事すらできません。俺としてはただ祈るのみです。いやホントに。だって、仕事忙しいなんて言ってても他の人の苦労に比べたらラクだと思うからねぇ。で、本題。本か何かは忘れちゃったけど、こんな話をちょこっと目にした。「人間の思い出は、楽しい思い出、ふつうの思い出、苦しい思い出が、6:3:1の割合である」らしい。十人十色って言葉があるように、いろんな人生を歩いてきた人がいると思うんだけど、それでもどの人もだいたい6:3:1になるという。苦しい思い出も長い年月が経つうちに、だんだんと浄化されていくからだという。戦争の時の辛い思い出も、もちろんそれはそれは大変な体験だったとは思うけど、何十年か経つうちに次第に辛い思い出の部分が薄れていくらしい(俺自身がそんな経験してないし、まだ四半世紀ほどしか生きてないから、俺の口から言うのも胡散臭いんだけどね)。例えばの話。あんなに悩んだ子育ての苦労も、何十年後かには懐かしい思い出に変わるはず。人は、そうして無意識のうちに記憶を整理しているのかもしれない。楽しい思い出が半分以上になるようにね。去年の辛い出来事も、一昨年の辛い出来事も、今まで経験してきた辛い出来事も、長い年月の中できっと浄化されていくんだろうね。2001年も終わって、もう新しい年、2002年の始まり。今年も辛い事もあるかもしれないけど、それでも楽しい思い出がたくさん出来ますように。と、祈っておる次第でございます。

当サイト内 今日の心理学

● 年忘れ ●
(思い出の6:3:1)

2001年12月29日(土)

 今年もいよいよ終わり。昨日28日は、仕事納めで、忘年会の方も多かったことでしょう。さて、今年はどんな一年だったでしょうか。

 良い一年だった人は、何もいうこと無し。良かったですね。

 苦しい一年だった人。悲しい一年だった人。少なくないと思います。人間、いつ病気や事故に襲われるかわかりませんし、世帯主の失業者もはじめて100万人を超えたとか。

 本当に辛い目に合われた方には、気軽に慰めの言葉を差し上げることすらできません。私としてはただ祈るのみです。

 ところで、当サイト内でも以前ご紹介しましたが(記憶の心理学)、人間の思い出は、楽しい思い出、ふつうの思い出、苦しい思い出が、6:3:1の割合であるそうです。

 いろんな人生を歩まれた方がいると思うのですが、でもどの人もだいたい6:3:1になります。

 それは、苦しい思い出も長い年月が経つうちに、だんだんと浄化されていくからです。戦争のときの辛い思い出も、もちろんそれはそれは大変な体験だったのですが、何十年か経つうちに、しだいに辛い思い出の部分が薄れていくようです。

 あんなに悩んだ子育ての苦労も、何十年後かには、懐かしい思い出に変わります。人は、そうして無意識のうちに、記憶を整理しているのかもしれません。楽しい思い出が半分以上になるように。

 今年の辛い出来事も、長い年月の中で、きっと浄化されていくのでしょう。

 2001年が終わり、もうすぐ新しい年、2002年の始まりです。


問題サイトRAPTURE内の

WORDS(2002年版)

No.5 成人式

 
(2002/01/29)

昨年に引き続き、今年2002年の成人式も、あまり楽しくないニュースが流されましたね。爆破予告による会場の変更とか、沖縄での大暴れと逮捕者とかね。「成人式なんか、もう止めたほうがいいんじゃない?」という意見もあちこちでしてたしねぇ。でも、一部の乱暴者が暴れる、みんなが腹を立てて、結果イベントは中止。それでいいの?大暴れした人たちらの動機は「目立ちたい」。ただそれだけ。あまり心理学とか詳しくないんだけど、あえてもう少し深層心理的な言い方をすれば、「愛されたい」って事なんだろうね。多分、非行少年たちの心理と同じ。注目されたい、認められたい、構ってほしい、でも正当な方法で目立つだけの力は自分に無い。そんな時、彼らは手っ取り早く悪い事をして目立とうとする。ヒーローにはなれないけれど、「アンチヒーロー」平たく言えば悪役にはなれる。暴れたいなら町の繁華街で暴れても良いはずなんだけど、それよりも成人式会場の周りで暴れた方が目立つよね。普通の大人の犯罪者は、人目があれば悪い事はしない。でも彼らは逆。人目があって、マスコミのカメラがあれば、なおさら張り切るだろうね。今回の成人式のニュース見てるとね、事前に機動隊配置の報道があったりしたんだけどさ、この報道ってさらに彼らの心にエネルギーを与えちゃったんじゃないかな。目立ちたい、愛されたいという心。なんだかちょっと淋しい心だよね。ちなみに、彼らの行動自体は危険な犯罪行為ですがね。会場内の沖縄の成人式自体は、とてもスムーズに行われたらしい。でも、その外側の大騒ぎ。ニュース映像を見ながら、俺も最初はこのバカ共達への怒りを感じたんだけど、だんだん悲しくなってきましたね。というか情けないわぃ。同じ日本人として。ある中学のこんな話があります。その中学の体育館で教職員の歓送迎会のイベントが行われました。「不良少年」達は、校則違反の服装では中には入れないと言われていました。イベント当日、彼らはいつも以上の凄い格好でやってきました。当然、会場へは入れません。だったら学校をサボって遊びに行ってもいいんだけど、彼らはそうはしませんでした。体育館の周りをうろうろし、挙句の果てに体育館の壁をガンガンと蹴飛ばし始めたというのです。素直に言うことなんか聞けないぜ、でもイベントを無視することもできないし・・・ 自分のイライラした感情を自分自身の心の中だけでは処理できない。そして乱暴に壁を蹴飛ばす不良少年達。こないだの沖縄の成人式騒動のニュースを見て、この話を思い出したよ。(この話、長くなりそうなので続きは次回って事で、はい。)

当サイト内の 新成人大暴れ !?の 心理 2002 

 2002.1.14 
前半部分

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/2002/seijin.html

 このページは、ヤフーのニューストピックスで関連サイトとして紹介されたので、多くの人にご覧いただいたと思います。昨年2001年のページも同様にヤフーニュースサイトで紹介されました。(新成人大暴れ !? の 心理2001

 また、現在残っているページとしては、毎日新聞社による教育用ホームページ「まいうぃる」の今日のトピックス2002年1月15日号に、下記のコンテンツ「新成人大暴れ!?の心理2002」が紹介されリンクされています。(2002.3.8)

新潟青陵大学:碓井真史-心理学総合案内こころの散歩道/ニュース/成人式2002

新成人大暴れ !?の 心理 2002

2002.1.14
(1.13沖縄の成人式のニュースを見て)

 昨年に引き続き、今年2002年の成人式も、あまり楽しくないニュースが流されています。爆破予告による会場の変更、沖縄での大暴れと逮捕者。「成人式なんかもう止めたほうがいい」といった意見もあちらこちらで聞かれます。

 でも、一部の乱暴者が暴れる。みんなが腹を立て、イベントは中止。それでよいのでしょうか。

***

大暴れの心理

 昨年の「新成人大暴れ !? の 心理」でも書きましたが、彼らの動機は「目立ちたい」です。もう少し、深層心理的な言い方をすれば、「愛されたい」でしょう。

 非行少年たちの心理と同じです。 注目されたい、認められたい、かまってほしい、しかし正当な方法で目立つだけの力はない、そんなときに、彼らは手っ取り早く悪いことをして目立とうとします。ヒーローにはなれないけれど、「アンチヒーロー」にはなれるのです。

 暴れたいのなら、町の繁華街で暴れても良いのですが、それよりも成人式会場の周りで暴れた方が目立ちます。普通の大人の犯罪者は、人目があれば悪いことはしません。しかし、彼らは逆です。人目があり、マスコミのカメラがあれば、なおさら張り切るでしょう。

 今回は事前に機動隊配置の報道がありましたが、この報道はさらに彼らの心にエネルギーを与えてしまったでしょう。

 目立ちたい、愛されたいという心。なんだかちょっと淋しい心です。(彼らの行動自体は、危険な犯罪行為ですが。)

 会場内の沖縄の成人式自体は、とてもスムーズに行われました。でも、その外側の大騒ぎ。ニュース映像を見ながら、私も最初はこの無法者達への怒りを感じましたが、だんだん悲しくなってきました。

 ある中学の先生から聞いた話しです。その中学の体育館で教職員の歓送迎会のイベントが行われました。「不良少年」たちは、校則違反のかっこうでは中には入れないと言われていました。イベント当日。彼らはいつも以上のすごい格好でやってきました。

 当然、会場へは入れません。だったら学校をサボって遊びに行ってもいいのですが、かれらはそうはしませんでした。体育館の周りをうろうろし、そして、体育館の壁をガンガンと蹴飛ばし始めたというのです。

 素直に言うことなんか聞けない、でもイベントを無視することもできない。自分のイライラした感情を自分自身の心の中だけでは処理できない。そして乱暴に壁を蹴飛ばす不良少年達。沖縄の成人式騒動のニュースを見て、とても似ているなって思いました。


問題サイトRAPTURE内の
WORDS(2002年版)

No.6 成人式2

 
(2002/02/03)

前回の話の続きね。「大暴れ」される側の心理をちょっと考えてみた。ニュースを面白おかしく感じる心ってあるよね。テレビの画面に映し出される、いつもの日常とは違う風景は、見ている人にとっては面白いもの。ニュースバリューがあるものだね。マスコミも、騒動を期待したわけではないだろうけど、騒動を予想して待っていたはず。成人式の日の夕方や夜のニュースでも長時間にわたって報道していたしね。「面白おかしく」という表現は不適切かもしれないけど、多くの人が興味を持つのは事実。まぁ当然の事だね。でも、そういう自分達の心が、目立ちたいという彼ら(騒動を起こした新成人たちね)の行動を促してしまうのもまた事実。面白おかしく感じる心の反対に、傷つく心もある。昨年の成人式では、あいさつをしている人たちが怒って怒鳴りつけるシーンが何回も報道された。何であれ、何かを一生懸命している時に、それを無視するような事をされたら誰だって傷付くよね。その傷ついた心が、人によっては「怒鳴り声」だったり、人によっては「涙」だったり。社会的地位のある年配の人でも同じ。傷つくからこそ腹が立つ。今回の沖縄での騒ぎにも、関係者のみなさんは傷つき、怒ったり悲しんだりしたと思う。今度は今あげたの2つの心とは全く別な、冷静な心。騒動を面白く感じてしまう心、腹が立ったり、悲しくなる心。でも、それだけで終わりたくないと思うはずだよね。あのような騒ぎが起きた時でも冷静な心が持てるのが成人です。大人です。騒ぎが起こる。感情的になる。それは誰でもそうだとして、そういう時に「それならばどうしようか」と考えられるのが大人のはず。成人として、大人としての門出を祝う成人式で、あんなバカな騒ぎを起こすんじゃ、「成人式なんてやらなくていい」って言われても仕方ないよね。だって、自ら大人じゃないって事をアピールしてるのと同じなんだもん。

当サイト内の 新成人大暴れ !?の 心理 2002 

 2002.1.14
 中間部分
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/2002/seijin.html

「大暴れ」される側の心理

・ニュースを面白おかしく感じる心。

 いつもの日常とは違う風景は、面白いものです。ニュースバリューがあります。マスコミも、騒動を期待したわけではないでしょうが、騒動を予想して待っていたはずです。昨晩のニュースでも長時間にわたって報道していました。

 面白おかしくという表現が不適切でも、多くの人が興味は持つでしょう。 それは当然のことです。でもこの私たちの心が、目立ちたいという彼らの行動を促してしまうのもまた事実でしょう。

・傷つく心

 昨年の成人式では、あいさつをしている人たちが、怒って怒鳴りつけるシーンが何回も報道されていました。何であれ、何かを一生懸命しているときに、それを無視するようなことをされたら、誰でも傷つきます。

 その傷ついた心が、人によっては「怒鳴り声」として表現されたり、「涙」として表現されたりします。社会的地位のある年配の人でも同じです。傷つくからこそ、腹が立ちます。

 今回の沖縄での騒ぎにも、関係者のみなさんは傷つき、そして怒ったり、悲しんだりしていることでしょう。

・冷静な心

 騒動を面白く感じてしまう心、腹が立ったり、悲しくなる心。でも、それだけで終わりたくないと思います。そんなときも、冷静な心がもてるのが、成人です。大人です。騒ぎが起こる。感情的になる。それは誰でもそうだとして、だから、それならばどうしようかと考えられるのが、「大人」のはずです。

問題サイトRAPTURE内の
WORDS(2002年版)

No.7 成人式3

 
(2002/02/11)

ようやくネット接続再開したんで、更新しましたぁぁぁあぁぁあぁ言い訳チックですなぁ。前々回・前回で終わる予定だったんだけど、ちょっと書き足したい事があったのでまたもや続きの話。ご存知の通り、沖縄の成人式では一部の新成人が騒ぎを起こした。でも、会場内の成人式は様々な工夫を凝らしてあり、とても良い式になったらしい。行政側も新成人の側も努力したと思いますよ。ただ、残念なのは、その上手くいった方の報道はほんの少ししか無かった事。マスコミの目・人々の目は、会場の外で多さわぎする人々へ向いてしまったという事。この数年、少年法の改正なども含めて、少年・青年達への目が厳しくなっているように思う。確かに甘やかすのは良くないと思うよ。でも、彼らの良い点にも目を向けなきゃいけないとも思う。彼らの多くは、善良で、やる気があり、能力もある。これからの社会を作っていくのは誰でもない彼らなんだよね。今回の沖縄の件をはじめとした各自治体の成人式では、関係者が一生懸命がんばって良い式にしようとした。確かな成果も見られた。でも、ごく一部の乱暴者が混乱を招いた。マスコミは「混乱」に注目し、それを報道した。番組のコメンテーターや世間の人たちは「成人式なんかやる必要はない」発言した。これじゃ乱暴者達の「勝ち」になっちゃうんだよね、結果として。乱暴者に負けない事・彼らに勝つ事とは、彼らを力でねじ伏せる事だけではない。成人式をしようとする人達、新成人をお祝いしようとする自分達が、その目的を果たす事じゃないかな。その為に努力した人々の努力が報われ、正しく評価される事だと思う。不当に大騒ぎそして、その結果イベントは中止。大騒ぎした人達は勝利の喜びや達成感を感じ、まじめに努力した人々が敗北感や無力感を味わう。こんな事になっちゃいけないし、当然許される事じゃない。新成人としてのスタートにこんな思いを持たせちゃいけないよね。そんな事にならないように、自分たち大人が彼ら新成人をサポートしなければいけないと思う。まじめに努力しようとしている新成人も、暴れてしまったような新成人も、どちらもサポートできれば一番いいんじゃないかな。もっとも、いい大人になる人があんなバカやろうってのが一番間違ってるとは思うんだけどね。と、ここまで書いてきたが、個人的な意見言えば各自治体主催の成人式なんて必要ないと思う。税金の無駄だ。

