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神戸小学生殺害事件から考える
新聞によれば、「少年の犯行の動機は、いぜんとして闇の中」といった報道がなされています。この事件が快楽殺人だとするならば、少年自身にも殺した理由は良くわからないはずです。いわゆる犯行の動機はないのです。お金のためとか、恨みのため、などのような動機はないのです。「動機なき殺人」と言われるものです。
動機なき殺人では困ると考えて、いろいろと質問をすれば何かは答えるでしょうが、それが本当の動機ではないことは、本人も周囲の人間も感じているようです。殺したかったから殺したというのが、一番素直な回答かもしれません。
実は、私の研究テーマは、心理学の中でも社会心理学(対人心理学)の分野の、動機づけ、特に「内発的動機づけ」(賞罰によらない自発的動機づけ)なのです。犯罪心理や臨床心理が専門ではないのですが、ここではよく見られる「動機」と行動のゆがみについて考えてみることにしましょう。
簡単な例で言えば、小学生の男の子が好きな女の子に、優しくしたり、ラブレターを出したりするのではなくて、髪の毛を引っ張っていじめてしまうような例があります。この男の子自身、どうして女の子をいじめるのかよくわかっていません。でも、大人が見れば、すぐに本当の動機(気持ち)がわかります。
人は、自分の欲求どおりにならないときや、その動機を自覚したり、その動機のまま行動することに抵抗感を感じると、自分自身でも意識しないうちに、別のことを考えたり、別の行動をとってしまいます。上の例などは、かわいいものですが、もっとゆがんでしまうと、自分も他人も不幸にすることがあるかもしれません。
この問題は、今後このホームページ「こころの散歩道」の「子ネコの道(心理学入門)」や、「やる気研究所」でも扱っていきたいと思いますが、ここでは、一つの理論をもとに考えてみましょう。
マズローによれば、動機(欲求)には、いくつかの段階があります。まず、生理的欲求。生物として生きていくために必要な、食べたいとか、飲みたいといった欲求です。つぎに安全の欲求です。私たちは、外敵から身を守りたいと感じます。その次が、愛と所属の欲求です。仲間がほしい、誰かに愛されたいという欲求です。次が、承認の欲求。誰かに認められたいという欲求です。そして最後が、自己実現の欲求です。
自己実現とは、自分らしく生きることです。心から楽しんで、趣味やボランティアをしたり、やりがいのある仕事や活動をすることです。真善美を求めたり、人のために尽くすこともあるでしょう。この動機(欲求)のレベルに達することができれば、生きがいのある生き方ができるのです。
原始人は生きるのに精一杯だったが、現代人は余裕があるので、趣味などの自己実現欲求をめざせるのだ、などとよく説明されます。しかし、私たちは、本当に安全や愛や所属の欲求が満たされているでしょうか。これらの欲求が満たされていないとき、私たちの動機はゆがんだ形で行動に現れることがあります。
昔、関東大震災の直後に、おにぎり2個とダイヤの指輪を交換した人がいたそうです。お腹がすいて死にそうな時には、私たちはどんなことをしても食べ物を手に入れようとするでしょう。
安全や愛や所属の欲求も同じです。普段それが満たされている人は、あまり感じませんが、満たされていない人は、ちょうど飢え死にしそうな人と同じように、必死になって求めるのです。
本当は、騒いだりすのが好きではなくても、そうしなければ友人が離れてしまうと思えば、一日中、友人達の中で冗談を言い続けるでしょう。良い子でなければ親から愛されないと思えば、賢明に「良い子」を演じ続けるでしょう。定時に退社などしたら役立たずだと思われてしまうと考えれば、仕事がなくても、体調が悪くても残業し続けるでしょう。
愛を得るためなら、私たちはほとんど何でもします。万引きや暴走運転で、仲間から愛され賞賛されるときには、自分の命や人生を棒に振ってでもそうするでしょう。前のページの非行の心理で書いたとおりです。芸術活動やボランティア活動は、普通は自己実現動機による動機と考えられます。しかし、そうしなければ、愛されない、仲間に入れてもらえないと思って活動しているときには、自己実現動機ではありません。自分らしさを表すどころか、自分らしさを押し殺した苦しい活動か、表面的で本当の充実感のない活動になってしまいます。
ただし、これらの動機を本人が自覚しているわけではありません。自分の心に素直になれなくて、隠された動機によって、自分の心を偽り、苦しい行動を続けることになります。
自分らしい生き方をして自己実現を目指すためには、その下の段階の欲求が満たされる必要があります。現代の日本では、生理的欲求が満たされず、空腹のための犯罪などはほとんどないでしょう。
安全の欲求はどうでしょう。客観的には安全な日本でも、個人の心の中に本当の安心感があるかといえば、疑問です。愛や所属の欲求ならばなおさらです。愛されていない、家族も友人も自分を理解してくれないと感じている人たちは大勢いるでしょう。神戸の事件の少年もそうだったのでしょう。
さらに、他者からの承認はどうでしょう。あなたは、周囲から尊敬を受けたり、価値のある人間だと思われているでしょうか。人間の精神的健康のためには、他者からの愛と承認が必要です。承認を得られず、強い劣等感を持ったままでは、自己実現の段階へ行けないのです。
少年犯罪や快楽殺人の犯人達は、高い能力を持っていても、社会環境や彼自身の性格のために、学校や職場で高い評価を受けることができないことがよくあります。高い能力の自覚と、低い社会的評価の狭間で、異常な空想を膨らませることもあります。
私自身は人間関係も苦手で、精神的にも弱い人間ですが、たまたま家族や友人に恵まれ、また人から「先生」と呼ばれる職業についているおかげで、何とか普通に生きていられるのかもしれません。だから、私は犯罪を犯したり、自堕落な生活をしている人たちを攻撃したり、バカにしたりする気にはなれないのです。
人から愛されていない人は、人を愛することができません。人から大切にされていない人は、自分を大切にすることもできないし、誰かを大切にすることもできないのです。
どうして、人に優しくなれないのだ、自分の人生を真面目に考えられないのだと説教をする前に、その人が愛され大切にされることが必要なのです。普通は、その役を親がやります。成績がよいからとか、親の言うことをきくからといった条件付きの愛ではなく、無条件の愛を子どもに示し、子どもがそれを実感できるならば、自己実現を目指したスタートを切ることができるでしょう。
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ここから先は、心理学の話ではありません。価値観や思想の話になります。私は、人間は全て価値のある存在だと信じています。
わたしも、あなたも、神戸の小学生殺害事件の容疑者の少年も、愛されるべき価値ある人間だと信じています。* * * * * *
このことについて関心のある方は、このホームページの中の
「エマオの道」をご覧下さい。動機と行動については、フロイトの「適応規制」や私の専門である内発的動機づけ理論による話もあります。このホームページの他のページもぜひご覧下さい。(しばらくは、この犯罪心理に関するページの更新で精一杯ですが、少し余裕ができたら、もちろん他のページの更新も積極的に行っていきます。よろしくお願いします。)
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