容疑者逮捕の直後から、少年法改正の声があがっています。マスコミでも、少年の心の傷や社会の問題を取り上げると共に、少年法を改正し、厳罰に処すべきだと言う論調もあります。
このホームページでは、重い刑罰を科してもこの種の犯罪の抑止力にはならないと述べてきました。みなさまからのメールは、はじめのころは同意見だとするメールが多かったのですが、この数日は批判的なメールもいただきはじめました。
筆者の意見に対して、「根拠を示してほしい」とか、「無責任な発言はひかえてほしい」とといった内容のメールです。(ただし、これらの厳しい調子のご意見も、きちんとご自分のアドレスや実名などを書かれたものであることを付け加えます。私にとっては刺激的なメールもあり、忌憚のないご意見を感謝しております。)
そこで、もう一度、この問題について考えてみたいと思います。刑罰を重くする形での少年法改正に心理学者として反対する根拠を示すことが、無責任な発言はひかえてほしいという意見への回答にもなると思います。雑誌記事なども参考にしながら、そしてもちろん心理学的に考えていきましょう。
(少し堅い理論の話だけど少しだけ我慢して読んでね。)
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報酬と罰の効果は、心理学、特に実験心理学の分野で、長年にわたって、膨大な研究が重ねられています。その結果を一口で言えば、
「人間でも、動物でも、行動を変えさせるためには、報酬こそ効果的であり、罰はあまり効果がない」
というものです。
この考え方は、スキナーという心理学者の理論に基づくものです。罰は、一時的にある行動を減少させても、その効果は「無報酬」の効果と同程度であり、よりより社会を作るためには、罰による行動修正よりも、巧みに報酬を使用することこそが必要だと主張しています。スキナーは、心の中のことに言及せずに、あくまでも行動と報酬と罰の関係を実験によって研究しました。現在、スキナーの人間観も含めて、その理論を100%受け入れる心理学者は、多数派ではありません。
(私自身、スキナー理論では説明しきれない人間心理について研究しています。)しかし、彼らの実験結果を否定することはできませんし、その理論が現代心理学の大きな土台の一つになっていることは、ほとんどの心理学者が認めるでしょう。ですから、
「厳罰を与えれば凶悪犯罪も減り、良い社会になる」という考えは、少なくとも心理学の基礎理論からは正しくない考えだといえるでしょう。
ところで、この理論がなぜマスコミで紹介されないかというと、たぶん、基礎理論であるために面白味がない、「心」の問題が出てこないので面白味がない、教育や臨床心理の人たちで彼の理論を嫌う人が多い、などの理由でしょう。
このホームページは、視聴率や発行部数を気にしなければならない商業目的のものではありませんし、本来、心理学の学習をしながら人間や社会についてみなさんと共に考えるページですので、地味な内容ながらご紹介しました。
このような心理学の基礎理論にについて学びたい方は、このホームページの中の「子ネコの道(心理学入門)」や「やる気研究所」特にその中の「報酬と罰の効果」をご覧下さい。
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心理学の概論書や入門書を見てみましょう。たとえば、私も共著者の一人である「こころのゼミナール」(福村出版)では、「非行」は、神経症や登校拒否と共に「こころの病」に関する章に入っています。
これは、特別なことではありません。同朋舎のメンタルヘルス(こころの健康)・シリーズ全25巻の中には、自殺、肥満、不眠、痴呆などと共に、「非行」というタイトルの本も入っています。
心理学的に言うと、非行も広い意味での心の病の一つなのです。精神分裂病のような医師の診断名がつくわけではありませんし、非行を治す薬があるわけではありませんが、それでもやはり、彼らのこころが病んでいると、心理学では考えています。
病にかかっている人に必要なことは、刑罰ではなく、治療です。ただ怠けている人には、罰も必要かもしれません。けれども病気で寝込んでいる人には、罰よりも薬や栄養や休養が必要です。こころの病も同じなのです。
しかし、私たちは心のことと体のことを同じようには、なかなか考えられません。ある人が花粉症で、あなたの前でくしゃみが止まらなくなり、あなたに唾がかかったとしましょう。これはもちろん不愉快なことです。そうしたら、罰を与えてやるとか、仕返しをしようとかおもうでしょうか。
ところが、誰かがこころの状態が悪くなって、それであなたに向かって悪口を言ったり、いやみな自慢話をしたらどうでしょう。たいていの人は、言い返したくなります。
でも、そんなことをしても、その人は態度を改めませんし、あなたにとっても快い人間関係は生まれません。(参考文献「神経症者とつきあうには」川島書店:別の機会に要約をご紹介します。)