当サイト内の 新成人大暴れ !?の 心理 2002 

 2002.
1.14 後半部分
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news/2002/seijin.html

沖縄の成人式と報道

 会場内の成人式は、様々な工夫をこらし、とても良い式になったようです。行政側も新成人の側も努力したと思います。ただ、残念ながら、その上手くいったほうの報道は少ししかありませんでした。人々の目は会場の外で多さわぎする人々へ向いてしまいました。

 この数年、少年法の改正なども含めて、少年達、青年たちへの目が厳しくなっているように思います。たしかに、甘やかすのは良くないと思います。しかし、彼らの良い点にも目を向けましょうよ。彼らの多くは、善良で、やる気があり、能力もあります。21世紀の社会を作っていくのは彼らです。


乱暴者に負けないために

 関係者が一生懸命がんばって良い式にしようとした。たしかな成果も見られた。しかし、ごく一部の乱暴者が混乱を招いた。マスコミは「混乱」に注目し、報道するす。番組のコメンテーターや、世間の人たちは、もう成人式なんか止めようと発言する。
 これでは、乱暴者達の「勝ち」になってしまいませんか。
 乱暴者に負けない、彼らに勝つとは、彼らを力でねじ伏せることだけを意味しません。成人式をしようとする人たち、新成人をお祝いしようとする私たちが、その目的を果たすことです。そのために努力した人々の努力が報われ、ただしく評価されることです。
 不当に大騒ぎそして、その結果イベントは中止。大騒ぎした人たちは勝利の喜びや達成感を感じ、まじめに努力した人々が敗北感や無力感を味わう。こんなことになってはいけません。新成人としてのスタートにこんな思いを持たせてはいけません。
 そんなことにならないように、私たち大人が彼ら新成人をサポートしましょう。
 (できることなら、まじめに努力しようとしている新成人も、暴れてしまったような新成人も、どちらもサポートできればと思います。

***
昨年2001年分

問題サイトRAPTURE内の
WORDS(2001年版)


No.10 我慢

 
(2001/02/11)
あまり歯医者に行ったことがない。かれこれ中学卒業してからずっと行った記憶がない。が、何年かぶりに歯医者のご厄介になることになった。今の歯医者はカワイイ看護婦さんばっかりでいいねぇ〜♪ ・・・って、そーじゃなくて。とても患者さんの気を遣ってくれる。「痛かったら手を上げて下さいね〜」とかね。でも、そう言われてもこっちは数年ぶりの歯医者。どの程度の痛みだったら手を上げていいのかわからず、まぁ最初のうちは全然痛くなかったからいいけど、いざ最終段階になるとこれがモーレツに痛かった。痛かったけどじっと我慢してましたよ。でもね。なんで我慢してたんでしょ。大体理由は次のとおり。1.歯医者さんに迷惑かけないヨイ患者さんであろうとした。 2.治療に伴う痛みだから我慢すべきだろうと思った。 3.だから、痛くて我慢できない、と言いたくなかった。 と、この3点。だけど、歯医者さんにとっては、患者が痛くて我慢できないのを対処する事も当たり前のことで、その為に様々な治療法があったり、麻酔を使ったりしてる。ヘタに我慢しない事が自分にとっても、歯医者さんにとっても良い方法であるということだろう。と、ここまでは長〜い前置き。治療に限ったことではなく、自分も含めて多くの人、というよりはほとんどの人が我慢しすぎているような気がする。体調が悪い、少し怪我をした、という体の痛みはもちろん、他人にはわからない内面の痛み、言い換えれば心の痛みや苦しみ。みんな、よく我慢してるよね。そりゃ、生きてれば我慢しなければならない場合もあるかもしれない。我慢するという事自体は必要な事かもしれない。我慢しなければならない事もたくさんあるけど、いらない我慢はやめたほうがいいでしょ。我慢しなくていい事を「我慢しなきゃならない」と勘違いしたり、我慢する事や弱音を吐く事を恥ずかしいとか格好悪いと思ったり。人間、生きてれば楽しい事もあるけど辛い事や苦しい事だってたくさんある。本当に苦しい時に戦い抜けるように、余計な苦しみを背負い込むのはやめた方がいいよね。余談ではあるが、中学まで通っていた歯医者では、「痛かったら右手をあげて下さい。」と言っておいて、治療が始まると看護婦さんがしっかりと俺の右手を押さえつけていた。あれはどーいう事だ。ただのイヂメじゃねーか。でも、今思えばなぜあの時俺は自由だった左手を使わなかったのだろう?
当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」内の
今日の心理学(昨日、おととい、一昨昨日)

● がまん 

2000年11月9日(金)

 今、歯の治療をしています。今日は、親知らずを抜きました。これで3本目なのですが、どれもほとんど表面に出ていない歯だったので、なかなか大変でした。

 「痛かったら、手をあげて教えて下さいね。」

 最近の歯医者さんは、痛みについてとても気を使って下さいます。

 でも、私としては、どの程度の痛みなら手を上げてよいのか、良くわかりませんでした。前回、途中まではまったく痛みはなかったのですが、いよいよ抜くときになって、かなり痛くなったのを、一生懸命がまんしました。

 なぜ、がまんしたのか。

1 これは治療に伴う痛みであり、がまんすべき痛みであると誤解した。

2 男として、痛くてがまんできないなどと言いたくなかった(私は普段、男らしさなんかぜんぜん表さない人間なのですが)。

3 医療スタッフに面倒をかけない「良い患者」になろうとした。

 しかし、今日は、

「少しでも痛かったら、手を上げて下さいね。うすいさんはがまん強いほうだから......」と言われて、

「なあなんだ、痛かったら言ってもいいのかあ」と、ようやく理解しました。

 そこで、今日は途中で何回か麻酔を追加してもらって、痛みという点では、前回よりも楽でした。私にとってだけではなく、医療スタッフにとっても、その方が、良いことだったのです。

 さて、歯の治療に限らず、私たちはいらないがまんをしすぎることがあります。体の痛みも、心の痛み苦しみもそうです。もちろん、がまんすることが必要なこともたくさんありますが、いらないがまんはやめたほうがいいですよね。

 私自身が今回失敗したように、がまんしなくてもいいものを、がまんすべきだと誤解したり、弱音をはくことを必要以上に恥ずかしいことだと感じたり、「良い人」になろうと思いすぎたり。

 人生には、どうせ苦しいことはやって来る。本当に苦しいことと戦うことができるように、いらない苦しみまで背負い込むのは、やめたいものです。

問題サイトRAPTURE内の
WORDS
(2001年版)

No.19 ダメだという思い込み 


 (2001/03/20)


去年(2000年ね)マスコミで大きく報道された少年犯罪、17歳の少年のバスジャック事件。ありましたね。あの少年は高校を中退して、自宅にこもったままになっていたという。引きこもり生活をはじめて、少年は「もうだめだ、ホームレスになるしかない」と考えたらしい。結局、少年は「もうだめだ」と思い込み、周りの人をみんな殺して自分も死んでしまおうと思ってあの犯罪を起こしたらしい。17歳の少年が母親をバットで殴り殺した事件。この少年は日頃から後輩にいじめられていたらしい。いじめに耐え切れず、「もうだめだ」と思った少年は、いじめていた後輩をバットで殴ってしまった。こんな犯罪を起こしてしまって、「もうだめだ」と思った少年は、今度は母親をバットで殴り殺してしまった。そして、「もうだめだ」と思った少年は、行くあてもないのに自転車で17日間に及ぶ逃亡生活を始めてしまった。15歳の少年が下着を盗んだ事がバレそうになって、隣の家に住む6人を殺してしまった事件。下着ドロが発覚しそうになり、バレて父親に叱られる事から逃れようとして、バレたらこの土地にはもう住めないと考えて、隣の住人を殺してしまった。テレビや新聞では取り上げられないけど、毎年2万人以上の人が自殺をしている。自殺する人のほとんどは、「だめだ」と思ったすえに自らの命の火を消してしまっていた。いじめられて「だめだ」と思った人もいたでしょう。経済的な理由で「だめだ」と思った人もいたでしょう。人間、誰でも「もうだめだ」と思った事はあるでしょう。でも、考えてみてよ。バスジャックの少年は高校を中退して「だめだ」と思ったらしい。が、世の中には高校を卒業しなくても立派に生きてる人がたくさんいるよね。高校を中退した後に、大検を受けて進学した人もいるし。そのまま就職して働いてる人もいる。17歳で人生に見切りをつけてしまうのは、どう考えてもおかしいでしょ。母親をバットで殺してしまった少年も、彼が逃げている間、父親は玄関を開けて少年の帰りを待っていたらしい。いじめられていた時も、後輩を殴った時も、母親を殺してしまった時も、「だめだ」という事はなかったはず。もちろん、受刑者として生活している今でも。年間2万を越す自殺者、経済的な理由で自殺した人のほとんどは、生活保護の申請や自己破産の手続きをしていなかったという。打つ手があったのに「だめだ」と思い込んで自殺してしまった。もう一度言うけど、誰だって「もうだめだ」と思う事はあるはず。そういう時って、周りのどんな人から何言われても耳に入らない。何がなんだか分からなくなっちゃって、本当に「もうだめだ」って思っちゃう。でも、本人がそう確信している時でも「だめだ」って事はないんじゃないかな。きっと、何か打つ手が残ってるんじゃないかな。たかだか25年しか生きてない俺が「辛い事があってもがんばって生きていようよ」なんて言っても説得力ないし、きっと俺には理解できないくらい苦しみをあなたが抱えているかもしれない。でも「もうだめだ」という事はないはず。大事なのは「もうだめだ」と思わない事。思い込まない事。辛くても、苦しくても、どうしようもないと感じても、最後の最後まであがいて生きてみようよ。潔く死ぬ事は何も生み出さない。そりゃ、やるだけやってダメなら逃げるのも一つの手段だろう。でも、本当にやるだけやったのか?本当は何もしてないんじゃないか?

当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」内のいやしの道の中の
人間関係に勝つ

もうだめだ!

2000.11.27

 今年、2000年に大きく報道された少年犯罪。

 バスジャックの17歳の少年は、高校を中退し、自宅に引きこもります。彼は思いました。「もうだめだ!」 自分は、もうホームレスになるしかないと思ったそうです。

 そんなこと、ないですよねえ。高校を卒業しなくても、立派に生きている人なんか、いくらでもいるじゃないですか。高校を中退した後で、通信制の高校に入ったり、大検を受けて、大学進学をする人もいます。

 だいたい、今の日本では、仕事がないにしたってホームレスになることはありませんし、どう考えても、17歳で人生に見切りを付けるなんて!

 でも、彼は「もうだめだ」思い込み、皆殺しにしたうえで自分も死のうと思っていました。

 バットで母親を殴り殺してしまった17歳。

 彼は、後輩からいじめられていました。「もうだめだ」と思い、後輩をバットで殴り倒します。こんなことをしてしまって「もうだめだ」と思い、今度は母親を殴り殺します。いよいよ「もうだめだ」と思った少年は、北の果てを目指し自転車での17日間の逃亡劇を始めます。

 少年が逃げいている間中、父親は玄関を開けて、彼の帰りを待ち続けていました。逮捕後、被害者の後輩からも、近所の人からも、減刑の嘆願書が提出されました。

 いじめを受けていたときも、後輩を殴ったときも、母親を殺してしまったときも、「もうだめ」なんてことはありませんでした。もちろん今だって、「もうだめだ」なんてことはありません。

 下着泥棒が発覚しそうになり、隣家の6人を死傷させた15歳。

 下着泥棒が見つかりそうになり、彼も「もうだめだ」と思い込みました。だれだけ父親に叱られるか、そしてもうこの村には住めないと考えると、「もうだめだ」と思い込んだのです。

***

 毎年3万人の人が自殺します。多くの人は、「もうだめだ」と思うのでしょう。

 経済的理由で自殺する人もいます。「もうだめだ」と思って。しかし、この人たちの多くは、自己破産の手続きも、生活保護の申請もしていません。ただ、「もうだめだ」と思い込んだのです。

 ねえ、みんな。もっと最期の最期までジタバタしようよ。潔く死んだりしちゃ、だめだよ。

 誰の人生でも「もうだめだ」と思うときはあるでしょう。そのときは、本当にそう思うでしょう。他人から何か言われたってわかりません。本当にそう思うのです。けれども、本人が「もうだめだ」と確信しているときですら、きっと「もうだめだ」なんてことはないにちがいありません。

 心理学の実験では、「もうだめだ」と思った瞬間に、その人の問題解決能力が激減することがわかっています。

 アメリカの研究によると、アメリカ大統領選挙の前は、死亡率が下がるそうです。大統領選は、アメリカ上げてのお祭り騒ぎですから、みんなが結果を知りたがるのです。0・ヘンリーの「最後の一葉」の話は、小説の中だけではありません。

 知り合いに、重い病気と闘っている人がいます。これといった有効な治療法はありません。もう、声でコミュニケーションすることもできません。私はただ、治るようにと祈るばかりです。

 でも、その人は生きています。確かに生きています。ストレッチャーに乗って外出もします。

 辛いことがあっても頑張って生きようなんて、今ここでは言う気はありません。私なんかには理解できないほどの苦しみを、あなたが持っているかもしれないからです。

 でも、「もうだめだ」なんてことはないと、私は信じます。きっとまだどこかに、かすかな希望があるはずです。「もうだめだ」と思わないことが、何かを生み出すはずです。

 わたしは信じ、そしてあなたのために祈るだけですが。


:以下にある2000年に連続した少年犯罪に関する考察は、『なぜ、少年は犯罪に走ったのか』(2000年11月碓井真史著KKベストセラーズNEW新書)にまとめられている。また、個々の事件については、事件の発生とその後の展開に合わせ、当再サイト内犯罪心理学・少年犯罪に記載されている。これらのページは、事件発生時に、ヤフージャパンのニューストピックスの関連サイトで紹介されている2002.3.8)

