こころの散歩道(心理学総合案内)/ 犯罪心理学 / 新潟女性監禁事件/傍聴2
私が傍聴席に入ったときは、ちょうど被害者調書が読み上げられるときでした。事件について、被害者女性が語る形で「私は〜」という文章でつづられています。
検事の感情のこもらないぶっきらぼうな朗読でも、彼女の辛い気持ちが切々と胸に迫ってきました。
女性は、誘拐され、車のトランクに入れられたときの状況を、驚くほど克明に覚えていました。この出来事が、どれほど大きく衝撃的な出来事だったかがわかります。同時に、その後の9年2ヶ月が、どれほど空白の時間だったかも。
私は、監禁が長期間になってしまったのは、偶然だと想像していました。しかし、事実は違いました。彼は、最初から長期の監禁を狙っていたのです。
誘拐されてすぐ、
「お父さん、お母さんの家へ帰れるの? 三条のお家へ変えれるの?」と何度も尋ねる少女に対し、
「ずっと一緒に暮らすんだ」と答えています。
今までの報道以上に、また私たちの想像以上に過酷な監禁状態でした。彼女は、長期にわたってガムテープで手足を縛られ続けました。ベッドから降りることも許されませんでした。
被告が部屋のドアを開けて出入りするときには、女性は目隠しするように命じられました。ドアの外を見ることもできず、この家の様子を想像する余裕さえなかったと彼女は語っています。
ベッドのまわりの床には、テープが張られており、このテープの外側に出ることを禁じられていたのかと思っていたのですが、そうではなく、歩くときはこのテープの上だけを歩くように命じられていました。
彼女が痩せ衰えていったのも、単なる監禁の結果ではなく、被告が意図的にしたものでした。彼は、逃走する力を奪うために、満足な食事を与えず、運動もさせませんでした。
被告はささいなことでも暴力をふるいました。はじめて「スタンガンを使っていいか」と問われたときに、彼女は被告を怒らせてはいけないと思い、スタンガンを使わせました。それほど、彼女はおびえていたのです。
形式的
裁判というものは、ずいぶん形式的に進むものです。そして閉鎖的です。
犯罪被害者の中には、この裁判のシステムによって傷つく人もいます。被害者や家族にとってはとても大きな出来事なのに、裁判は淡々と進みます。事務的に文書が読み上げられます。
それは仕方のない面もあるのでしょうが、被害者側にとっては辛いことでしょう。
*
閉鎖的
裁判の途中で、一人の傍聴人が裁判官から注意を受けました。
「そこの傍聴人!」
裁判官が突然厳しい声をあげ、傍聴席の一人を指さします。
「もっときちんとした態度で傍聴するように」
私は何が起ったのか良くわかりませんでした。注意を受けた人は、裁判の様子をスケッチしている人でした。(この人と、後でテレビ局内で話をしました)
その人は決していい加減な態度をとっていたわけではありません。ふざけていたわけでもないし、他の傍聴人に特別迷惑をかけていたとも思えません。仕事としてスケッチをしていたことは、裁判官にもわかったはずです。
たしかに、絵を描くためにやや身を乗り出し、顔を頻繁に上げたり下げたりしながら盛んにペンを動かしていました。裁判官から見て目立ったのかもしれません。しかし、叱られるような悪い態度だったとは、どうしても思えません。
これが悪いというなら、仕事のために法廷の出入りを繰り返す他の報道関係者も悪いのでしょうか。
* 実は、私は裁判を傍聴したのは今回が初めてだったのですが、裁判ってなんて閉鎖的なんだと感じてしまいました。
後で、ある報道関係者にこのことを話すと、「そうですよ。裁判所は閉鎖的です」と言われました。以前はメモも自由に取れなかったし、時には服装も注意されたそうです。
もちろん、まじめな裁判を妨害したり、侮辱したりすることは悪いことですが、ごく普通の市民が、閉鎖的だと感じてしまうような裁判のあり方で良いのでしょうか。それで、被害者のため、弱者のための裁判になっていくのでしょうか。
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