心理学エッセイ、心理学コラム。今日の心理学。最近の話題から、人の心、人間関係の問題に心理学的アプローチ。

 心理学 総合案内こころの散歩道

心理学エッセイ、今日の心理学、day by day
今日の心理学


こころの散歩道サイト内検索


* セレクト *

カウンセリング、人生相談、占いあなたは何を恐れているの?、失敗と人からの評価弱さの自覚、強さの実感 本当の心の強さとは人助けの心理、援助行動の心理学正当防衛、仕返し、恨みの心理自分のものに、お金の心理、お酒の心理生番組と失敗の心理0か100か、白か黒か 完璧性、カルト、あいまいの心理やる気とフィードバックの心理がまんの心理小さな幸せ、幸福になるために幸せな子育て、心理学から見た子育て最大のポイント病気と偏見助けを求めることは勇気の表れ、カウンセラーとクライエント出会いと始まり、不安と希望の心理学第2希望、第3希望、自己決定の心理チーズはどこへ消えた、変化を恐れる心理善玉ストレス、悪玉ストレスの心理チャレンジャーだね、挑戦の心理




2005年9月13日(火)

● 総選挙 「あなたの一票には力がある」 

〜信じる力〜

 05.9.11。衆議院の選挙が終わりました。

結果の問題はともかくといたしまして、これまでずっと下がりつづけてきた投票率が上がったことは、良かったと思います。

投票日前のキャンペーンで、言われていました。

「あなたの一票には力がある」

 実際に以前のような組織票だけでは勝てなくなってきており、各陣営ともいわゆる無党派層、浮遊票を重視してきていますから、個人の一票一票が選挙結果を左右している感覚は持ちやすくなっていると思います。

 ただ、どんなに大接戦といっても、一票差で当落が変わることはまずありませんから、私が投票しようがしまいが何も変わらないと感じる人もいるでしょう。

 さて、「あなたの一票には力がある」。本当でしょうか。
それは、本当です。あなたがそれを信じるなら。
あなたが、そして私達ひとりひとりが、その言葉を信じたとき、言葉は真実となります。

 おとぎ話の世界に出てくるような表現ですが、でもそれはウソの作り話絵はなく、むしろ現実世界のこのようなことがらを、おとぎ話の世界ではメルヘンチックに表現しているのでしょう。

 その言葉を信じたとき、そのときに、それは真実となります。

***
 心理学の有名な研究に「ピグマリオン効果」と呼ばれるものがあります。学校の先生に、「この生徒はこれからすごく伸びますよ」という情報を与えます。実はこの情報は何の根拠もありません。適当に選んだ生徒に対して、ただこう言っただけです。

 ところが、先生がこのことばを信じたことによって、実際に生徒の成績は上がっていきました。

「自己効力感」に関する実験です。
実験に協力してくれる人に、ある作業をやってもらい、途中で成績を伝えます。ただし、伝える成績は実際の作業成績とは無関係の成績です。その結果、実際の作業成績とは無関係なのに、あなたの成績は悪いと伝えると成績はさがり、あなたの成績は良いと伝えると成績が上がっていったのです。

***

信じるとき、その言葉は力を持つのでしょう。




2004年11月11日(木)

● いろんな場所で傷ついた方々へ 



こんな仕事をしていると、多くの方が、多くの場所で傷ついた話を聞きます。

子どもが通う学校で傷つけられた。病院の精神科で傷ついた。カウンセラーに傷つけられた。役所の福祉課で傷つけられた。キリスト教会の中で傷つけられた。などなど。

大人に傷つけられ、もう大人なんか信用しない!という青年達も大勢います。

心理学や教育や宗教に関わる者として、また大人の一人として、そのような方々みなさんに、お詫び申し上げたいと思います。ひどい人や組織と出会われてしまって、とても残念です。申し訳ありません。すいません。

でも、できることなら、同種の人や団体を、全部ダメだとは思わないで下さい。

信用できる大人もいます。いろんな教師がいます。学校中すべての教師がダメ教師であることは極めて稀だと思います。いろんな病院、いろんな精神科医もいます。カウンセラーの人格も力量も、人それぞれです。