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WORDS(2001年版)

No.20 小さな幸せ

 
(2001/03/20)

今日、車の走行距離メーターが77777kmに。(証拠の写真はこちら) ちょっとウレシイ。と、まぁ日々生活してる中には小さな幸せがたくさん転がってます。蒼く冴え渡る空、すれちがった美女、美味い食べ物、電車で隣に座った美女、綺麗な夕陽、道を尋ねてきた美女、たまたまエレベータに乗り合わせた美女、偶然入ったレストランのウェイトレスが美女、新しくバイトで入ってきた子が美女 ・・・・・。と、このようにメチャメチャ感動的とまでいかなくても、小さな幸せが溢れてます。ね、溢れてるでしょ。溢れてるんだってばっ。心が健康的だと、こういったものが目に見えてきます。友達とくだらない話で盛り上がったり、訳もないことで笑ったり、とかね。こうしてみると、人生ってまんざらでもないですね。でも、心が弱ってくると、小さな幸せも見えなくなってしまいます。学校つまらない、会社つまらない、誰も自分を分かってくれない、愛してくれない、自分は意味のない存在だ・・・ って思い込んじゃう。ふぅ〜っ。俺が住んでいる町はとてもイナカで、海と山に囲まれてそりゃ不便極まりない。でも、海に沈む夕陽が見えます。そびえ立つ富士山も見えます。何もない町のようでも、こんな幸せが日常的に転がってます。素敵でしょ。ふふ〜ん♪でもね、どこに住んでいても夕陽は見えますよね。あなたの町で、最も夕陽が綺麗に見える場所って、あなたは知ってます?あぁ、言いたいのはそーじゃなくて。うつ病の人は、夜になると「今日できなかったこと」が気になって、全く眠れなくなると聞いた事があります。誰にでもそういった経験があるかもしれませんね。でも、そうではなくて「今日できたこと」を考えてみましょう。きっと、小さな幸せがあったはずです。とは言っても、落ち込んだ時ってそんなことサッパリ分からないのが事実。でも、小さな幸せが溢れてる事も事実。都会じゃ星も見えないと思っても、どの街の上にも平等に星は輝いてるはず、平等に太陽は昇るはず、でしょ。結局、「(誰かと)世界が違う」って線を引いてるのは、自分自身なんだよね。

 

 小さな幸せ 

2000年11月6日(月)

 デジタル時計が、11時11分。ワーイ、オール1だあ! 何となくうれしい。まあ、こんなつまらないことではなくても、生活の中には小さな幸せがたくさんあります。(たとえば、車の走行距離メーターがちょうど50,000kmとかネ。)

 美しい夕陽、きれいな虫の声、さわやかな朝のあいさつ。美味しいおかず。すれちがった美男、美女。小さな親切(してもらったり、こちらがしたり)。心温まるようなこと。ちょっと面白いこと。

 ものすごい感動的な出来事は、そう簡単には起らないでしょうが、私たちの生活には、小さな幸せがあふれています。

 心が健康なとき、良い人間関係に恵まれているとき、私たちの目には小さな幸せが見えます。たわいないことで面白くなり、たわいない話を家族や友人と楽しむ。人生は、まんざら捨てたものじゃない。

 心が弱ってくると、小さな幸せが見えなくなります。会社も学校もつまらない、だれも自分をわかってくれない。人生は無意味だ。だれも自分を愛してくれない。

 私が住んでいる新潟の夕陽は、感動的なほどすてきです。職場の廊下の窓から、日本海に沈む大きな夕陽が見えます。あまりきれいなときは、同僚達と一緒に、しばし夕陽見物です。

 あなたの町で、一番夕陽がきれいに見える場所はどこですか。

 もう何年も、夕陽が沈む瞬間なんか見たことがない人もいるでしょう。でも、あなたの町にも、夕焼けがあり、あなたの町にも、きっと夕陽を楽しんでいる人がいることでしょう。

 心の病気になった人が、だんだん回復してくると、ほんの小さなことですが、人に感謝する気持ちが湧いてきます。人の役に立とうという気持ちも湧いてきます。それが、回復のしるしです。そして、平凡な日常生活を楽しむことができるようになります。

 うつの人は、夜布団にはいると、今日できなかったことが気になって、眠れなくなります。でもそうではなくて、今日できたことを数えましょう。

 私たちのまわりには小さな幸せがあふれています。

 目を開けば、ほら、見える。

 心を開けば、ほら、感じる。

(そうはいってもねえ、落ち込んでいるときには、そんなのぜんぜんわからないんだよねえ。でも、わからないとしても、小さな幸せがあふれていることは事実です。都会では星は見えないけれど、どの町の上にもたくさんの星が輝いているのが事実です。)

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WORDS(2001年版)

No.22 頑張ったあなたへ。
 
(2001/04/09)


家族。当たり前のような家族という存在。家があり、父がいて、母がいて、子供がいる。でも、「家族」としての役割を果たしていない家庭もある。酒に溺れて働かない父。家族に暴力をふるう父。性的虐待をする父。浮気を繰り返して家に戻らない母。世間体だけを気にする母。父親の暴力から子供を守れない母。子供は必死に耐えている。家庭内にどんな困難や苦労があっても、ほとんどの人はなんとか乗り越えて生活してる。かなりめちゃくちゃな家庭でも、子供は必死に耐えてなんとか育っていく。子供の精神、心を大きく狂わせてしまう原因は、その子が家庭の問題を自分一人で背負い込んでしまう事。酔っ払って帰ってきた父の世話をする子。母の世間体を気にして優等生を演じる子。辛い気持ちや苦しい気持ちを押さえつけて良い家庭、良い家族を支え続ける子。父の暴力も母の浮気も、みんな自分が悪いんだと自分自身を責め続ける子。小さい頃から友達と遊んだりどこかに出かけたりといった子供時代を奪われて、大人になった今でも自分を責め続けていい人を演じ続けて、疲れ果ててやがては心が壊れてしまう。過食や拒食、対人恐怖、他人を愛せないといった苦しみや悲しみ。子供のうちは子供らしく、甘えたりわがまま言ったり、無邪気に遊んだり、いたずらしたりケンカしたり。そうやって子供時代を生きる事が人間にとって必要なんじゃないかな。これを読んでいる人の中にも、少なからずこんな思いをしてきた人がいるかもしれない。そんな人へ。あなたは今まで本当によく頑張ってきた。あなたが頑張ってくれた為、家族もバラバラにならなくてすみました。本当によく頑張りました。でも、もういいでしょ。今までこれだけ頑張ってきたんだから、もう休んでもいいでしょ。今度はあなたが幸せになる番です。まだ親や家族に縛られているかもしれないね。でも、親ももうそろそろいい年になるはず。あなたの方がだんだんと親よりも強くなっていくはず。これだけ頑張ってこれたんだから、あなたは親から自立できるはず。大丈夫。きっと深く傷ついた心も癒されるはず。あなたは悪くない。とても頑張った、とても立派に生きてきた。

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家族心理学01
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/1999/kazoku01.html

 1999年11月1日

 家族の心理学01

 不幸を背負わないで

機能不全家族

 家の建物があり、父がいて、母がいて、子はいるけれど、「家族」としての役割を果たしていない家庭があります。

 暴力を振るう父、酒浸りで働かない父、厳格すぎて子供をかわいがれない父、性的虐待をする父。浮気を繰り返して家にいない母、極端に干渉しすぎる母、父の乱暴から子を守れない母、世間体だけを気にしすぎる母。

 子供は、必死に耐えています。

 それでも、家の中に様々な困難があっても、たいていの人は乗り越えていきます。「親はなくても子は育つ」と言うように、かなりめちゃくちゃな親でも、子はきちんと育つものです。


私の子供時代を返して!

 心の問題を大きくしてしまうのは、その子が、その家庭の問題を自分で背負い込んでしまうことにあるかもしれません。

 泥酔した父の世話をする子。両親の期待に応えようと、優等生の演技をし続ける子。苦しい気持ちを押さえつけ、「良い家庭」を支え続ける子。父の暴力も、母の家でも、みんな自分が悪いのだと、自分を責め続ける子。

 子供のころから、楽しい子供時代を奪われ、そして、大人になった今も、自分を責め、良い子を演じ続け、そして、とうとう心が壊れてしまうこともあります。

 対人恐怖や、過食、拒食、人を愛することができない苦しみ。

 子供は子供らしく、甘えたりわがままを言ったり、無邪気にはめを外して、いたずらしたり。人は、子供のころには、たっっぷりと「子供時代」を生きることが必要なのです。


頑張ってきたあなたへ

 あなたは、本当によくやってきました。あなたのおかけで、家族はばらばらにならずに住みました。とっても頑張ってきたね。偉かったね。あなたを尊敬します。

 でも、もういいかな。これだけ頑張ってきたのだから、もういいかな。今度は、あなたが幸せになる番です。

 まだ親に縛られていますか。でも、親もそろそろいい年です。だんだんと、あなたの方が強くなっていくのです。

 大丈夫。あなたは親から自立でします。こころの傷はきっと癒されます。

あなたは悪くない。あなたはとてもりっぱにやってきました。



当サイト内の関連ページ:今のあなたの力で:インナーチャイルド 心療内科医・涼子 NO.7 水を飲み続ける少女(アダルトチルドレン)


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WORDS(2001年版)

No.26 恐れと自縛

 
(2001/04/25)

何かをする事。とても大切ですね。はい。そりゃそうだ。何もしなければ何も始まらない。その為にみんな勉強したり努力したりしてるんだし。でも、勉強もしたし努力もしたけど、何もしない人もいますね。何かをして、失敗してみんなにバカにされる事を恐れてる。失敗自体を恐れているのではなく、失敗した後の他人からの評価を恐れてる。ちょっと考えてみよう。何かをしようとして、迷って、悩んで、恐れてる時、本当は何を恐れてるんだろう。そりゃ誰だって失敗する事はイヤなはず。できれば何でも成功していい人生を送りたいと思うはず。誰だってそうだ。でも、大抵の事は失敗したとしても結果が破滅的になるという事はなかったりする。失敗した結果が、何もしなかった場合と実は同じだったりすることもある。何を恐れてるのかなぁ。やっぱり他人からの評価を心のどこかで恐れてるんだよね。バカにされるのを恐れて、はじめから何もしないで、はじめから諦めて、せっかくのチャンスを自分でつぶしちゃう。他人からバカにされるのは確かにイヤですな。実際にバカにされて傷つく前に「バカにされたらどうしよう」という不安が心を支配して、自分で自分を縛り付けてる。そんな事って多いよね。自分は何を恐れてるんだろう、何が不安なんだろう。ほかの人は何を恐れてるんだろう。結局、みんな同じ。他人の評価が気になる。他人からバカにされるのを恐れてる。そうやって、自分で自分を縛り付けて成功するかもしれない事も自分で捨ててしまっている。バカにされるかもしれないけど、やるだけやってみたらどう?何もしないで指くわえてるだけの方がよっぽどカッコ悪くて情けないと思うぞ。

今日の心理学(昨日、おととい、一昨昨日)

(以下の内容は、ウェブマスターの碓井真史がコメンテーターとして出演している地元新潟テレビ21の「いきいきワイド」でアップした直後に話している。 2002.3.8

● あなたは何を恐れているの? 

2001年2月2日(金)

 え〜〜(なんかちょっとシリアスな感じのするタイトルつけちゃいましたが)、子どもに買ってやった本で、「怪傑ゾロリ」というシリーズ本。キツネのゾロリの活躍をえがきます。

 でもって、その中の一冊。「地球最後の日」。小惑星が地球に衝突するっていう話。そんでもって、どうやって地球を救うかというと、ゾロリたちの「オナラパワー」(子どもはこの手の話が好き)。

 特別なオナラのできる人たちが、地球を救うために集まります。ところがその中の一人。パワーはあるのに、怖じ気づいて参加しようとしません。

 この人(人じゃなくてカッパなんですけど)、何を恐れていたかというと、失敗して、みんなにバカにされることを恐れていたのです。

 失敗自体ではなく、失敗した後の、人からの評価を恐れていたのです(物語は、もちろん、自信を取り戻した彼の活躍で、ハッピーエンド!)。

 さて、私たちはどうでしょう。迷い、悩み、恐れるとき、いったい何を恐れているのでしょうか。誰だって、失敗はいやですが、たいていのことは失敗したとしても、それ自体で破滅的なことになるわけではありません。(失敗した結果は、実は何もしなかったときと同じだけたったりします。)

 私たちが恐れてしまうのは、失敗した後の、人からの評価かもしれません。

 恐れて、始めもしないで最初からあきらめて、自らチャンスをふいにする。人からバカにされることは確かにいやだけれど、実際にバカにされて傷つく前に、バカにされたらどうしようという不安に心が支配されて、自分で自分を縛ってしいます。

