秋葉原通り魔事件(秋葉原無差別殺傷事件)について、心理学から考える。
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犯罪心理学:心の闇と光

秋葉原殺傷事件の犯罪心理学2

事件から1年:私たちは事件から何を学ぶのか

2009.6.6

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秋葉原無差別殺傷事件から1年

秋葉原無差別殺傷事件。あの日は、晴れた日曜日でした(2008.6.8.sun.)。まるでテーマパークのようにようににぎわう歩行者天国のメインストリートに、一台のトラックという「現実」が突進してきたのです。
歩行者を引き殺し、さらに車から降りてナイフで殺傷し、7名が死亡、10名が深い傷を負いました。
あれから1年。
2008年は通り魔の発生件数14件、死傷者43人という最悪の記録を作ってしまいました。通り魔事件は、連鎖を生みやすいのです。
秋葉原の事件の前に発生した茨城8人殺傷事件でも、加害者男性は、秋葉原の犯人が「うらやましい」と語っています。
秋葉原の歩行者天国は、まだ再開されません。
被害者と家族の心の傷は、まだまだ癒されません。
***
裁判もまだ始まっていませんが、今もう一度事件について考えてみたいと思います。

加害者男性は、モンスターか。

彼が犯したことは、とてつもない凶悪なことです。けだもののような犯行と言う人もいるかもしれませんが、けだものは訳もなく仲間を惨殺したりしません。
彼の犯行動機は(今のところの報道によると)、インターネット上で自分を無視した人間に、「自分はここにいる」と示したかったからだといいます。
そんな理由で、仲間を殺すのは、人間だけです。
その人間の中でも、彼は私たちとは違う怪物なのでしょうか。
そう思ったほうが、気が楽でしょう。しかし、そうではないと思います。もちろん、このような事件はごく稀なことですけれども、彼が抱えていた心の問題は、現代の私たちも同様に抱えている問題ではないでしょうか。
彼は映画『羊たちの沈黙 』に出てくるハンニバルの様な、殺人自体を楽しむ人間ではありません。犯行の直前まで普通に働き、普通に生活をしていた人でした。
彼は責められるべきことをしたのですから、裁かれ適切な刑罰を受けるのは当然です。
しかし、私たちは彼を責めて終わらせてはいけないのではないでしょうか。犯罪は社会を映す鏡です。貴重な犠牲を無駄にしないためにも、私たちは犯罪から学ばなければならないと思うのです。

容疑者男性の家族

怪物のような殺人者を生んだ家族は、めちゃくちゃな家族だったのでしょうか。たしかに、かなり厳しい教育を受けてきたようです。
母親がつききりで勉強を教え、たとえば宿題の作文で書き出しが気に食わないと、母親が何度でも原稿用紙を破り捨てたといいます。
母親がとして、夕食を新聞紙の上にぶちまけて食べさせたこともあったといいます。
たしかに、普通とは言いにくいと思います。
しかし、悪い母親ではありませんでした。子どもを愛し、能力とやる気のある、一生懸命な母親でした。しかし、その愛は空回りをし、子どもには届きませんでした。
県内一の高校には合格できたものの、彼は家族の中で孤独であり、敗北感を持ちました。
でも、程度の違いはあれ、このような教育をしている家庭はあるのではないでしょうか。
彼は、教育やしつけを受けずに育ったのではありません。そして、似たような環境に育つ子どもはたくさんいるでしょう。
親は良かれと思い、勉強をさせ、しつけをします。
しかし、青少年犯罪に詳しい精神科医ドロシー・ルイスは語っています。
「犯罪青少年のしつけに問題があるとすれば、それは足りないからではなく、まちがった方法で、やりすぎることに問題があるのだ。彼らの親は子どもを容赦しない。を与えるのに熱心すぎる。私が会ったもっとも凶暴な少年犯罪者は、もっとも厳しいしつけを受けてきた子どもだった。」
彼は、1年たった今も、弁護人以外の面会を拒んでいます。
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表現としての犯罪

殺人の動機は、金目当てや恨みが一般的です。しかし、彼の動機は自分の存在を示すことでした。それは、自分の気持ちを分かってもらうことともいえるでしょう。それは、表現としての犯罪です。
彼は一般の犯罪者のように顔を隠すこともせず、白昼堂々と大勢の目の前で犯行にいたりました。
現代人は、表現したがっています。カラオケで歌い、ストリートで踊り、ブログに日記を公開します。
そうして満足している人は、心が安定しています。誰かが自分を見てくれて、愛する仲間や家族がいて、自分が認められればOKです。
しかし、だれも誰も見てくれない、わかってくれない時、人は心の安定を失います。
そして、簡単に注目を集める方法が悪いことです。特に通り魔犯罪の様なことは大きく報道されるでしょう。
金メダルを取ったり、芸能人になるようなことは、誰もができることではありません。しかし通り魔犯罪なら、ナイフ一つでできるようでしょう。
だから、通り魔事件は連続発生してしまいます。同じような満たされない思いを持ったお人々を、事件報道が刺激してしまうのです。
また、ネット犯行予告が行われてた秋葉原無差別殺傷事件の後、実際の犯行の意思はないもののネット犯行予告によって逮捕補導される事件も相次ぎました。