非行少年達は、愛に飢え乾いています。ただ、神経症(ノイローゼの人たちとの違いは、他罰的で(社会や他人が悪いと思う)、衝動的、自己中心的などのこころの問題があることです。
それでも、非行が広い意味でのこころの病であるならば、必要なのは、刑罰ではありません。そして、愛を求めての非行や、愛されないために自分を傷つけるような非行は、多少刑罰が重くなったとしても減ることはないでしょう。
(参考:このホームページの「少年犯罪、非行の心理」:ここで紹介している本の著者は、家庭裁判所の調査官だったかたです。)
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マスコミを通して、様々な人の意見を見てみましょう。もちろん、今回の少年に重い刑罰を与えよう、死刑でも良い、少年法を改正して他の凶悪少年犯にも厳罰で対処しようという意見は、数多くあると思います。私も感情的には、共感できる部分もあります。
ただ、ここでは主に心理、医学、法曹関係者の意見を見ながら、今回の問題について考えてみましょう。
週刊現代(7.26)「私のテレビ批評」(須藤春男)
この記事による要約をお借りすると、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日7.6)で、犯罪心理が専門の精神科医小田晋氏が今回の事件を快楽殺人とした上で少年法にも刑事罰を加えるべきだと主張したのに対し、弁護士の紀藤氏が「少年法は教育効果を狙ったもので、仮に刑事罰を科しても犯罪はなくならない」と反対したとあります。
(この番組を見ていないのですが、小田晋氏の意見は、今回の少年は、快楽殺人犯であり、これは、通常の非行少年の場合のような短期間の教育では、改善されないというものですから、単純に少年にも重い刑罰を与えろと言うものではないと思います。)
NHKの日曜討論(7.6)の出席者の意見をまとめると、自己決定能力を育てるような機会の与えらず、人権も認められていない中学生に、犯罪の結果責任だけを押しつけるのは、ナンセンスではないかということです。
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いくつかの雑誌で、あなたの子どもを酒鬼薔薇聖斗にしないためのチェックリストや鉄則等を掲載しています。
女性セブン(7.24)では、「子どもを叱ることはあるが、最近滅多にほめたことがない」や、「子どもの言い分を聞かず体罰を加えたことあがる」等を要注意だとしています。
週間ポスト(7.18)では、「規制は作りすぎない」「家庭を学校にしてはいけない」などをあげています。
少年事件を扱っている弁護士の福島瑞穂氏(サンデー毎日7.20)は、少年に対して、「あなたはやっぱり卑怯だよ」といいたいとしながらも、「重罰化して顔写真を公開したら問題が解決するかというと、全くそうは思わない」と述べています。
弁護士伊藤芳朗氏(女性セブン7.31)は、少年に対して「こらしめてやったって、変わる子ではない。〜人格矯正をしなければ、罰で学ぶことはないはずです」と述べています。
そして、少年法自体が問題ではなく、その適用が問題だとして、今回のケースも「本当に人格の矯正ができるまでちゃんと少年院でケアしてほしい」と述べています。
氏の経験によると、少年事件では本人の更生を考えて、弁護士がかえって長期間少年院に入れることを裁判官にお願いすることもあるそうです。
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少年は、二人の命を奪いました。本当にひどいことをしたものです。ところで、交通事故では、毎年、毎年、1万人以上の死亡者が出ています。交通事故を減らすために、刑罰を重くすれば良いでしょうか。
ねずみ取りを今の10倍に増やし、罰金を10倍にし、1kmでも速度オーバーしていたら、即座に罰則を加える。これが、よりよい交通社会でしょうか。
交通事故は、多少刑罰を重くしても一時的に減少するだけだと言われています。罰金があるからスピード違反をしないドライバーは、取り締まりをやっていない場所や時間帯では、平気で無謀運転をするのです。交通事故を減らす最前の方法は、時間はかかりますが、やはり「教育」でしょう。
中学や高校では、校則を厳しくするほど、良い生徒たち、良い学校になるでしょうか。たしかに、一時的に、そして表面的には、静かになるかもしれません。しかし、おそらく生徒たちの心はさらにすさみ、教師の見えないところで、ますます悪いことをするようになるでしょう。
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快楽殺人は、逮捕されれば死刑になるとわかっていても犯罪を繰り返し、さらに警察を挑発するようなことをします。ですから、刑罰を重くしたからといって快楽殺人を止めることはできません。
女子高生コンクリート詰め殺人事件(これは快楽殺人ではありません)の時も、少年法改正の声があがりましたが、もしその時に改正されていても、おそらく今回の事件は防げなかったでしょう。