 そんなことって、多いかもしれない。ああ、私は何を恐れていたんだろう。人は何を恐れているのだろう。


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No.27 パートナー

 
(2001/05/04)
ちょっと古い話かもしれんが。AIBOというロボットの犬を知ってますか?というより、知ってますね。うん。知ってるね、みんな。最近つーか、もうちょっと前の話だけどさ、ネコ型のヤツも発売されてたりして。こいつらが非常に良くできていて、とてもオモチャ(もうオモチャの域を越えてるけど)とは思えない仕上がり。そのかわりにメチャメチャ高価だけどさ。手軽なところでも1体数千円のモノ(AIBOではないぞ、念の為。)もあったりする。とにかくペットロボットなるものが売れているらしい。クラゲとか魚の形したペットロボット見たときはさすがに驚いた。動物を飼うという事は非常に手間がかかる。ウチでも猫を1匹飼っているが、たった1匹だけでも意外と大変。餌をやらなきゃならないし、トイレの始末もしなきゃならんし。夜中になるとにゃーにゃー鳴くし。はぁ、困ったもんだ。と、愚痴を言ってもしゃーないがな。ペットロボットはその手間がかからない。餌も散歩もトイレもなーんもしなくても構わない。相手するのが面倒なときはスイッチ切っちゃえばおしまい。でも主人の命令には忠実に動いたりする。頭をなでれば喜ぶし、叱れば大人しくなる。飼いならす事ができる訳だ。一昔前にペットが心を癒してくれるという話を聞いた事があるけど、今はそのペットがロボットになっちまいましたねぇ。優れた道具ですな。でも、実際にペットを飼っているからわかるんだけど、手間隙かけて苦労して育てるという事が大事であって、それはペットに限らず子育てもそうだし、ガーデニングもそう。そこに苦労した人の成長とか癒しといったものがあると思う。ペットロボットは結局お金で買える程度の癒し、お手軽な癒しや成長でしかない。(別にペットロボットの存在が悪いと言っているのではない。決して。)知ってる人も多いだろう、ホンダが開発した2本足で歩いて、しかもダンスも踊れるほどの人間型ロボット。あれはマジですごい。このまま技術が進歩して、いずれはペットロボットならぬ友達ロボットや恋人ロボットができるんだろうなぁ、なんて思った。でも、どんなに技術が進歩しても、人間の心を本当に癒してくれる、良き友達、恋人、家族、良きパートナーになるのはやっぱり人間だけだろうなぁ

今日の心理学(昨日、おととい、一昨昨日)

 以下の内容は、ウェブマスターの碓井が当時スクールカウンセラーとして勤務していた新潟市立木戸中学校において、教職員向けの「スクールカウンセラー便り」に掲載されている。

 さらに年度末(2001.3)には他の便りと合わせて冊子にして生徒と保護者に配布している。また、地元テレビ局BSN新潟放送のニュースの中で、コメントもしている。(2002.3.8)

● ペットロボットと心の癒し 

2000年 11月22日(水)

 ソニーの犬型ロボットAIBO(アイボ)新型の予約が開始されました。楽しいオモチャです。クラゲ型のロボットオモチャも好評です。数千円から、数十万円まで、いろいろなペット型ロボットが発売されて、人気を集めています。

 「いやしの時代」だからかもしれません。ペットは、心を癒してくれます。アメリカでは、アニマルセラピーは、りっぱな心理療法のひとつです。障害児や高齢者の心を、犬や猫やイルカがいやします。

 ただし、動物を飼うのは手間がかかります。そこで、ロボットの登場です。エサもいらない、散歩もいらない、マンションでも飼えるし、ウンチもしない。面倒になったらスイッチOFF。お手軽です。

 高価なペットロボットは、自律的に動き、飼い主の飼い方に応じて成長します。可愛がればなつくし、叱られたことはしなくなります。飼いならすことができるわけです。この相互作用が心のいやしにつながります。ファービー(おしゃべりするペットロボットオモチャ)で、自閉症児の治療が進んだという話もあります。

 ペットロボットは、楽しみと、心の慰めのための優れた道具です。しかし、本当は、ペットでも、園芸でも、子育てでも、大変な手間ひまをかけ、苦労するところに、育てる側の心の成長や癒しがあります。お手軽なペットロボットは、お手軽な癒しを与えます。

 ソニーやホンダは、新しい人型ロボットを発表しています。車ぐらいの値段で、商品化されるかもしれません。ペットロボットだけではなく、「友達ロボット」が登場する日もくるでしょう。しかし、人の心を癒し、人の真のパートナーになれるのは、人間しかいないことも忘れてはいけないと思います。

(地元ローカルテレビ局BSNの今夕のニュースで、上記のコメントが紹介されました)


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No.32 支配:手に入れる事 


 (2001/07/01)


(前略)

そうそう、お金ね。普通の人なら、金の心配しながら働くのはイヤじゃっ。もっと稼いで稼いで稼ぎまくって、お金たくさん手に入れて好きなようにしたい。って思いますね。そこでです。お金をたくさん手に入れる事は、本当にお金を「自分のもの」にしてるのかな?お金を好きなようにして、お金を支配してるのかな?世の中には、
お金の奴隷という言葉がぴったりな人、つまりお金を腐るほど持ってるのに、まだ稼ごう、稼ごうとする人もいます。生活するに不自由しないお金を持っているのに、お金に支配されちゃっている。お金を手に入れれば入れるほど、お金に縛られてしまっている。そうじゃないでしょ。大切なのは、「たくさんのお金を手に入れる」のではなく、「いかにお金を自分のものにするか」でしょ。貧乏な人でも、金持ちな人でも、お金に束縛されない生き方をしてる人はたくさんいます。お金の奴隷となった人との違いはなんなんでしょ。悟りでも開いちゃったのかしら?いや、そーじゃありませんがな。みんながんばってお金を貯めようとしてますよ。何が違うのかというと、お金を貯める事、働く事を楽しむ事ができる。お金大事だけど、一番大切ってワケじゃない。たくさん持ってればそりゃいいけど、別に無くなったから人生終わりってワケじゃない。そういうトコロなんですね、違いは。自分にとって、本当に手に入れる事はどういうことなんだろう?って、少し考えれば分かるはず。お金だけじゃないよ。お酒もそう。タバコもそう。車だって家だってなんだってそう。もちろん、彼氏、彼女もそう。自分にとって何が大事なのか、自分にとって「手に入れる事」とはなんなのか。ちょっと考えてみるのも悪くはないでしょ。

 

今日の心理学(昨日、おととい、一昨昨日)

● 自分のものに 

2001年1月22日(月)

 自分のものにする。好きなようにする。支配する。たとえば、金。お金、欲しいですよね。普通の人はそう思います。お金の心配ばっかりして、あくせく働くのはいやだ! お金をいっぱい手に入れて、好きなようにしたい。

 さて、お金をいっぱい手に入れることは、本当に金を自分のものにしていることでしょうか。金を好きなようにし、金を支配していることになるでしょうか。

 世の中、お金がないという意味で、お金に不自由している人もいます。でも、お金を有り余るほどに持っているのに、あいかわらず金の奴隷になっている人もいます。お金をもうたくさん持っているのに、まだお金に支配されているのです。

 金を得れば得るほど、金に縛られ、自由を失う人もいるでしょう。大切なのは、お金をいくら手に入れるかではなくて、真に金を自分のものとし、金から自由になり、金を支配することです。

 お金持ちでも、貧乏でも、金に束縛されない生き方をしている人はいるでしょう。特別な悟りを開いて、金のことをなんとも思わないわけではありません。ガンバってお金を貯めようとは思います。でも、働くことや貯金することを楽しむことができる。お金は大切だけれども、それが一番大切というわけではない。お金が増えればうれしいけれど、でも金を失ったら人生終わりというわけではない。

 お金だけではありませんけどね。お酒だって、酒は飲んでも飲まれるなって言うでしょ。お酒をどれだけ飲めるかとか、どれだけ自宅に酒があるかではなくて、飲む量に関らず、お酒を楽しむことができる人が、お酒を自分のものにしている人ではないでしょうか。

 アルコール依存症の人は、あふれるほどの酒を手に入れても、逆に酒に支配されてしまっているのです。


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No.33 うつ病と虐待

 
(2001/07/03)

鬱病(うつ病ね)。現代病とも言われてる鬱病。鬱の状態にある母親ほど、子供を虐待する割合が高いという話を聞いた。いつ頃の調査結果なのかは知らないけど、現在の母親の約1割に鬱状態が見られるらしい。また、子供を虐待する(した、の方がベターかも)母親の実に3割近くが鬱状態だったという。俺自身が経験がないのか自覚をした事がないのかわからないからよそから聞いた話になるけど、鬱状態になると自分がものすごく小さくて無力な存在に思えるらしい。そのうえ、自分が抱えている様々な問題がとても大きく見えるらしい。たまらんね、これは。無力な自分に絶え間なく付きまとう様々な問題。そりゃ苦悩の日々も続きますよ。もともと鬱病になる人はまじめな人が多いんだって。そのまじめさ故に、鬱病になって家事とか子育てとかがうまくいかなくなると、ますます自分を責め立ててストレスばかり溜まっていく。この繰り返しらしい。で、ストレスが溜まり続けて爆発すると、子供の虐待という形になるのだろう。そんな事をしていても、やはり親だから、「子供にひどい事をしてしまった」と、また自己嫌悪に陥り、さらにストレスが溜まる。ホント悪循環という言葉がぴったりあてはまる。ここまで書くと分かる通り、疲れとかストレスが溜まると鬱状態が悪化しますね。大切な事は、自分をいたわる事。無理をしない事。そうだよね。完璧な母親、理想の母親なんて目差さなくてもいいじゃん。俺の母親は(母親を馬鹿にする訳ではない。決して。)手を抜く時は思いっきり手抜きしてました。家事はもちろんこなしてたけど、昼寝もしてたし食事作るの面倒だからって「どこかで食べてきて」なんて言ってたりもした。それでも俺は育ってきたからねぇ。大丈夫、子育てなんかは多少手を抜いても、子供って結構しっかり育つもの。というように多少はいい加減に考えられない?もっとも、鬱になった人が元気になるのが一番なんだけどね。人間の感情には波があるから、今は悪くてもいずれは良くなるでしょ。自然と鬱状態も良くなるかも。鬱の状態から抜け出すには、ゆっくり休む事。 これを読んでくれた全ての母親へ:「理想の母」を目差しても、ちっともいい事ありません。同じように、「よい母」を目差す事も。一番いいのは「ほどよい母」だと思います。よい親子の関係の為にも、よい子育ての為にも、あなたの健康の為にも、「適度な良さ」が一番だと思います。子供から見たら、「完璧な母」っていうものは息苦しいと思いますよ。子供に対して、優しいところもある。怖いところもある。時間をかけて料理をする事もあれば、思いっきり手を抜く事もある。失敗だってする事もあるでしょう。子供の事は好きだけど、憎たらしく感じる事もあるでしょう。誰だってそんなものだと思いませんか?最後にもう一度。一番よいのは「ほどよい母」だと俺は思います。
今日の心理学

● 「うつ」と「虐待」と、「ほどよい母」 

2001年6月6日(水)

今日の報道によると、「うつ状態」にある母親ほど、子供を虐待する割合が高いそうです。「うつ」は、現代病といえるほど流行っています。今回の調査では、一般の母親の1割に「うつ状態」が見られ、子供を虐待している母親では、3割が「うつ状態」にありました。

うつになると自分が無力で小さく思えます。一方、目の前の問題はとても大きく見えます。もともとうつになる人はまじめな人が多いのですが、うつのために子育てや家事がうまくいかなくなると、ますます自分を責めて、ストレスがたまります。

 そのたまったストレスが爆発すると、子供への虐待となるのでしょう。そして、子どもにひどいことをしてしまったと、さらに自己嫌悪に陥り、悪循環から抜けられなくなってしまいます。

 さて、大切なことは、自分をいたわることです。疲れがたまると、うつ状態は悪化します。無理はいけません。完璧な母親なんかを目指す必要はありません。理想の母になんかなれなくてもOK! 大丈夫、大丈夫、子育てなんか多少手を抜いても、子どもはしっかり育つものです。

そんないい加減には考えられませんか? もちろん、あなたが元気になれるのが一番いいでしょう。感情には波があります。今は悪くても、またきっと良くなります。うつはいずれ去っていきます。

 必要があれば、病院で薬をもらいましょう。よく効く薬もあります。あなたが早く良くなるために、今はゆっくりじっくり休みましょう。きっと良くなっていきます。


「理想の母」などを目指すと、良いことはありません。「良い母」を目指すのも、場合によりけりです。一番良いのは、「ほどよい母」です。あなたの健康のためにも、より良い親子関係、より良い子育てのためにも、適度なほどよさが一番です。(「完璧な親」なんて、子どもから見たら息が詰まっちゃうでしょ)

子どもに対して、やさしいときもある、怖いときもある。時間をかけて料理をすることもあれば、手を抜くこともある、しょっちゅう失敗する。子どもが大好きだけど、時には憎たらしく思うときもある。

みんな、そんなものです。そして、そんな「ほどよい母」が、結局は一番良いのです


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WORDS(2001年版)

No.35 勝たない、負けない

 
(2001/07/08)