どんな職業の人たちも、どんな思想を持つ人たちも、善人悪人、優しい厳しい、気がきくきかない、いろんな人たちがいると思います。

できることならば、どうか別の良い場所を探してください。

教育や、精神医学や、カウンセリングや、福祉、キリストそれ自体を、私は信じています。たしかに変な人もいます。中には悪人もいるでしょう。あるいは、確かに理屈は合っているとか、極めて善意で一生懸命なのですが、それがかえって人を傷つけてしまうこともあります。

どうか、あなたに合う場所が見つかりますように。あなたに合う人たちが見つかりますように。どうかあなたの心の傷が癒されますように。







2004年10月18日(月)
● とてつもなく悲しいとき、
どうしようもなく落ち込むとき
 


 ☆私は、人間一人一人にすばらしい存在目的があると信じている者ですが、それはひとまずさておき。☆

とてつもなく悲しいときは、いっぱい悲しんでいいと思います。
どうしようもなく落ち込むときは、そのまま落ち込んでいていいと思います。

(もちろん、身体や脳が何らかの病気であるならば、何の病気であれ治療が必要であり、お薬が必要ではありますが。)

とてつもなく悲しいとき。

長年の夢が破れたとき、愛する人を亡くしたとき、それはもう心が押しつぶされるほどの悲しみ。そんなときには、悲しんでいいと思います。思いっきり悲しんでいいと思います。今のあなたには、悲しむことが必要です。嘆きの時が必要です。

どうしようもなく落ち込むとき。

そういうとき。しょうがないです。無理やり元気になろうとせず、落ち込んでいる自分を受け入れられるといいかなあ。

少し落ち込んでいるだけなら、「元気出せ!」って自分をふるい立たせるのも良いでしょう。

でも、どうしようもなく落ち込んでいるときには、心も身体も休むことが必要です。落ち込んでいる自分を受け入れ、しょうがないのですから、そのまましばらく落ち込みましょう。(うつ病のような治療や投薬が必要な病気であれば、もちろんそれを受けながら)

深い悲しみのときをすごしながら、激しく落ち込みながら、そうして、生きていきましょう。

今のあなたには悲しむことが必要。今のあなたには落ち込むことが必要。涙が必要であり、じっとしていることが必要です。

そうして、生きていきましょうよ。




2004年1月14日(水)
● 成人式 


 今年も各地の成人式の一部で、騒ぎが見られたようです。当サイト内の新成人大暴れ !? の 心理 はヤフーニュースとピックスで目立つ場所で紹介され、一日におよそ20万のアクセスがありました。それだけ、皆さんの関心が高いのでしょう。

 ページを読んだ青年から掲示板に投稿がありました。大人に対して、もっと青年を理解して欲しいというないようでした。そして、彼は、「力がない」といったことを言います。

 彼自身はまじめな人だとは思いますが、現代の若者達がこのように考えてしまうことが、現代日本社会の閉塞状況や、大暴れする若者達を作っているような気がします。

彼には、このように返信しました。

> だから、現代社会の中心である今の大人たちには
> もっと「寛容」を学んで欲しい。

> もうあなたたちの秤では測れないほどに
> 時代は進んでしまっているのだから。

おお、頼もしい言葉だぞ。
君たちが時代を作り、未来を切り開くんだ。
> 私には社会に一石を投じる力が無い。

そんなことないと思いますよ。
じゃあ、誰にその力があるのですか。

もっとお金持ち? もっと有名人? もっと社会的地位の高い人? もっと高齢の人?

