心理学総合案内・こころの散歩道/犯罪心理「心の闇と光」/神戸


私も殺します・非行はよいこと?・刑罰の効果と副作用(投稿2)


 島根県警のホームページに神戸の事件を扱った「異界に住む子どもたち」があります。その中に、掲示板があり、私も何回か投稿したことがあります。下記はその掲示板へ投稿した内容です。

* * * * *

私も殺します・非行はよいこと?・刑罰の効果と副作用(Re291その2)

こんにちは、投稿300(碓井)の続きです。

[ 死刑による犯罪抑止 ]

 投稿291(米本さん)は、投稿177(碓井)が引用した中国の例は、死刑による犯罪抑止力の小ささを示す例としては不十分だと指摘しています。そこで、他にも、これを示す例をいくつか考えてみましょう。

・すでに世界の約半分の国が死刑を廃止していますが、それらの国で特に兇悪犯罪が増えているわけではないようです。

・日本では、何十年か前と比べれば、死刑になる人は減っていますが、殺人は増えてはいません。

・アメリカでは、州によって法律が違いますが、死刑がない州で特に凶悪犯罪が多発していることはないようです。

・「死刑全書」(原書房)には、古今東西の様々な死刑に関する記述がありますが、ここにも、死刑が犯罪抑止には、あまり効果がないという歴史的事例が出ています。

*そうはいうものの、私は断固たる死刑廃止論者というわけではなく(質問されれば死刑反対と答えますが)、死刑が犯罪抑止に完全に無力だとも思っていません。ただ、死刑の効果を強調する意見には、反論があるわけです。

 小田晋は、「死刑の犯罪抑止力は完全に否定されているわけではない」と述べています。そして、「犯罪者への処罰の基準は、責任能力の有無である」「殺人に対する最強の抑制は宗教である」とも述べています。

(参考http://www2.n-seiryo.ac.jp/TEACHER/usui/news/sikei.html)

[ 私も殺します:正当防衛 ]

 投稿291は、誰かが大勢の人に向かって銃を乱射している例を想定し、その場面に直面したときどうするのかと、問題提起しています。もし、私にその力があれば、阻止します。必要があれば、犯人が子供でも精神障害者でも、犯人に向かって発砲します。射殺しか方法がなければ、その方法を取ります。

 これは、法的には、正当防衛になると思います。刑法の規定には、「急迫不正の侵害に対して、自己または他者の権利を防衛するため、やむを得ずした行為は、罰しない」とあります。

 誰かがナイフを持って、自分や隣の人に向かってきたとき、その人の頭を殴るような場合です。このような行為は、法的にも道義的にも、悪い行為とは思えません。投稿291の米本さんが想定している犯人射殺の行動は、正当防衛が認められれば殺人罪にはなりません。その行動は間違っていないと、私も思います。

 しかし、この論法によって、だからこういう犯人は殺しても良い、ということにはなりません。正当防衛が成立するためには、「急迫性」がなければなりません。上の例で言えば、すでに銃を撃てなくなっている犯人を射殺すれば、罪になります。逮捕後の容疑者を不当に殴ることもできません。これが、私たちみんなが作った社会のルールです。少し話がかわりますが、兵士が戦争相手の兵士を殺すことは合法的でも、敵兵が捕虜になった後、捕虜を虐待するのは非合法です。

[ 非行は良いこと? ]

 私は、このホームページからもリンクされている「犯罪心理学:心の闇と光」http://www2.n-seiryo.ac.jp/TEACHER/usui/news/hannzai.htmlの中の、「少年犯罪、少年非行の心理」のページで「非行をどのように治すか」という本の要約から、「非行は良いことである。非行とは症状であり、病理的な家族関係や人格形成の歪を知らせる危険信号で ある」と引用しました(http://www2.n-seiryo.ac.jp/TEACHER/usui/news/hikou.html)。