あぁ、オメェすげームカつくんだよっ。とか思った事ってあるよね。別に口にしなくても、誰でもあるでしょう。何か悪口を言われたとかヘンな事されたとか邪魔されたとか。やられたらやり返してやりたいって誰でも思うよね。やられっぱなしじゃ自分の気が済まないし、やり返す事が自分の正義であって、それが相手の為にもなると思う事も。とにかく相手に勝たないと。で、ここでシミュレーション。あなたの悪口を言ってくる人がいます。乱暴な言葉やありもしない話であなたを馬鹿にしてきます。はい、あなたも言い返してみましょう。相手よりももっと乱暴な言葉で。相手よりももっと大声で。相手に勝つには、あなたが相手よりもっと強くなければね。乱暴な言葉にはもっと乱暴な言葉で、大声にはもっと大きな声で、下品な悪口にはもっと下品な悪口で、失礼な態度にはもっと失礼な態度で、イヤミや皮肉にはそれ以上のイヤミや皮肉で。どんどん相手にお返ししてあげましょう。でも油断しちゃダメ。相手はいつもあなたを馬鹿にしてくる、いわば達人です。戦いなれてるし、あなたよりもずる賢い。多少の反撃じゃ、もっと強烈なお返しがあなたを襲います。だから、相手に勝つためには頑張って相手のもっと上、さらにその上を行きましょう。もっと乱暴な言葉で、もっと大声で、もっと失礼な態度で。さて、冷静に考えて見ましょう。これでは相手と同じ事をしてるだけですね。あのイヤミなヤツと一緒です。少なくとも、周りの人からはそう見られてるはず。イヤミな人間2人が、同じ種類の人間が醜く争ってるな、と思われます。そう思われてもあなたはいいのですか?もっとも、あなたがどんなに頑張っても、ほとんどの場合は相手の方が上手。まず勝つ事ができませんね。はっきり言って負けは目に見えてます。そうだとしても、必死になって戦って勝ったと仮定しましょう。その時、あなたは相手の激しい恨みを買うでしょうねぇ。もともと乱暴でイヤミなヤツが、この次はもっと乱暴でイヤミなヤツになってあなたを襲うのです。あなたはそれに耐えるか、また戦わなければならないのです。「そんなのはイヤだ」「アイツと同じ人間にはなりたくない」「誰の恨みも買いたくない」そう思った人は、別の方法を。戦う事をやめましょう。相手と同じ方法で、真正面からぶつかる事をやめましょう。どうせ勝てないし、勝ったとしても人間関係がおかしくなるだけ。戦う事をやめる為には、相手に「勝とう」と思わない事。相手に勝とうとするから、後々の人間関係がめちゃくちゃになっちゃう。でも、やられっぱなしじゃ話にならない。負けっぱなしで潰されたり、退学や退職に追い込まれても困りますね。だから、負けない工夫を。例えば、あなたの上司がとてもイヤミですぐ怒る人だとします。が、そういう人のほとんどは仕事熱心で、それが災いしてあなたにきつく当たっているのです。本当は悪い人ではないはず。もし怒られたら、まずは相手の話を素直に聞きましょう。聞いていない態度をとると、相手はますます怒ります。下手に口答えをすれば、相手の怒りに火を注いでしまいます。でも、怒られっぱなしで俯いてばかりとか、小さくなって目に涙を浮かべたりしたらダメ。その時点で負けは決定。弱いところを見せれば、あなたの価値は「人間性を無視して怒られても当然の存在」と決め付けられ、次からも怒られるだけになってしまいます。話を聞く時は前を向いて、しっかり相手の話を聞きましょう。そして、相手が怒っている理由を理解するように。起こられながらも黙り込まないで「すいません」「気をつけます」という謝罪の言葉を口にしましょう。謝っているのだから、相手からもそれで怒られる事はないし、怒られても負けません。相手も怒鳴り終わった後はきっと冷静になるでしょう。そこで、あなたの言い分、あなたの事情をしっかり説明しましょう。あなたなりに仕事に熱心に取り組んでいるという態度を示しましょう。相手は仕事熱心だから、きっと理解してくれます。イヤミを言う人は、あなたにハッキリ文句を言う度胸のない人。「言いたい事があるならハッキリ言ってくれ」と相手に言えば、「いや、そういうワケじゃないけど・・・」と言うはず。相手に勝とうとしても、人間関係を悪くするだけ。相手に勝とうとしない、でも負けない努力を。

当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」/いやしの道/

勝とうとしない(人間関係の心理)
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/1999/makenai.html

勝とうとしない、でも負けない
人間関係の心理

1999年6月1日

 やられたら、やり返したい。誰だってそう思います。そうしなきゃ気が済まないし、それが正義だ、相手のためだとさえ思います。では、どのように戦い、勝ちましょうか。

 あなたを乱暴な言葉でばかにしてくる人がいたら、こっちも言い返してやりましょう。もっと乱暴な言葉で、もっと大声で。戦って勝つためには、相手と同じ土俵にあがり、相手よりも強くならなくてはなりません。

 大声には、もっと大声。下品な悪口には、もっと下品な悪口。失礼な態度には、もっと失礼な態度。イヤミには、もっとイヤミな言葉。皮肉には、もっと皮肉たっぷりなお返しをしてやりましょう。

 油断はできませんよ。相手は、いつもそんなことばかりやってますから、かなり上手です。横暴で、ずる賢いやつです。あなたが多少の反撃をしても、もっと強烈な、しっぺ返しが返ってきます。だから、勝つためには、がんばって相手の上を行きましょう。もっと、乱暴で失礼で横暴な態度でいきましょう。

 でも、おやおや、それでは、あのイヤなやつと同じことをしていることになってしまいます。少なくとも、周りからは、そう見られます。同じ種類の人間だと。イヤな人間が二人、みにくい争いをしていると。そう思われても、かまいませんか。

 それに、あなたが無理してどんなにがんばっても、たいていの場合、相手の方が上手です。なかなか勝てません。負けます。それでも、必死にやって、なんとか勝ったとましょう。その時には、相手の激しい恨みを買います。もともと乱暴でイヤミなやつが、次回は、いつも以上の怨念と復讐心に燃えて、あなたに襲いかかります。この準備もお忘れなく。

 さて、そんなのはいやだ、あいつと同じ人間には成り下がりたくない、恨みを持たれたくないとお思いでしたら、別の方法でいきましょう。戦うのをやめることです。少なくとも同じ方法で正面からぶつかるのは、やめましょう。勝てないし、勝ったとしても人間関係がこじれるだけです。

 戦うのを止めるためには、「勝とう」と思わないことです。相手に勝とうと思うことが、人間関係をこじらせます。人間関係をよくするコツは、勝とうと思わないことです。でも、だからといって、やられっぱなしでは困ります。あなたが負けて、つぶされて、退職に追い込まれたりしたら困ります。だから、負けない工夫をしましょう。

 あなたを怒鳴りつける上司は、ちょっと乱暴な人ですが、実はたいていの場合は、それほど悪人ではないのです。頑固で融通はきかないけど、とても仕事熱心だったりするんですよね。

 怒られたら、一応素直に聞きましょう。まともに聞いていない態度をとると、ますますしつこく激しく怒られます。下手に口答えすると、怒りに火を注ぎます。でも、怒られながら、うつむいて、小さくなって、目に涙なんかためていたらダメです。それでは負けてしまいます。「私は、あなたに人間性を無視されるほど怒られても当然の人間です」と相手に伝えることになります。あなたは、次の機会でも、怒鳴りつけられるだけです。

 きちんと前を向き、しっかりお説教を聞きましょう。怒っている理由をきちんと理解していると、相手に分かるようにしましょう。そして、怒られながらでも、口を開きましょう。「すいませんでした」「以後、気をつけます」 謝りの言葉ですから、相手からも怒られません。何にしても、口を開くと勇気が湧いてきます。怒られても、負けません。

 ひとしきり怒鳴った後は、相手も冷静になるでしょう。そうしたら、こちらの事情もきちんと説明しましょう。あなたも、あなたなりに仕事に熱心に取り組もうとしていると、わかってもらいましょう。怒鳴り付ける上司は、仕事熱心な人ですから、仕事に意欲的に取り組む人のことは好きなのです。あなたの能力と意欲を知れば、意外と仲良くなれるかもしれません。

 いやみを言ってくる人は、面と向かってハッキリ文句を言う度胸のない人です。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってもらいましょう。「それは、私の意見に反対ということですか」こんなふうに言うと、たいていは、「いやあ、そういうわけじゃあないけど...」などと言ってごまかすでしょう。

 ただし、相手に恥をかかせるのが、目的ではありません。相手に勝とうとして攻撃しても、人間関係が良くなることは、めったにないでしょう。相手に勝とうとは思わない、でも負けないための努力をする、これが人間関係のコツです。


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WORDS(2001年版)

No.36 思うように?
 

(
2001/07/15)


人間と言うのは、本来「自由意志」を持っているのが普通。と言った所でよくわからないかもしれないので、簡単に言います。みんな、自分の意思で生きている。今日は何をしようか、どこに行こうか、何を食べようか、誰と会おうか、全て自分の意思で決めてるでしょ。奴隷でもない限り、誰だってそのはず。タバコ吸うのも酒飲むのも学校や仕事さぼるのも、本人の意思でそうしてるはず。飲みたいと思った時に飲み、言いたいと思ったら悪口でも言い、たとえ単位が足りなくてもさぼりたいと思えばさぼる。どんなに荒んだ生活をしてる人だって、それは自分の意思でそうしてるんであって、きっと「自分の好きなようにやって何が悪い。」と言うはず。そりゃそうだろ。でも、そういう生活をその本人が本当に望んでるの?本人が本当に求めてる生活なの?何かイヤな事があって、それを忘れようとして酒飲んだりタバコ吸ったり、お金が欲しいから売春したり、物が欲しいから万引きしたり。本当にその生活を望んでたの?誰だって「いい生活をしたい」「幸せになりたい」「愛されたい」と思うだろう。誰だって幸せな生活を願ってるはず。でも、辛い事や悲しい事があって心が不安定だったり傷ついた時は、「自分に幸せなんていらない」とか思っちゃう。やけになったりして、自分なんてどうでもいいと思っちゃう。そういう時だからこそ、思いのままに行動しちゃうんじゃなくて、本当の自分っちゅーものに気付いて欲しいと思う。酒やタバコをやめられない人、いますね。「絶対にやめてやる」とは言うものの、気付けば普段どおりに酒やタバコに手を出しちゃう。「今日はやめておこう」と思って実際にやめられる人は正常です。が、どんなに決心してもやめられないという人はある種の依存症−ここで言えばアルコール中毒やニコチン中毒と言う事になる。仕事でも、「今日は定時になったら帰ろう」と思って実際に帰宅できるのだろうけど、周りの人がまだ仕事してるから、とか周囲の評判を気にしてか、ついつい残業をしてしまう。なぜでしょう。始めに話したとおり、人間は自由意志を持っていて、自分のやりたいようにする、そういった生き方が楽しいと感じるもの。でも、酒やタバコは一種の薬物であって人間の自由を奪っているのが現実。好きで酒を飲んでいる、好きでタバコを吸っている、そう見えても、実際には薬物の奴隷になってしまっているのだ。酒やタバコだけじゃない。本当はみんなと楽しく話したい、楽しく遊びたい、交流したい。そう思っていても、誰かの悪口を言ってしまったり、バカにしてしまったり、そうする事で自分を守ろうとしてしまう。自分の中の弱い心をかばってしまう。その瞬間は妙な優越感に浸れるんだけど、そんなものは一瞬しか続かなくて、すぐに優越感なんて無くなっちゃう。で、この一瞬の優越感が欲しいだけに、誰かを傷つけて自分を守ろうとしてしまう。一種の依存症ですな。本当はそうじゃないでしょ。本当は何がしたいの?どうなりたいの?本当の願いは何なの?本当の自分らしさを表す、誰とでも暖かい交流ができる。仕事も勉強も趣味も人間関係も、本当の自分をさらけださなけりゃうまくいかないと思う。大事なのは「自分の思うように」ではなく、「自分が願うように」でしょ。 補足:なんでこんな話したかっていうとね。ちょっと思い当たるフシがあってね。今まで自分だけは「自分が願うように」生きてきた、って思ってたんだけどさ、エラそうな事言ってても実は誰かを傷つけてた、自分を守る為に他の誰かを傷つけてた、本当は守るべき人に守られてたんだなぁ。って気がついただけ。いや、ね、タマにはこんな風に思う事もあるのよオッチャンも。

心理学総合案内「こころの散歩道」/いやしの道/

思うようにではなく、願うように
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/1999/negauyouni.html

(下記の内容は、ウェブマスター碓井真史著ふつうの家庭から生まれる犯罪者 主婦の友社 2001.9.28発行にも記載されている。2002.3.8)

「思うように」ではなく「願うように」

2000年4月28日

 「禁煙なんて簡単だ、その証拠に、私は今まで何回も禁煙してきている」

 誰かが言ったウイットに富む言葉です。やめようと思えばいつでもやめられる、そう思いながら、ずるずると深みに入りやめられなくなることはよくあります。

 たちは、自分の意志で生きています。奴隷でもないかぎり、今日何をするか、何を食べるか、自分で決めています。自分で飲みたいと思った酒をのみ、言いたいと思った悪口を言い、さぼりたいのでさぼります。自分の思うように生きています。荒んだ生活をしている人だって、「自分の好きなようにしているんだ、ほっといてくれ」というでしょう。

 思うように生きている、でもそれは、本当にその人が願っているような生き方なのでしょうか。

 苦しいことがあって、やけ酒を飲む、飲みたいから飲んでいるのですが、そうすることを願っていたのでしょうか。自分の思うままに、自分から進んで万引きしたり、売春したりする。でも、そういう人生を本当に願っていたのでしょうか。

 人はみんな幸せを願っています。

 こころが弱ったり、傷ついていると、幸せなんかいらない、自分なんてどうなってもいいなんて言いますが、こころが元気になって、素直になれれば、自分の気持ちも見えてきます。

幸せになりたい、

愛されたい、

やりがいのある仕事をしたい。

 やけになったり、いじけたりした、その時々の思いのままに生きてしまうのではなく、自分の本当の願いに気づいて欲しいのです。

 じめっ子のカウンセリングをしている人から聞きました。

 その札付きのいじめっ子は、説教されても体罰を受けても、せせら笑うだけで反省しませんでした。でも、その子のこころを受け入れてあげたとき、いじめっ子は涙を流し、「もう、いじめなんかやめたい」と語りました。

 床心理学や精神医学的に言うと、酒、たばこなどを、「今日はやめておこう」と思って実際に今日はやめることができれば、病的ではありません。でも、どんなに今日はやめようと決心しても、いつものようにやってしまったちうと、病的な依存症(いわゆるアル中やニコチン中毒)が疑われます。

 今日は提示に帰宅しようと思えば帰宅できるのか、そうしたいと思っても、周囲の評判などを考えてついサービス残業してしまうのか。

 来、人は、自律し、自由意志を発揮するものです。そういう生き方が楽しいと感じられるように人間はできています。

 でも、酒やタバコや様々な薬物が、自由を奪うことがあります。好きで飲んでいるように見えても、実際は薬物の奴隷です。

 こころの中の深い傷が、自由を奪うこともあります。一見、自由に思うままに行動しているように見えますが、実は、本当の願いとは反対に、自分をさらにダメにするようなことをしないではいられないのです。

 当は、みんなと温かな交流を持ちたいと心の底では願っているのに、こころが健康でないと、誰かの悪口を言ったり、誰かをバカにすることで、自分の弱いこころを守ろうとしてしまいます。

 その時は、ほんの少し、優越感を感じますが、すぐにまた、こころの満足感は消えてしまいます。依存症になってしまうほどの歪んだ形の、薬物やギャンブルやセックスや仕事熱心も、一時の満足感を与えるだけです。

 うではなくて、自分の本当の願いはなんでしょう。本当は、何をしたいのでしょう。本当は、どうなりたいのでしょう。

 本当の自分らしさを素直に出すことができる、そして、人との温かい交流をもって、仕事も人間関係も、趣味も嗜好品も、本当の意味で自由意志をもってすることができる。

これが、心理学が考える、ひとつの目標なのです。

「思うように」ではなく「願うように」

だいじょうぶ。

きっとあなたも、本当のあなたの願いが見え、

本当の自由を手にすることができます。


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WORDS(2001年版)