何とか自分の犯罪を隠そうとする普通の犯罪と、自分の行為を誇示するような快楽殺人とでは、その心理がちがうのです。
(もっとも、「魔がさすとき」(法研)を読むと、その一瞬のこころの弱さのために犯罪者になってしまった人たちが紹介されていて、彼らももっと刑罰が重かったとしても、結果は変わらなかっただろうと思わされます。)
刑罰が重くなっても、非行や快楽殺人などのように、広い意味のこころの病による犯罪は、減らないだろうと思います。減少するとしたら、自分の行為による損得を冷静に考えられるような人の犯罪だけでしょう。
かつての無敵のチャンピオン、マイクタイソンが、対戦者の耳をかみきるという信じられないことをしました。34億5000万円のファイトマネーを失い、罰金を命じられ、ボクサーとしてのライセンスを剥奪されました。ボクサーとしては、とても大きな罰を受けたのです。
そうなることを全く予想していなかったわけではにでしょう。失う金額は3億円でも30億円でも、その時の彼には関係のないことだったでしょう。ボクサー生命を失う恐れも、その時には考えられなかったのでしょう。
二宮清純氏の記事(週刊現代7.26)を読むと、名トレーナーを失い、悪質なスタッフのために心身ともにダメになっていき、追いつめられた状態のタイソンのことがわかります。
何億円もの罰金でも彼の行動を止めることはできなかったのです。でも、もし彼の心を支えてくれる誰かがいてくれたら、結果は違っていたでしょう。
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それでもやはり、重い刑罰は、無意味ではないかもしれません。快楽殺人や心の病としての非行にはあまり効果がなくても、たとえ、表面的で一時的なものであっても、少しは、効果があるでしょう。重くすればするほど、効果も出るでしょう。
少年犯罪で言えば、あまりにも凶悪化し、数も増えてくれば、そのようにするしかないかもしれません。校門に金属探知器をつけ、校内を制服警官がパトロールし、生徒全員の指紋をとることも必要かもしれません。
しかし、現代の日本でそこまでの必要はないと思います。重い刑罰が効果はうすくても、良い効果だけがあるなら、実施することも良いでしょうが、重い刑罰と監視強化の社会は、直感的にも心理学的にも、良い効果よりも、悪い副作用の方が多いように思います。
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非行の心理に当てはまらない少年犯罪もあるでしょうし、快楽殺人などは非行の心理にも当てはまらないし、現在の少年法では考えていなかった種類の犯罪でしょう。
憎むべき犯人だから、刑罰を加えろ、極刑にしろ、という意見には、賛成できませんが、彼らの矯正と、新たな犠牲者の防止のための工夫は必要でしょう。
ただし、「少年法の適用に問題がある、適用によっては、現在の少年法でも十分にに対処できるという意見もあります。少年法自体の改正の問題は、適用による対処を試みた後でも良いのではないでしょうか。
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私のような世間知らずの研究者は、現実のきびしさを知らず、間抜けなことを言っているのかもしれません。
しかし、これは私だけの特別な意見ではありません。むしろ多くの他の研究者、そして現場の方々のご意見に支えられているものです。
被害者の悲しみを無視したり、全く共感できない等は論外としても、現実を見ずに理論や理想を振り回しても意味がないでしょう。その一方、ただ目の前の現実と激しい感情だけに目を奪われて、理論も理想も見えなくなってしまっては、問題は解決されないでしょう。
一方で、すぐ明日の問題を解決するために活躍する方々がいるわけですが、その一方で、このような世間が興奮する事件の時でも、何とものんびりしているようですが、その学問の基礎理論をもとにディスカッションをすすめるのも、研究者の一つの役目だと思っています。
また、事件に関する刺激的な謎解きなどは、別の人に任せたいと思います。
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私も実名を出して、所属の大学のサーバーを通しての発言ですから、無責任な発言をしているつもりはありません。
(ただし、そんなに優秀な人間ではないので、間違います。そんなときは、どうぞ教えて下さい。)
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重い刑罰を否定するならば、それではどうすればよいのかについては、この犯罪心理のページ、そして「こころの散歩道」全体を通して、考えたいと思っています。
ご一緒におつきあい願って、
ご一緒に考えていただければ幸いです。
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