 投稿291は、この引用に対して、本気でこう考えているのか、被害者の遺族へもこう言えるのか、そして「この時期に〜「非行はよいこと」なんて載せるのは普通の感覚の人にはできないなあ〜この先生は遠いところに行っちゃってる人だなと思ってしまいます。」と述べています。

 さて、まずこの「少年犯罪、少年非行の心理」のページは、そこにも書いてあるとおり、直接神戸の事件について語っているわけではありません。以下のような説明があります。

「神戸の小学生殺害事件は、加害者の少年の深い病理性が第一の問題であり、一般的な非行と同じようには考えられません」〜「ここではさらに、少年の心や少年法に関する心理学的な理解を深めるために、「非行の心理」について考えたいと思います」

一般の少年や非行の心理について考えるためのページです。

 「非行はよいことだ」というのは、「非行をどのように治すか」と考えている人達に対して、非行の心理学的メカニズムを理解してもらうための、一つの「表現」です。それは、身体の「痛み」についても、同じような表現ができます。

 もちろん、非行も痛みも、それ自体が良いわけはありません。できれば、どちらも防ぎたいものです。しかし、もし「痛み」が全くなかったらどうでしょう。ケガをしても気づかず、胃に穴があいてもわかりません。自覚症状がないままに進む病気はとても恐ろしいものです。

 どんなガンでも、その初期から痛みなどの自覚症状があればどんなに良いでしょう。早期発見、早期治療ができます。「痛み」は「身体の歪を知らせる危険信号である」と言うことができます。その意味で、「痛みは良いことだ」と表現することができます。実際に全く痛みを感じないという病気の人がいますが、この人はとても危険な日常生活を送っているわけです。

 心の中に大きなゆがみを抱えたまま成長し、破滅したり、取り返しのつかない大きな犯罪を犯すよりは、少年時代に小さな非行として表れ、その時点で適切な対応がとれた方が、本人にとっても社会にとってもずっと良いと考えるわけです。

 神戸の事件は、一般の非行の心理だけでは説明ができません。しかしそれでも、殺人を犯す前の段階で、訪れた児童相談所や精神科でもっと適切な対応がとれていたら、今回の事件は防げていたかもしれません(福島章)。

 「非行や痛みがよいことだ」というのは、心や体の異状を発見し、大きな問題になる前に対処できるという有用な役割があるという意味です。この表現は、そのメカニズムと役割を説明するためには、間違った表現ではないと思います。しかし、これは犯罪被害者に向かって言う言葉ではありませんし、いま末期ガンの苦しみでもだえている患者や家族に対して言う言葉ではありません。

 私のホームページも、それらの人達に向かって発言しているわけではありません。ページにも書いてありますが、社会のさまざまな出来事をとおして、心理学を学ぶためのページです。そして、犯罪心理のページに関して言えば、不幸な犯罪が少しでも減ることを願って作っています。

 「この時期に言うべきことか」ということに関しては、この時期だからこそ発言しようと思いました。普段なら、たいして人に読まれない内容でも、この時期だからこそ多くの人に読んでいただけました。非行に関する正しい知識を伝えることも、不幸な犯罪を減らすために意味のあることだと考えています。それが、被害者の死を無駄にしないことにもつながると思っています。

 ただ、この内容をアップした直後にこのようなご批判があれば、私も考えていたかもしれません。しかし、私は被害者やご遺族と直接お知り合いの方々からもメールをいただきましたが、そのようなご批判はありませんでした。

 なお、「非行をどのように治すか」の著者は家庭裁判所の調査官だった人です。内容的には、特別ユニークなものというよりも、非行の心理に関する一般的な内容であり、「異界に住む子供達」の「非行原因に関する総合的調査研究」で使われている「非行の原因」の本と、全体的な考え方としては大きな食い違いはないと思います。

[ 少年犯罪への刑罰の副作用 ]