No.38 生きる為のいい加減さ
 

(
2001/07/24)

(前略)

心の調子がいい時は、これだけ事件や犯罪が多い世界でも元気で生きていける。が、心が弱まると世界のあやふやさに耐え切れず、そのままの状態が続けばやがて
潰れてしまうだろう。心が元気な時は、苦しいことや辛いことがあっても「まぁなんとかなるだろ」なんて考えられる。そのうち楽しいこともあるだろ、なんて考えられる。でも、心が弱まると、人生に明確な答えなんてないのに「0か100か」とか「白か黒か」とか「生か、死か」なんて考えちゃう。最近、自分の子供を虐待する親が増えてる。幼児虐待をする親の中には、「子供にとって100点満点の親じゃなくちゃいけない」「絶対子供を殴っちゃいけない」と考えて自分を追い詰めている人がいるでしょう。そういう人は、何かの拍子に子供を殴ったりしちゃうと、今までピーンと張ってた緊張の糸が切れて、子供を虐待する親になっちゃう。幼児虐待だけじゃないよ。受験に失敗した人や、会社を首になっちゃったりして、自殺を考える人もそう。そういう人たちって、「失敗しても大丈夫」って思えないから、何がなんでも完璧じゃなきゃいけない、常に100点満点じゃなきゃいけないと考え込んじゃう。別にいいんだって、失敗したって。それに、周りの人も失敗した時に寄り添ってあげないとダメです。しっかり支えてあげないと、その人は潰れちゃいます。ここまで読んで、「でもやる事はしっかりやらなきゃダメだろ」と思う人もいるかもしれません。そりゃそうだけどね。でも、テレビの生放送を考えてみてよ。生放送は編集なんて効かないから、放送時間内にキッチリ終わらせなきゃいけない。秒単位で仕事が進み、誰一人として途中で仕事を投げ出すことなんて許されない。それでもアクシデントはつきもの。テレビ見てても気付かないアクシデントなんてザラにあるそうで、その度にスタッフは裏で駆け回ってるそうです。スタッフや出演者自身の失敗もたくさんあるでしょうねぇ。それでも完璧な番組じゃなきゃダメだって事ないでしょ。アクシデントがあっても、番組を中断することなんてなく、最後までみんなでがんばって「それではまた来週」なんつってキッチリ時間内に終わらせてる。これが現実です。キッチリやる為にも、ある程度のいい加減さが必要なんだな。いい加減といっても、ずっと手を抜いていいとか、質を落としていいという事じゃないよ。ある程度の柔軟性が必要だという事。テレビでさえこれだけアクシデントがあるんだよ。人生なんてよく考えてみたらアクシデントの連続で、それでもなんとか乗り越えていく、でしょ。世の中には分からない事なんてたくさんあるのが当たり前。でも、そうだからこそ生きていくのが楽しいんだと思う。カタヒジ張ってないで、もっと気楽に生きてみようよ。もっと適当に生きてみようよ。と思うのだが。

● 0か100か、白か黒か 
その2

2000年12月15日(金)

きっちり生きるための「いい加減さ」

 心が弱くなってくると、0か100か、白か黒かと考えてしまう。たとえば、幼児虐待をする母親の中には、絶対に子どもを殴ったりしてはいけない、100点満点の母親でなくてはいけないと、自分を追いつめている人がいます。そして、何かの拍子に一度子どもを殴ってしまうと、緊張の糸が切れて、子どもを虐待する親になってしまうわけです。

 入試に落ちたり、会社を首になって死を考える人も同じですね。

 さて、それではどうしたらそれを防げるか? ポイントは、「失敗しても大丈夫」と思うことでしょう。周囲の人も、たとえ失敗しても寄り添い支え続けてあげることが必要です。

 そうはいっても、やっぱり物事はしっかりやらなくてはいけないと思う方もいるでしょう。(この話、実は一昨日新潟ローカルテレビ局の生番組で話したんですけどね)テレビの生番組は、とってもきっちりした仕事が求められます。秒単位で仕事が進みます。途中で仕事を投げ出すなんて、絶対に許されません。

 生番組にアクシデントは付きものです。視聴者がぜんぜん気づかないときでさえ、実はスタッフはドタバタやっています。失敗だって、たくさんあるでしょう。

 でも、ノーミスの100点満点でなければ絶対だめだ、少しでも失敗したら番組は中断だなどとは誰も考えません。途中でいろいろあっても、なんとか最後までやって、「それではみなさん、また明日」ときっちり明るく終わります。

 きっちりやるためには、ほどよい「いい加減さ」が必要です。それは、手を抜けとか、質が下がっても良いということではありません。しっかりきっちりやるためには、「柔軟性」が必要だということです。

 私たちの人生は、テレビの生番組以上に、アクシデントが起こるでしょう。柔軟に、しなやかに、生きていけるといいですね。


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WORDS(2001年版)

No.40 仕事と命

 
(2001/08/10)

テレビを始めとしたマスコミで子供の自殺が取り上げられる事がありますね。それも大々的に。でも、知ってます?子供の自殺より中高年の自殺件数の方が圧倒的に多いって。推測だけど、中高年の自殺は件数が多すぎるという事と中年のサラリーマンが自殺したという事ではニュースにならない・面白みがないという理由で報道されないのであろう。バブル崩壊後の長い不況の中、身近にリストラの危険を感じながら日々ストレスと仕事の山に囲まれて生活。そりゃ過労にもなるわ。この状態が続くと自殺の準備状態になってしまい、やがて鬱病になって最悪の場合は自殺してしまう。中高年の自殺者なんですけどね。そのほとんどが、人付き合いがニガテで働く前から自殺を口にしていたような人ではなく、どちらかと言うと努力家・頑張り屋で活動的で仕事熱心な人だと言う。ここまでくればわかると思うけど、適当に仕事をさぼればいいけど、それが許されない環境にあったとか、自分の中で仕事をさぼる事が許されない、強い責任感なのかある種のプライドなのか、こういった人達が過労の果てに自殺してしまうケースが多いらしい。人間、仕事でも何でも、疲れてくると体調崩して病院に駆け込むのが普通なんだけど、こういった人達って仕事熱心だから休みをまずとらない。ゆっくり休暇が取れないから、体調もなかなかよくならない。厄介ですね。で、はっきりと鬱の状態が出てれば、周りの人達も気付くんだけど、どういう訳か体がボロボロになっても心がボロボロになっても弱い所を見せようとせずに頑張っちゃう。ねぇ、そんなに仕事熱心で本当にいいの?死んだら何にも意味ないと思わない?この世間一般でいう過労死は、日本では話題になるけど海外だとそうでもないらしい(ちなみに、「KAROHSHI」と言う言葉は欧米諸国でも通用するらしい。末恐ろしい話だ)。じゃ、欧米人は働かないの?と思うけど、もちろん働いてる。ただ、そのお国柄というものも多少影響しているのかも。定時になったらスグ帰れる国もあると思うけど、日本なんかは定時を過ぎてもみんな仕事してるからとてもとても帰れない。帰るにしても、仕事してる人に「すいません」なんて謝りながら小さくなってるのが現実だろ。日本というのはそういう国らしい。でも、どの国だって猛烈に働いてる人はいますがな。ヨーロッパやアメリカの人達だって、俗に言うエリートはものすごい働きぶりらしい。ただ、彼らは自分の仕事に誇りを持ってる。自分の仕事にやりがいがあって、好きで働いてると言う。アメリカなんかじゃ働いたら働いた分だけ収入も上がり、自分だってステップアップしていける。アメリカンドリームという言葉はウソではないのだよ。同じ働くにしても、自分の意思で、自由意志で働いているのと、会社や上司の命令で仕方なく働いてるのでは全然違います。もちろんストレスの溜まり方も。職場の事情、会社の方針や雰囲気で仕方なく長時間働いたり、サービス残業したり、必要以上の責任感や義務感やリストラの不安がつきまとうという環境で働き続ければ、必然的にストレスも溜まり、心も体もボロボロになってやがては過労死、過労による自殺という結果になってしまう。そりゃ仕事ってのは甘いもんじゃないよ。やる事はやらなきゃメシも食えない。でも誰かにやらされていると思うのではなく、どんな時間も自分の時間と割り切ったり、仕事にやりがいが見出せたり、自由な意思で働く事ができたら、きっと過労死とか過労自殺なんてなくなるんだろうね。仕事に命をかけるのではなく、命を大事にしながら仕事をする。そのためにはたまに仕事をさぼるのもいいんじゃないの? 補足:実は、こんな話をするのはある人に「働きすぎだよ、休みなさいよ。」と散々言われてね。あんまり仕事しすぎるのも良くないって分かってるけどさ、でも仕事回されて働かざるを得ない状況だから、せめてこーやって文章に残しとけば後々になって「あ、働きすぎてるから休もう♪」って思えるからねぇ。っつーかムリしないようにします。はい。

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自殺と自殺予防の心理/

過労自殺 1999.7.15


過労自殺

命を大切にして働こう


 人事院は、自殺(過労自殺)や精神疾患の公務災害認定で指針を出し、遺族補償を迅速化しようとしています。99.7.15

 子供が遺書を残して自殺したりすると、大きく報道されますが、実は、中高年の自殺の方が、数はずっと多いのです。数が多すぎるし、中年サラリーマンの自殺(過労自殺)ではニュースとして面白みがないので、あまり報道されないのかもしれません。

 不況とリストラの嵐の中で、大きなストレスを受け、疲労がたまり、「自殺の準備状態」が高まります。ときには「うつ病」になり、自殺してしまいます。

 事例を見ると、人間関係が苦手で、就職前から自殺を口走っていたような人ではなく、むしろ頑張り屋で、活動的な人たちの中で、過労自殺が見られます。

 適当にさぼれればよいのですが、それが許されない環境であったり、その人の有能さや、責任感が、休息を許さなかったのかもしれません。

 過労自殺者の多くは、自殺前に体調を崩し、内科を受診しています。しかし、ゆっくりと休暇を取り、体調を戻すことはできません。精神的に弱っていても、なかなか気づかれないようです。

 はっきりと、うつの症状が出ている場合ならば、まだ発見しやすいのですが、心の中がぼろぼろになっても、それでも弱さを出さず、頑張っている人たちがいます。

でも、死んでしまっては仕方ありません。

「命を懸けて働く」のではなく、「命を大切にして働きましょう」(川人博 著 「過労自殺」岩波新書 1998)

 川人は、過労自殺を防ぐために、職場のゆとり、心のゆとり、適切な医学的援助などを勧めています。


どうして、日本だけ、過労死や過労自殺が話題になるか

 

私の研究テーマから考えると、「自己決定」が重要だと思います。

 過労死という言葉は、KAROSHIとして、欧米でも通用するそうです。では、欧米人は、あまり働かないのでしょうか。確かに、各国のお国柄はあるでしょうね。職場のルールも違うでしょう。

 5時になったらサッと帰れる国と、とてもとても帰れないし、帰るにしても「すいません、すいません。」と小さくなって帰る日本では、ずいぶん違うでしょう。

 しかし、どの国にも、猛烈に働いている人はいます。アメリカでも、エリート達は、ものすごく働くそうです。ただし、彼らは好きで働いています。やりがいをもって働き、働けば働いただけ、収入が上がり、ステップアップしていく。エリート達は、こうしてアメリカンドリームを実現していきます。

たくさん働くにしても、自分自身の自由な意志で、自己決定して働いているのです。

 同じだけ、頭や体を使っても、進んで働くのと、仕方なく働くのでは、ストレスが大きく違います。

 職場の事情で、いやおうなく長時間働いたり、必要以上の義務感や、過度の責任感や、リストラへの不安で働き続けるとき、ストレスがたまり、心は病み、過労死や、過労自殺がやって来るのです。

 仕事は、甘いものではないでしょう。しかし、労働環境の改善とともに、私たちの心が癒されて、自由な自己決定で働けるとき、やりがいが生まれ、過労死も過労自殺もなくなり、結局は仕事の能率も上がると思うのです。

 あなたの職場も、あなたの心も、そうなれるように、祈っています。

(ああ、それから、私たちみんなで協力して、必要なら一緒に戦っていかないとね。)


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WORDS
(2001年版)


No.44 「なぜ」ではなく「何のため」に

 
(2001/09/09)