あなた方一人一人が、社会に一石を投じるのです。

あなたが、ほんとうに社会の人々をうならせるようなすばらしい生の意見を発信することができるなら、マスコミ人や行政の人間や政治家の心を動かすこともできるはずです。

期待しています。





2003年12月20日(土)
● あなたのお家のサンタさん 


 もうすぐクリスマス。クリスマスといえば、サンタクロース。子どもはみんなサンタさんが大好きです。なぜ、好きなのでしょう。サンタは、いつも笑顔。いつも穏やか。サンタは、子どもの話を聞いてくれます。

 大きな体の、おひげのサンタを前にして、小さな子どもはとってもうれしそう。でもちょっと、緊張気味。もじもじしながら、サンタさんに近づきます。恥ずかしそうに、聞こえないくらい小さな声で、「お願い」をお話します。

 そんな時サンタは、もっと大きな声でしゃべりなさいなんて、もちろん叱ったりしません。ひょいと、子どもを抱き上げて、ひざに乗せ、大きな腕で抱きしめて、子どもの口に耳を寄せます。「さあ、君の願いを話してごらん。」

 とっても優しくて、頼りになって、しっかり話を聞いてくれる。よい子の願いをかなえてくれる。それが、サンタさん。それにサンタは、良い子かどうかを外見や、先入観では判断しません。誰が良い子で、誰が悪い子か、ちゃんと見ていてくれるのです。

 サンタさんは大忙し。一晩で世界中を周るのですから。でも、どんなに忙しくても、その一人の子どものことを決して忘れません。その一人の子どものことを、心から愛し、特別に愛して、その子のためにプレゼントを持ってきてくれるのです。

 子どもがサンタのためにミルクとキャンディーを用意しておけば、どんなに先を急いでいるときでも、きれいに飲んで、食べていってくれます。サンタが、子どもの好意を無にするわけはありません。

 「君のことが大好きだよ」。サンタからのメッセージが、ちゃんと子ども達に届く。だから、子どもはサンタクロースが大好きなのです。

 あなたのお宅ではいかがですか。年末でどんなに忙しくても、あなたのお子さんには、特別に愛してくれる、すてきな「サンタクロース」が、やってきますか。





2003年10月30日(木)
● 太陽はその上に 
事実と真実


 真っ黒な雲が空をおおい、激しい雨と風がやってきた。荒れ狂う嵐。雨に打たれびしょぬれになり、風で飛ばされそうになりよりよろと歩いている、そんな時。

 そんな時にも、太陽はその上で輝いています。

 そんなことが信じられないくらいの悪天候なのですが、でも確かに、厚い雲の上で、太陽はいつもと同じように輝いています。

 激しく辛い現実を前にして、私たちは真実が見えなくなってしまうことがあります。

 辛い出来事が重なる中で、こんな自分なんかいなくなってしまえばいいとか、世の中は悪い人間ばかりだとか、自分が死んでも誰も悲しまないとか。

 でも、それは間違っています。

 心がほんの少し元気になって、あの辛かったときのことを思い出すと、ああ、あの時はなんてことを考えていたんだ、自暴自棄になってとんでもないことをしなくて良かったと、多くの人は思うのです。

 嵐が過ぎ去れば、また太陽が顔をだします。

 強烈な現実が、真実を見えなくしてしまうことはあります。「あなたも一人ではないし、あなたも愛されている」という真実が見えなくなってしまうことがあるのです。

 真実を忘れないこと、とても大切だと思います。

 けれども、今嵐の中で苦しんでいる人に向かって、ニコニコ笑いながら「空の上には太陽が」なんて話かけたら怒られてしまうでしょう。

 これはこれは大変ですねって、傘を貸したり、雨宿りをすすめたり、びしょぬれの体を拭いてあげて、暖めてあげる必要があります。

 現実は無視できません。その時々の現実に対応しなくてはなりません。

 でも、その対応をしようという気力を出すためにも、「真実」を忘れないで。

 どんな嵐のときでも、暖かな太陽の存在など考えられないときでも、それでも太陽は雲の上ででさんさんと輝いているのです。





2003年10月29日(水)
● 不登校:学校へ行っていなくても 
そして「宝探し」


 ある日子どもが学校へ行きたくないと言い始める。親は大慌て。家庭には嵐が吹き荒れます(というのが前回のお話)。

 さて、嵐が収まって少し落ち着いてくると、学校に行かない子どもは、昼間からゲームをしたり、マンガを読んだりします。これが、親としては腹が立ちます。怒鳴りつけたくなります。でも、そんなことをしても良いことはありません。