現代人は、なぜ満たされないのか。

愛されている実感が持てない人、見捨てられる不安におびえている人、そんな人々が今大量に生み出されているように思います。
この豊かで安定した社会の中で、その副作用として、愛が伝わりにくい社会になっているのではないでしょうか。
個性尊重の時代といわれているのに、ありのままの一人ひとりが尊重されるのではなく、個性的でなければならないと思いこんでいる人々が大勢います。
まるで芸能人のように、おしゃれで、かっこよく、おもしろくて、場の空気が読める、そんな「個性的」な人間でなければ自分は認められないのではないかと恐れているのです。
秋葉原事件の男性も、一流高校に入ったものの学校内で活躍できませんでした。その後も、彼にとっては満足のいかない人生になってしまいました。本当はそんなことはないと思うのですが、正社員ではなく恋人もいない自分を、彼は日本一の負け組、ダメ人間だと思い込んだのです。
本当はそのままで、みんなが「個性的」なのですが、そのような安心感が持てませんでした。
彼は、家族の中でも孤独、学校でも孤独、職場でも孤独、ネットでも孤独になってしまいました。でも、そういう人々は、たくさんいるのではないでしょうか。

大切な君、特別な君

私が講演会などでよく朗読する絵本で、『たいせつなきみ 』という絵本があります。これは、一人ひとりが愛されていかけがえのない存在だと伝える絵本です。
この本は翻訳本なのですが、原題は「You Are Special」です。直訳すれば、「特別な君」でしょうか。
でも、日本語で「スペシャル・特別」というと、何か人よりすぐれた特殊技能を持っているような感じがしていまいます。
しかし、そういう意味ではなくて、一人ひとりが誰かとの比較ではなくて、スペシャルな存在なのだという意味で、「たいせつなきみ」と翻訳したように思えます。
竹内まりやさんの曲で、SONYのビデオカメラのコマーシャルソングにもなった「毎日がスペシャル」。このスペシャルも、今日が給料日じゃなくても、誕生日ではなくても、一日一日がスペシャルな日なのだと歌っています。
私たち人間も本当は、一人ひとりが、スペシャルな存在です。
 

愛と尊厳を取り戻すために

世の中は変化します。必要な変化もあります。仕方のない変化もあります。非正規雇用の問題は、一年前よりも深刻になりました。
家族の形も変化し続けています。かつて標準家族といわれた夫婦と子ども二人の家族も減っています。
この社会を作ったのは、私たちです。
政治家に文句を言うこともできますが、選んだのは私たちです。
私たちが作った社会に、私たちは責任を持ちたいと思います。
社会がどう変わっても、人間には愛と尊厳が必要です。
派遣社員の方で、職場を去る時に、送別会も、挨拶すらなかったと語っている人がいました。
社会の法律や制度が急激に変化する中で、インフォーマルな人間関係のあり方(習慣)がついていっていません。
秋葉原の加害者男性も、自分は職場では人間ではなく道具にすぎないと語っています。それは、一つの職場だけの問題ではありません。
非正規雇用者が増えることが、もしも必要で避けられないことであるならば、非正規雇用者の人々も尊厳をもって働けるように、私たちは工夫をすべきでした。
家族の形が変わり、離婚が増え、少子化が進むとしても、その中で、子どもたちが愛でつつまれるようにするには、どうしたらよいのか。子どもと親を、どう支援したらよいのか。
人生がうまくいっていない人を責めるのは簡単です。しかし同じ社会に住む私たちに求められるのは、排除ではなく、支援ではないでしょうか。
私たちは、日本の犯罪史に残るこの大きな事件から、何を学ぶのでしょうか。
***
☆犯罪を犯したとき、本人が「社会が悪い」と責任転嫁してはいけないと思います。同時に、私たちが本人だけが悪いとして、私たちの責任を考えないのも間違っていると思います。
もちろん、私たちもただ「社会が悪い」というだけではいけないと思います。「社会が悪い」と言っていいのは、自分もその社会を作ってきた責任のある一人だと自覚できる人だけではないかと、思うのです。

  

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碓井真史著『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』
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2008年8月発行
碓井真史著『嘘の正しい使い方:ホンネとタテマエを自在に操る心理法則』
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2000年

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