人間って、何か問題が起こったときに、「なぜそれが起ったのか」と考えちゃうよね。大きな事故にあったり、家族が大病にかかったときなど、なぜ私たちの家族がこんな目に合わなくてはいけないのって考えちゃう事ってあるよね。生まれつき障害のある子を持ったお母さんは、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと、つい考えてしまうと言っていました。でも、「なぜ」を考えても、何か良いことがあるのかな。医学や物理学では意味があるかもしれない。原因を考え、原因を取り除き、問題が解決することもあるかもしれない。でもさ、人の心や人生は違うでしょ。悪い出来事が起きたときに「なぜ」を考えると、たいてい悪いことしか思いつかない。ますます暗くなっちゃう。どうしてこの子が暴力を振るうのか、学校へ行けないのか。親の育て方が悪かったのか。もしかしたら、それも原因の一部かもしれない。でも、タイムマシンで昔に戻ってやり直す事なんてできないよね。「なぜ」を考え原因を探ると「犯人探し」が始まっちゃう。「家族がめちゃくちゃになったのは、乱暴するこの子が悪いのだ。」「この子が乱暴になったのは、母親の育て方が悪かったのだ」「夫が悪い」「姑が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」とかね。でも、「犯人」を探し、その人だけをみんなで責め立てても問題は解決しない。「この問題は、私たちみんなの問題だ」と考え、みんなで協力し始めたとき、問題は解決へ向かうと思うんだ。心理療法の一つに、家族みんなが集まって行う「家族療法」ってのがあるらしい。「お父さんが会社を休みお兄さんが学校を休んで、家族みんなが協力して家族療法を受けようと思ったときには、実は問題はもう解決への1歩を踏み出している。」ってある本で見た事がある。心理学的に考えても、自分たちの心や行動の問題と原因は複雑にからみあい、単純に何か一つの原因を決める事ってできない。ある本で児童相談所や児童自立支援施設の先生が言っていましたよ。「学校にはいろいろ文句を言いたいこともあるけれども、学校も傷ついていることが多い。学校や教師を責めるのではなく、良い協力関係ができたときは、問題も解決しやすい。」 自分たちの人生の問題も「なぜ」を考えても解決しないことが多いような気がする。不幸が襲ってきた時、誰でも原因を考え、落ち込んだり、恨んだりするよね。でも、意味のない原因探しをやめて、その出来事を受け入れることができたとき、光が見えてくるんじゃないかな。障害児が生まれた家庭では、大きなショックを受け、時には家族がいがみ合い、バラバラになる事だってある。でも、その危機を乗り越えた家族の多くは、異口同音に「この子は私たちのだ」って言うんだよね。この子のおかげで自分は人生を学んだ。温かい家族になれた。この子がいなければ、今の自分たちはなかった、ってね。まるで何かの目的を持って、その子が自分たちにプレゼントされたような気持ちだろう(もちろん、不安や心配が何もなくなった訳じゃないと思うし、困難が消えた訳でもないでしょう。でも、子供の為、家族の為により良い方法を考え、実践していけるようになるんだよね)。原因探しや犯人探しを止めて、現実を受け入れた時、心は平安になると思うんだ。で、さらにその困難に意味を見いだした時、心はもっと前へ、前へと進んで行けると思う。不登校に関する本の中に、こんなことが書いてあった。「どうせ不登校になったのなら、不登校になったかいがある不登校をしよう」 様々な困難はできれば起らない方がいいよ、そりゃ。でも、その困難のおかげで真の問題が見え、その人が成長したり家族が癒されていく事もあるんじゃないかな。 私はなぜこんな困難に出会うのか、と考えるんじゃなくて、何の為にこの困難はやって来たのかと考えられる時、その困難は自分の心を押しつぶすことができなくなると思う。  補足・原因を追及し、問題を解決する努力を否定している訳じゃない。人間は、困難と戦い、打ち勝っていくんだよね。ただ、場合によっては「原因探し」が心の健康にとってマイナスになる事もあると思う。それに「原因探し」を止めた方が、問題解決が進む場合もあると思うんだ。原因探しを止めて困難を「受け入れる」ことと「戦う」ことは、決して矛盾しないと思ってる。大きな困難に出会った時って、誰でも取り乱したり、落ち込んだりするのは当然だと思う。その人や、また自分自身を責めちゃダメなんだよね。時にはそういった事が、後日訪れる平安や平常心のもとになることもあると思う。今、苦しみの中で戦っているあなたへ、苦しみを乗り越えたあなたへ、あなたの勇気と、あなたの素晴らしい人生に、拍手、拍手、拍手。

当サイト心理学総合案内「こころの散歩道」/いやしの道/

なぜではなく何のために
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/1999/naze.html

下記の内容は、 (下記の内容は、ウェブマスター碓井真史著ふつうの家庭から生まれる犯罪者 主婦の友社 2001.9.28にも記載されている。2002.3.8)

「なぜ」ではなく「何のために」

 1999年1月29日

 私たちは、何か問題が起こったときに、「なぜそれが起ったのか」と考えてしまいます。

 大きな事故にあったり、家族が大病にかかったときなど、なぜ私たちの家族がこんな目に合わなくてはいけないのかと考えてしまうこともよくあるでしょう。

 生まれつき障害のある子を持ったお母さんは、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと、つい考えてしまうと言っていました。

 でも、「なぜ」を考えても、何か良いことがあるでしょうか。医学や物理学では意味があるかもしれません。原因を考え、原因を取り除き、問題が解決することもあるでしょう。けれども、人の心や人生はどうでしょうか。

 悪い出来事が起きたときに、「なぜ」を考えると、たいてい悪いことしか思いつきません。ますます暗くなってしまうこともたびたびです。

(心理学のレポートを書くときには、心の問題の原因を探ることはとても意味があるでしょうが。)


家族や人間関係の中で:犯人探しを止めるとき

 どうしてこの子が暴力を振るうのか、学校へ行けないのか。親の育て方が悪かったのか。もしかしたら、それも原因の一部かもしれません。でも、タイムマシンで昔に戻ってやり直すことはできません。

 「なぜ」を考え、原因を探ると、「犯人探し」が始まってしまいます。

「家族がめちゃくちゃになったのは、乱暴するこの子が悪いのだ。」

「この子が乱暴になったのは、母親の育て方が悪かったのだ」

「夫が悪い」「姑が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」などなど。

 でも、「犯人」を探し、その人だけをみんなで責め立てても、問題は解決しないのです。

「この問題は、私たちみんなの問題だ」

と考え、みんなで協力し始めたとき、問題は解決へ向かうような気がします。

 心理療法の一つに、家族みんなが集まって行う「家族療法」があります。ある心理療法かが言っていました。
「お父さんが会社を休みお兄さんが学校を休んで、家族みんなが協力して家族療法を受けようと思ったときには、実は問題はもう解決への1歩を踏み出している。」

 心理学的に考えても、私たちの心や行動の問題と原因は複雑にからみあい、単純に何か一つの原因を決めることはできません。

 児童相談所や児童自立支援施設(教護院)の先生が言っていました。「学校にはいろいろ文句を言いたいこともあるけれども、学校も傷ついていることが多い。学校や教師を責めるのではなく、良い協力関係ができたときは、問題も解決しやすい。」


人生の中で:原因探しを止めるとき

 私たちの人生の問題も、「なぜ」を考えても解決しないことが多いように思います。

 聖書に登場する「ヨブ」という人は、幸せの絶頂から不幸のどん底へと突き落とされます。彼も、彼の友人も、「なぜ」そうなったのかを考えます。しかし、その結果は、彼を責め立てるか、それとも原因など良くわかるはずもなく、ただ悩み、迷います。

 ヨブは、神に原因を聞きます。神は、質問には具体的に答えず、ただ神が作った大自然をゆったりと見せていきます。するとヨブは原因探しを止め、そして、神への信頼と平安な心を取り戻していくのです。

(後にヨブは、精神的にも物質的にも、これまで以上に幸せになります。)

 不幸が襲ってきたとき、だれでも原因を考え、落ち込んだり、恨んだりします。でも、意味のない原因探しをやめて、その出来事を受け入れることができたとき、光が見えてくるのではないでしょうか。


何のために

 障害児が生まれたご家庭では、大きなショックを受け、時には家族がいがみ合い、ばらばらになることもあります。しかし、その危機を乗り越えたご家族の多くは、異口同音に「この子は私たちの宝だ」と語ります。

 この子のおかげで、自分は人生を学んだ。温かい家族になれた。この子がいなければ、今の自分たちはなかったと。

 そう、まるで何かの目的をもって、その子が自分たちにプレゼントされたような気持ちです。

(もちろん、不安や心配が何もなくなったわけではありませんし、困難が消えたわけではありません。でも、子供のため、家族のために、より良い方法を考え、実践していけるようにるのです。)

 原因探しや犯人探しを止めて、現実を受け入れたとき、心は平安になります。そして、さらにその困難に意味を見いだしたとき、私たちの心は、もっと前へ、前へと、進んでいくでしょう。

 不登校に関する本の中に、こんなことが書いてありました。

どうせ不登校になったのなら、不登校になったかいがある不登校をしよう。

 様々な困難はできれば起らないほうが良いのでしょうが、でも、その困難のおかげで、真の問題が見え、その人が成長したり、家族がいやされていくこともあるのです。

 クリスチャンでもある作家の三浦綾子さんは、病気の展覧会のように多くの病気にかかっていますが、以前NHKの番組で、

「自分は神様にえこひいきされているのではないかと感じる」
と語っていました。

 それは、病気をするたびに、新しい発見と成長があったからです。

私はなぜこんな困難に出会うのかと考えるのではなく、

何のためにこの困難はやって来たのかと考えられるとき、

その困難は、私たちの心を押しつぶすことができなくなるのです。


補足

・原因を追及し、問題を解決する努力を否定しているわけではありません。私たちは、困難と戦い、打ち勝っていくのです。

 ただ、場合によっては、「原因探し」が心の健康にとってマイナスになることもあります。また、「原因探し」を止めた方が、問題解決が進む場合もあると思うのです。

 原因探しを止めて困難を「受け入れる」ことと「戦う」ことは、決して矛盾しないと思っています。

・回復見込みのない病名や、重い障害が残ることを宣告された人の、一般的な心のプロセス:

1.否認(認めない、信じない) 2.「どうしてこの私が」という(原因探しの)怒り 3.取り引き(「もう悪いことはしませんから〜」など) 5.受容(平安)

・愛する人と別れたときの心のプロセス:

1.否定 2.拒絶 3.パニック 4.悲嘆 5.理由探し 6.責任の転嫁 7.意識や行動の変化 8.回復 9.転機 10.平常心

(大きな困難に出会ったとき、だれでも、取り乱したり、落ち込んだりするのは当然です。その人や、また自分自身を責めてはいけません。時には、そういうプロセスが、後日訪れる平安や平常心のもとになることもあるのです。)

* * * * 

 このページの内容は、臨床心理学や社会心理学の研究成果に基づいて書かれています。ずっと暖めてきた内容でした。

 でも、ページ執筆の直接のきっかけは、知り合いからのメールでした。闘病生活中のクリスチャンの方です。この場を借りて、お礼申し上げると同時に、一日も早い回復をお祈りいたします。

メールの言葉を引用します。

「発病したときは、思わず「なぜ?」を問おうとしましたが、今は、むしろ「何のために?」の方が大切だと思っています。」

* * * * 

今、苦しみの中で、戦っているあるあなたへ、

苦しみを乗り越えたあなたへ、

あなたの勇気と、あなたの素晴らしい人生に、

拍手、拍手、拍手。


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WORDS(2001年版)

No.46 効果的


 
(2001/09/24)

勉強。うわぁこの言葉聞いただけでイヤになる人たくさんいるかもしれませんね。勉強です。あ、今回の内容は別に勉強についてではないからね。勉強しない子供がいる。親は子供に向かって「勉強しなさい!」って言うよね。それでも子供は勉強しない。そうすると、親はもっと「勉強しろ!勉強しろ!」って言うよね、きっと。それでも勉強しない。「勉強しろ」と言う親は疲れちゃう。言われる子供だってウンザリするでしょ。やっても効果のない事はやめましょうよ。と言ったところで「じゃあ何が効果的なの?」と聞かれるかもしれない。効果的な方法って意外とわからないけど、経験的に「これはダメだ」っていうのはあるでしょ。でもさ、人間って(俺もそうだけど)ムキになってなかなか方法を変えようとしないところってあるよね。説教するのが効果的なら思う存分説教するのがいいだろうけど、説教しても何も変わらないなら方法を変えてみようよ。思うんだけどね、ほとんどの人が「〜すべき」って考えに縛られてるような気がする。「○○しなきゃならない」って思うと、自分の考えとか方法ってものをなかなか変えられない。逆に「何が効果的か」を考えたほうがいいと思う。まぁ説教する事がまったく悪いと言ってる訳じゃなくてね。もちろん叱る事が大切な時もあるよ。指導が必要な場合もあるでしょ。でも、そんな方法でも効果がでない場合だってあるって事。北風と太陽の話を知ってます?旅をする男のコートをどっちが先に脱がす事だできるかと、北風と太陽が競う訳なんだけどね。北風がいくら強く風を吹き付けても、男は逆にコートを強く体に巻きつけるだけ。太陽が優しい光で暖めてあげると、男はコートを脱いでしまう、という話。強い北風を吹き付けることが効果的ならば、どんどん風を吹き付ければいいでしょう。でもね、暖かい太陽の光の方が効果的だったとしたら、優しく暖めてあげましょう。

今日の心理学

● 効果的な方法を 

2001年4月19日(木)

 勉強しない子がいる。「勉強しろ!」という。でも、全然勉強しない。そこで、もっと「勉強しろ」と言いつづける。それでも勉強しない。言うほうも疲れてしまいます。言われるほうはもっとうんざり。

 やっても効果のないことはやめましょう。何が効果的な方法かは、なかなかわからないことも多いのですが、経験的にこれはだめだなと思うものはあります。それでも人間はついムキになってしまい、簡単には方法を変えないのですが。

 お説教が効果的ならば、説教をすればよいのです。しかし説教しても何も変わらないとしたら、他の方法を考えましょうよ。

 私たちは、「〜すべき」という考えにとらわれがちです。だから自分の方法を変えることができません。でも、「べき」よりも、「何が効果的か」を考えたほうが、誰にとっても良いはずです。

 しかることが必要なときもあります。しつけや指導が必要なときもあります。しかし、そのどれでも効果のあがらないこともあるのです。

 強い北風を吹きつけることが効果的ならどんどん風を起こせばよいでしょう。でも、暖かな太陽の光のほうが実は効果的ならば、ぽかぽか暖めてあげましょうよ。


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WORDS
(2001年版)


No.47 人間関係

 
(2001/10/06)

人間関係って難しいっすね。人間関係って疲れるっすね。人間関係に負けるとさ、気の弱い人は泣いちゃったりして、気の強い人だったら怒るだろうねぇ。泣きながら、あるいは怒りに燃えて、辞表を出すこともあれば、泣きながら、あるいは怒りながら復讐を誓うこともあるかもしれない。それとも摩擦を避けるために、へらへら笑いながらゴマをすったりするのかなぁ?どっちにしたって、たぶん良いことはないでしょ。ますます事態は悪くなるか、ますます傷つくか、後味の悪さが残るだけだと思う。そこで、です。はい、やっと本題ね。人間関係に勝つってさ。相手に勝つことじゃなく自分らしさを失わない事だと思うんだよね。さて、コレ読んでるアナタ。アナタは本来どんな人間でしたか?そんな怒りっぽい、乱暴な人間でしたか?そんなに自信がない、泣き虫でしたか?卑屈な人間でしたか?違うんじゃない。本当のアナタは、もっとずっとすばらしい人間だったはずじゃなかったの。まぁ、人間って誰だって完璧じゃないから、とてもいい人だったのに結婚した相手が悪くて、すっかり変わってしまうこともあるだろう。相手に影響されて金に汚くなることもあるだろうし、結婚生活に満足できないために、金や地位をみんなに自慢する人間になる人も少なからずいるはず。ネット上の掲示板にさ、掲示板荒しが出ることってあるよねぇ。掲示板で暴言を吐きますね。すると、何人かが相手をやっつけようと応戦しますね。スマートに戦えればいいんだけど、正面から戦おうとして暴言には暴言で応戦しちゃう。以前は掲示板にあふれていた優しさも友情も無くなっちゃって、掲示板は戦場と化し、平和的な人は逃げていき、人々は傷つき、すっかり荒れ果てた掲示板が淋しく残る、といった結末。これはあくまでも例だけど、人間関係で相手に負けて潰されちゃぁダメだよ。職場や学校や家庭で嫌なことがあっても、何とかまわりに合わせて頑張ることも必要だと思う。でも、その厄介な人間関係に勝つってことは、相手をつぶすことでも出世することでもなく、アナタのアナタらしさ、自分らしさを失わないことだと思いますね。アナタの明るさ、アナタの強さ、アナタのすなおさ、アナタのアナタらしい個性。まわりに合わせながら、適応しながら、学校の成績や営業成績を上げながら、それでもその中で本当のアナタらしさを失わないことが、人間関係に勝ったということじゃないかな。怒ることが悪いわけじゃないし、お世辞を言うことが悪いわけじゃないと思うよ。一番大切なことを失わなければ。辛いときにも、あなたらしさを忘れないで。と感じる今日この頃。

心理学総合案内「こころの散歩道」/いやしの道/

人間関係勝つ(人間関係の心理)
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/iyasi/2000/katu.html

人間関係に勝つための心理学(人間関係の心理)

2000.4.20

 人間関係は難しい。人間関係は疲れる。人間関係に負ける。気の弱い人は泣き、気の強い人は怒るでしょう。泣きながら、あるいは怒りに燃えて、辞表を出すこともあれば、泣きながら、あるいは怒りながら復讐を誓うこともあるでしょう。それとも、摩擦を避けるために、へらへら笑いながらゴマをすりますか?