 せっかく休んでいるのですから、しっかり休みましょう。ゲームもマンガも、昼夜逆転するほどでなければ、心身の癒しになります。そんなに家を居ごこち良くしたら、ますます家から出なくなるでしょうか。そんなことはありません。いずれ子どもは自立するでしょう。

 では、何もしないことが良いことでしょうか。そうではありません。登校刺激を与えてはいけないという言葉を誤解し、登校の「きっかけ」を与えないのは間違っています。

 学校へ行かせること自体が目的ではないのですが、本当は学校へ行きたいのに行けないことで自己卑下している、そんな子どもの心を癒しましょう。

 「どうしてこの子は学校へ行かないのだろう」と考えるのではなく、「どうしたら学校へいけるのか」を考えましょう。

 登校を妨げているものがあるなら、できるだけ取ってあげましょう。

「過去の問題」ではなく、「未来の可能性」を見つけましょう。

 何が良いきっかけになるのかは、私にもわかりません。家庭と学校とが協力して、探していきましょう。

 これは「宝さがし」なのです。その子の秘められた可能性、宝物は必ずあります。どこかを掘って宝が出てこなくても、落ち込むことはありません。その場所に固執してはいけません。次の場所にチャレンジです。

 この子にもすばらしい宝物があると、信じてもらうことで、子どもは癒され、勇気を与えられます。

 この子にもすばらしい宝物があると、親が信じることで、親の心も癒され、勇気が湧いてくるのです。




2003年9月29日(月)
● 不登校:学校へ行っていなくても 


 今、全国に13万人の不登校児がいます。さらに実際は、この統計上の数字をはるかに越えて、多くの子ども達が悩んでいます。

しかし統計上はどうであれ、我が子が不登校になるなど想像もしていませんから、そんなことになれば、家庭の中は嵐が吹き荒れます。

 子どもを責め、叱咤激励し、学校に失望し、夫婦仲は悪くなり、善意ではあるのですが周囲からの不用意なアドバイスに深く傷つきます。

そして、親である自分自身を責めます。その中で、子どもが荒れはじめたり、閉じこもったりし、悩みはますます深まります。

 さて、誰かを責めても問題は解決しません。感情的な後悔を繰り返して毎日泣いていても、問題は解決しません。

一番苦しんでいるのは、仮に表面上はそう見えないとしても、やはり子ども自身です。そして、周囲がなんと言おうと、その子どものことを、最も愛し、心配しているのは、親であるあなたです。

 怠学傾向の子は別として、不登校児の多くは、みんな優しくて有能です。ただその優しさ繊細さが、時には、他の子どもたちのがさつで乱暴な世界との摩擦を引き起こします。

 そんな良い子達なのに、学校に行けない自分を責め、強い劣等感をもちます。これでは、その子の良さを生かすことができません。ですから、

「うちの子は、学校へは行っていないけれども、とっても良い子だ」と思いましょう。

子ども自身、「僕は学校には行っていないけれど、決してだめな子じゃない」と思えるようにしましょう。

 せっかく不登校をしているのですから、不登校したかいのある不登校をしましょう。

新しい出会い、新しい気づきが、きっとあるはずです。(不登校からの脱出についてはまた次回に)




2003年9月2日(火)
● 自分をだめな人間だと思う 


 先日、遅ればせながら、映画「アイ アム サム」をビデオで見ました。

 知的障害のある父親が何とか自分の手で娘を育てようとする映画です。里親のもとへ連れて行かれそうになる子どもを、女性敏腕弁護士の力を借りて、取り戻そうとします。

 主人公のサムは7歳並みの知的レベル。簡単な仕事しかできず、お金もありません。でも、子どもへの愛は誰にも負けません。娘も、だれよりもお父さんのことを愛しています。二人で一緒にいるときが、二人にとって最高に幸せなときです。