 犯罪を犯した少年に何らかの罰を与えることは、賛成です。現在の少年法も、「制裁と教育」という2つの側面を合わせ持ったものです。決して少年を甘やかすものではなく、少年に対して犯した罪への責任を問うものです。ただ、刑罰を加えることだけが責任を問うことにはならないと考えているようです。

 投稿291で問題提起されていますが、少年への刑罰の適用を広げることが、犯罪(再犯)の防止になるか、良い効果だけでリスク(副作用)はないのかということに関しては、以下のような意見があります。

 「ラベリング理論」や「スティグマ」に関しては、「少年非行Q&A」にも説明があります。この考えに基づき、実名報道をしない、少年審判を公開しないとしています。(ここには、かなり細かい議論もありますが、「厳しい処分を受けた者が、そのラベリングによって二次的に逸脱し、さらに非行を繰り返す傾向になる、といったこは日本では見られない」というのは、日本の少年法が上手く機能していることを示すもので、ラベリング理論自体を否定するものではないでしょう。)

 福島章は、「< 初発犯罪、ラベリング、二次犯罪、犯罪の習慣化 >という過程については、だれしも異論を持つ者はいない」と述べています(「犯罪ハンドブック」)。

 犯罪を犯した者に犯罪者のラベルを貼り、世間にそれを広めてしまうことは、彼を孤立させ、かえって再犯率を高める可能性があるわけです。

「少年犯罪と少年法」(明石書店)の中には、以下のような意見があります。

「事件が重いほど、単純に懲罰を加えたところで更生はしないだろう」

「安易な刑罰を与えても、少年は社会を恨むだけ」

「お前は犯罪者だと厳しい対応を考えた場合には、〜再び犯罪を犯し、〜犯罪を重ねる可能性〜」

「アメリカには、年少少年の殺人犯が2千人、3千人といる〜厳罰に走った〜今度は確固とした犯罪者になって出てくると言う恐怖」

「厳罰に処すということがよい方向には行かないと社会は学んできた」

「人間行動学の上ではそういうことはとっくの昔に常識」

「立ち直りの機会を与えることが、全体の犯罪を最も効率よく予防して、繰り返し犯罪(再犯や累犯)を防ぐ」

[ 見つからなければいいんだ ]

 「「見つからなければいいんだ。」考える能力のある子供ならこの結論に達するはずです」投稿291にこのような文章があります。しかし、これは違うと思います。本当に考える能力のある子供なら、「見つからなくても悪いことはしてはいけない」と考えます。(投稿177でも少し述べました)

 島根県警HPの「非行原因に関する総合的調査研究(「非行の原因」麦島文夫著」)には、以下のような調査結果が紹介されています。

「「ともかく人から罰せられないようにすべきだ」とか、「皆からほめられるようにしていれば間違いない」などの意見に対しては、非行群の方が一般群より賛成が多い。これは道徳的判断として、他者からの賞や罰が基準になり易い傾向にあるとも言える。このことは、コールバーグの道徳的発達段階で言うと最も低い段階の反応なので、非行少年が道徳的に問題がある〜」

 非行少年達も、人からの罰を避け、称賛を受けようとは思っているのです。でも、そのような「他律的な道徳観」では不十分であり、罰がなくても悪いことはしないという「自律的な道徳観」にまで発達していくことが必要なのです。もちろん、罰や規制が果たす大切な役割もあるのですが、同時に、自律的な道徳観を育てるためにはいつまでも強い賞罰で行動を規制しすぎず、自主的に考えて行動できるような環境が必要であることが、実証されています。

つづく

* 

 私は、犯罪学の専門家でもなく、六法全書の使い方もわからない者です。それなのに、昨日読んだようなことを偉そうに書いてどんな意味があるのだろう、そんなことも考えました。しかし、この掲示板は学校の教室ではないのですから、専門家の先生による授業が行われてもあまり意味がないのかもしれません。

 このHPの読者である私たちが、いろいろなことを考え、学び、時には誤解もあるけれども、多くの方々と意見の交換をすることこそ、この掲示板の意義なのかもしれません。

碓井真史



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