 いずれにしても、たぶん良いことはないでしょう。ますます事態は悪くなるか、ますます傷つくか、後味の悪さが残ります。

 さて、人間関係に勝つとは、相手に勝つことではなく、あなたらしさを失わないことです。

 あなたは本来、どんな人間でしたか。そんな怒りっぽい、乱暴な人間でしたか。そんなに自信がない、泣き虫でしたか。卑屈なピエロでしたか。

 きっと違うと思います。本当のあなたは、もっとずっとすばらしい人間だったはずです。

 *

 ある人が、ずいぶんひどい職場で苦労されていました。話を聞いていて、たしかにひどい職場だなと思いました。

 でも、話を聞いていて残念だったのは、その人が言う悪口や被害体験が、少しも美しくなかったことです。その人は、今も善人ではありますが、でも最初はもっとさわやかで、理想に燃え、やさしい人だったはずです。

 悪貨は良貨を駆逐するのでしょうか。長い年月の間にあまりにも傷つきすぎたのでしょうか。今も懸命に頑張ってはいるのですが、周りからの悪影響で、すっかり心が汚れてしまったように思えました。

 とてもいい人だったのに、結婚した相手が悪くて、すっかり変わってしまうこともありますよね。相手に影響され、金に汚くなることもあるし、結婚生活に満足できないために、金や地位をみんなに自慢する人間になる人もいます。

 ネット上の掲示板に、掲示板荒しが出ることがありますよね。掲示板で暴言を吐きます。すると、何人かが、相手をやっつけようと応戦します。スマートに戦えればいいのですが、正面から戦おうとして、暴言には暴言で応戦します。

 以前は掲示板にあふれていた優しさも友情も消え去り、掲示板は戦場と化し、平和的な人は逃げていき、人々は傷つき、すっかり荒れ果てた掲示板が淋しく残ります。

 人間関係で、相手に負けてつぶされてしまってはいけません。職場や、学校で、嫌なことがあっても、何とかまわりに合わせて頑張ることも必要でしょう。

 でも、その厄介な人間関係に勝つということは、相手をつぶすことでもなく、出世することでもなく、あなたのあなたらしさを失わないことです。

 あなたの明るさ、あなたの強さ、あなたのすなおさ、あなたのあなたらしい個性。まわりに合わせながら、適応しながら、学校の成績や営業成績を上げながら、それでもその中で本当のあなたらしさを失わないことが、人間関係に勝ったということなのです。

 怒ることが悪いわけではないし、お世辞を言うことが悪いわけではありません。一番大切なことを失わなければ。

 辛いときにも、あなたらしさを忘れないで。


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WORDS(2001年版)

No.51 いじめについて 
 

 (
2001/12/02)

今回はちょっとマジメっぽい話。いじめが良い事か悪い事かとテストに出せば、どの子供も「悪い事だ」と答えるはず。でも、いじめっ子は「いじめられてるヤツは、いじめられて当然」と思ってる。でも、人の心の中には、誰かをいじめてストレスを解消したり、誰かをいじめることで自分の劣等感をごまかしたり、歪んだ優越感を持ちたいと思ってしまう部分が必ずある。それでも、いじめはやっぱり悪い事だと知っている。悪い事、やってはいけない事と知っていながら自分は誰かをいじめている。事実だよね。その事実を自分で認めちゃうと、自分の心が苦しくなって仕方ない。いじめを止めればいいんだけれど、ほとんどの場合はそうじゃない。いじめは止めない。その代わりに、自分の考え方を変えちゃう。「いじめは悪い事だ」という考えは変えにくいから、「あいつはいじめられて当然だ」と考える。考える、というよりは思い込むと言ったほうがいいかも。いじめられっ子が悪いと思い込めれば、その時点で心は楽になるでしょう。いじめを傍観してる周りの人たちも一緒。本当は、というか、できれば止めたいけど、そんな事すると今度は自分がいじめられるからやらない。そんな事実を認めるとやっぱり自分が辛くなるので「あいつはいじめられて当然だ」と思い込む。いじめなんてね、ほとんどがいじめられっ子に問題があるんじゃなくて、いじめっ子や傍観者が自分を守る為にいじめられっ子を「いじめられる人間だ」って思い込んでる、まぁ一種の幻想なんだよね。で、「あいつはいじめられても当然だ」とみんなが思うと、それはいじめられっ子にも伝わる。クラスのみんなが一人の子をいじめたり、いじめを黙認したり。現実はそうだよね。そんな状況になると、いじめられっ子も「自分はいじめられて当然なんだ」と思っちゃう事がある。本当は、自分が正しくて、自分が正義で、いじめっ子や傍観者が悪なんだと思う事ができればいいんだけど、なかなかそうはいかない。自分はいじめられる人間だ、自分はダメな人間だと思い込んじゃって、ヘタしたら自殺まで考えちゃう。こうなると広い視野で世界を見る事ができなくなる。自分と、自分をいじめるほんの少しの周りの世界しか見えなくなっちゃう。クラスのみんなからいじめられていると感じる子は、世界中からいじめられていると感じても不思議じゃない。味方は誰もいない、自分は独りぼっちなんだ、と感じてしまう。本当は助けてくれる人も味方もすぐそばにたくさんいるのに、だ。その現実も見えなくなっちゃう。クラスの中には声は出さなくても味方はいるかもしれないのに、そんな事も考えられなくなっちゃう。自殺を考えるのもおかしくないよな、これじゃ。じゃぁ、なぜ助けを出さないんだろう。「助けて」と声を出せば、きっと誰かが助けてくれるはずなのに。クラス全員でのいじめは、大人の嫌がらせ程度のものじゃないはず。過酷で残酷。いじめられっ子の自尊心なんて、あっという間に傷だらけになっちゃうでしょう。だから、いじめられっ子は自分がいじめられている事を認めたくない。「いじめられてるから誰か助けてよ」と言っちゃうと、自尊心は傷ついて惨めになっちゃう。それを恐れてるはず。現実はそうじゃないでしょう。もし今いじめられてる人がこれ読んでたら、こう言いたい。

君は一人じゃない。悪いのは君じゃない。君がダメだからいじめられてるんじゃない。味方はいるし、助けてくれる人も必ずいる。誰かに助けを求める事は卑怯なんかじゃないぞ。間違った事と戦う、正しい行動じゃん。君はいじめっ子なんかには絶対負けない、大丈夫、一人じゃないから。

(補足:日本全国の交通事故による死亡者は年間1万人。自殺者は3万人だそうだ。交通事故防止には莫大な金額をかけて取り締まりや交通安全教育が行われてる。でも、自殺防止の為にも、もっと多くの努力、教育が行われるのが筋なんじゃないのかと思う。)

当サイト内「心理学総合案内こころの散歩道」/心のニュースセンター/自殺の心理/

いじめ自殺を防ぐ

いじめ自殺を防ぐために

「君はひとりぼっちじゃない!」

1999.7.8

いじめっ子は、
「いじめられているやつは、いじめられて当然だ」
と思ってる。

 いじめが良いことか悪いことかとテスト問題に出せば、どの子供も、悪いことだと解答しますよね。

 でも、人の心の中には、誰かをいじめて、ストレスを解消したり、誰かをいじめることで自分の劣等感をごまかし、ゆがんだ優越感を持ちたいと思ってしまう部分があります。

 それでも、いじめはやっぱり悪いことだとは知っているのです。

 悪いことなのに、自分はやっている。その事実をそのまま認めると、心は苦しくなります。それではいじめを止めればいいのですが、たいていは、いじめという行動はかえずに、自分の考えを変えます。

 いじめは悪いことというのは、変えにくいので、「あいつはいじめられて当然の人間だ」と思い込むのです。


傍観者も

 いじめられっ子が悪いと思い込めれば、心は楽になります。まわりの傍観者達も同じです。できれば止めたいと思いながら、そんなことをすると今度は自分がいじめられるかもしれない。だから、できない。

 でも、自分のそんな心を認めてしまうのは、辛いことです。そこで、「あいつはいじめられても当然の人間だ」と思い込みます。

 調査によると、実際にいじめられっ子は、クラスの子達からそんなふうに思われていることが多いようです。これは、その子に問題があるというよりも、いじめっ子や傍観者達が自分の心を守るために作り上げた幻想です。


「僕は、私は、いじめられても当然だ」

 あいつはいじめられても当然だとみんなが思うと、その思いは、いじめの被害者いじめられっ子にも伝わります。現実に、クラスのみんなが、一人残らず、自分をいじめたり、いじめっ子をはやし立てたり、いじめっ子を黙認しています。

 そんな状況におかれると、自分自身でも、自分はいじめられても当然の人間だと思ってしまうことがあります。自分は正しく、正義で、いじめっ子や傍観者が悪なのだと、強く思えればよいのですが、なかなかそうは思えません。

 自分はだめな人間だと思い、思い詰めれば、自殺まで考えます。


「僕には、私には、味方はいない」

 心が弱り、傷ついているときには、広い世界を見渡すことができません。自分自身のことと、そのほんの周囲のことしか見えなくなります。クラスみんなからいじめられていると感じている子は、世界中からいじめられているように感じてしまいます。

 誰も味方がいない。独りぼっちだと感じてしまうのです。本当は、助けてくれる人、味方になってくれる人がだくさんいるのに、その現実が見えなくなってしまうのです。クラスの中にも、声は出さなくても味方はいるかもしれないのに、そんなことは少しも考えられなくなります。

 世界の中で独りぼっちだと感じてしまえば、死を考えてもふしぎはありません。


SOSをなぜ出せない

 助けてと声を上げれば、きっと助けてくれる人がいるのに、なぜ言わないのでしょう。クラスをあげてのいじめは、とても過酷です。大人世界の嫌がらせ程度のものではありません。はげしく自尊心を痛めつけられ、心が傷つきます。

 だから、自分がいじめられていることを認めたくないのです。仕返しが怖くて言わないこともありますが、いじめられているから助けてと言ってしまうと、どうしようもないほど自尊心が傷つき、惨めになってしまうことを、心の底で恐れているのです。


その逆を行こう

君は一人じゃない。

悪いのは、君じゃない。

悪いのは、あいつらだ。

君がだめだからやられているのではなくて、あいつらがだめなんだ。

味方はいる。助けてくれる人も必ずいる。

言いつけるのは、チクったことにはならない。決して卑怯なんかじゃない。

間違ったことと戦う、正しい行動だ。

私は君の味方だ。

お父さんも、お母さんも、先生も、全力で君を守る。

本気で戦う。

必ず守る。

いじめっ子なんかに絶対に負けない。

大丈夫。君は一人じゃない。

(心理学的に見れば、いじめっ子もまた、傷ついた心を持ち、援助と慰めを必要とする子供たちなのですが、今、いじめられて苦しんでいる子がいれば、まずは、いじめられっ子の立場になって守ることが必要でしょう。)


いじめ報道と自殺連鎖

 派手な自殺報道をすると、そのあと自殺が増えます。

 いじめ自殺! 遺書を残して自殺。いじめられっ子は、怒られ、補導され、苦しみ、そして、いじめられっ子はみんなから愛され、死を嘆き悲しまれ、めでたし、めでたし。

 こんな報道が、次のいじめ自殺を誘発します。

 いじめ自殺が、問題解決のために成功だったと感じさせるような報道は、危険です。

 もちろん、死者にむち打つような報道はできませんが、必要以上にセンセーショナルな報道は控え、自殺は決して問題解決にはならないと伝えなくてはなりません。

 また、家庭や学校も、注目を集めるような自殺報道がなされたときには、注意が必要です。不安定な精神状態の子がいれば、特に気をつけなくてはなりません。


まとめ:自殺者3万人

 全国の交通事故による死亡者1万人。自殺者は、3万人です。交通事故防止には、ばく大なお金をかけ、あちこちで交通安全教育がなされています。

 それなら、自殺防止のためにも、もっと多くの努力がなされても良いと思うのです。

補足


 筆者は,現在中学校でスクールカウンセラーをしています。いじめの問題については引き続き考えていきたいと思っています。 2001.10.25 


***


Alexaというサイトでは、いろいろなページの「昔の姿」を見ることができます。そこで、どのページでもいいのですが、たとえば当サイト内の「今日の心理学」のURLhttp://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/day/index.htmlを入力してしらべてみると、問題サイトraptureにある日付以前に、当サイトに上記のような同じコンテンツが存在していたことが確かめられます。


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