 一方、女性弁護士の方は、かなりのやり手。頭も良い、お金もある、豪邸暮らし。いつも立派なオフィスで、お金持ちのクライアントを相手に、忙しく働いています。その彼女が、ひょうんなことからサムの弁護を無料で引き受けることになってしまいます。

 子どもを取り戻す裁判はなかなか思うようにはいきません。いつもは温厚でやさしいサムも、とうとうかんしゃくを起こして、弁護士さんにどなってしまいます。

 「あなたのような(頭の良い上流階級の)人に、思い通りにならない僕の気持ちはわからない!」

 そう言われた弁護士さんは、涙を流しながら答えます。

 「「あなたのような」というこの私は、夫に浮気をされ、息子は少しも私の話を聞いてくれず、私は息子をヒステリックに怒鳴り散らす。そして、毎日「自分はだめな人間だ」と自分を責めているのよ。


 先日見たテレビ番組の中で、「うつ度チェック」をやっていました。質問の中に、「自分はだめな人間だと思うことがある」という問いがありました。

 スタジオで回答しているのは、有名タレントのみなさんです。毒舌で売れているお笑いタレントさんもいます。でも、その人たちが、「自分はだめな人間だと思うことがある」と答えていました。

 お金がない。有名でない。健康でない。だから、自分は苦労している、不幸だと思っている人たちがいます。たしかに、大変なご苦労をされている方々がいます(その状況で、生き生きと幸せに生活している人もいますが)。

 苦しいのは確かにそうかもしれません。大きな問題も抱えているでしょう。社会的弱者とも言えるでしょう。不幸だと感じているのも確かにそうかもしれません。たしかに、これといった障害を持っていない人には理解できない苦しみもあるのでしょう。

 でも、苦しいのは自分だけだというのは、少し違うのかもしれません。

 私は豪邸に住んでいるわけでもなく、タレントでもありませんが、大学の教員をしている、たまに本を出したりテレビに出るということだけで、特別な人間だと誤解されてしまうこともあります(特にネット上で)。

 たしかに、私は障害者手帳も持っていませんし、生活保護も受けてはいませんが。

 「あなたのような人間に弱者の苦しみなんかわからない!」

そんなふうに断言されてしまうこともありました。
「あなたのような人間」というのは、いったいどのような人間をイメージしているのだろうと、考えてしまいます。

 私はいたって楽観的な人間で、ポジティブシンキングが好きで、自分のことを幸運な人間だと感じています(自分は神に愛されていると信じています)。

 それでも、しばしばうつになることがあります。

 このまま消えてしまいとか、自分はだめな人間だと感じることがあります。多くの人がそうであるように。

○ 「あなたに私の気持ちなんかわからない」

 人間たしかに自分が経験していないことは良くわからないかもしれません。「私の気持ちがわかるものか」と叫びたくなる気持ちも理解したいと願っています。

 ただ、「あなたに私の気持ちなんかわからない」と言い切ってしまうと、その先進まなくなるかなあとも思います。

 たとえば、性別が違う、年齢が違う、収入額が違う、健康の程度が違う、仕事が違う、経歴が違う、家族や親戚が違う。だから、お前に私の気持ちがわかるものか。

 そう言いたくなるときはあるでしょうが、それでも、お互いに相手にわかってもらおうと努力していきたいと思うのです。

 お互いに、なかなか人のことはわからない、でもだからこそ、お互いに共感し理解し合おうと思いたいのです。



2003年8月16日(土)
● ごめんね、ごめんね 


 今週は、長野県の高原で開催されていた中高生キャンプに参加しました。講師の一人として、中高生の皆さんにディスカッションをしてもらうネタを提供しました。

 私の話はともかくとして。

 子ども達はすばらしいと思います。元気で、純真で、感動する心をもっていて、成長します。

 こんなにすばらしい子ども達も、でも、問題を抱えています。大きな心の傷を背負っている子達もいます。

 勉強のこと、友達のこと、自分の性格、能力、そして、家族のこと。家族と一緒に暮らせない子達も何人か来ていました。

 ある中1の女の子は、「自分は5歳のときから去年まで、ずっと人を恨んできた」と語っていました。

 こんなセリフ、中1のセリフではないと思います。以前ずいぶん悪いことをしてきた子も、何人かいました。家庭の悩みを抱えてる子はたくさんいました。

 「ごめんね」大人として、そう感じました。大人の一人として、「ごめんね、ごめんね」と謝りたくなりました。

 子ども達はみんな愛されるために生まれてきたのに。かわいがられて育っていって当然なのに、大人たちが子どもを追い詰めます。

 「ごめんね、ごめんね」。子ども達の話を聞きながら、心の中で謝っていました。

 このキャンプは、キリスト教関係のキャンプでした。メインの講師がメッセージを語ります。

「君が親に愛されなくても、友達や、先生に愛されなくても、神様が君のことを愛しているよ。」

 修羅場をくぐって生きてきた子どもにとって、これはただの奇麗事ではなく、抽象的な話ではなく、具体的に、人生を左右する言葉です。

 「どうぞこの子ども達の心の傷を癒してください」。私の祈りも、抽象的ではなく、文字通りの願いを込めた祈りになりました。

 明るく元気で有能な女性スタッフの一人も、かつてはずいぶん悪いことをしてきたそうです。でも今は、愛されていることを知り、すてきな仲間ができて、人生が変えられ、キラキラと輝いていました。



あなたも一人ではないし、
あなたも愛されているのですから



2003年8月11日(月)
● 治療拒否で親権停止 


 今日の新聞報道によると、子どもの心臓病の治療を拒み、民間療法で治そうとしていた親の親権が停止され、子どもの手術が行われたそうです。

 このような事例は、「極めて異例」だとか。

 私達は、自分がどのような治療を受けるか受けないかを自己決定する権利を持っています。自分のペットについてもそうでしょう。では、自分の子どもの場合はどうでしょうか。

 子どもも親の持ち物だとすれば、親が決めても良いことになります。

 児童虐待をしている親の中には、自分の子どもなのだからどのようにしても良いだろう、他人が口をはさむなと言う人もいます。

 児童相談所に保護されたり、養護施設に入所した後でも、俺の子を返せと怒鳴り込んでくる親もいます。

 日本はもともと親権の強い国です。血のつながりを大切にする価値観があります。

 けれども、言うまでもなく、子どもは親の持ち物ではありません。

 たしかに、子どもは大人と違って親の保護下にあり、行動も制限されます(勝手に家を出たりすれば、強制的に連れ戻されます)。

 しかし、子どもは、親とは別の独立した1個の人格です。一人の人間です。親が好きなようにして良いはずがあります。

 子どもは天からの授かりものという言葉がありますが、本当は、天からの預かりものなのだと思います。

 虐待の問題だけではなく、より良い子育てのために、そのように考えた方が良いと思います。

 親として、子どもを守り育み、いろんな体験をさせ、大きくなったら社会にお返しする。そうして、子どもは自分の人生を歩んでいくものなのでしょう。

 子どもの医療の問題として、エホバの証人の輸血拒否の問題があります。輸血の必要な子どもに、親がそれを拒絶し、子どもは死亡してしまうという事件もありました。

 これは、後にビートだけし主演のテレビドラマにもなりました。
(『
説得 エホバの証人と輸血拒否事件』TBS1993)

 私達には、治療方法を選ぶ権利があり、信教の自由の権利があります。しかし、子どもの命を奪う権利はないのです。




2003年8月9日(土)
● 不登校児初めて減少? 


 昨日の報道によると、小中学生の不登校児がはじめて減少したそうです(2002年度は13万1211人で、前年度を7511人下回った)。これが、学校につてい悩んでいる子たちの本当の減少であれば、とてもよいのですが。

 ここで言う不登校とは、病気などの理由がないのに1年間で30日以上の欠席をした児童生徒たちのことです。

 現在では、朝から一日教室にいて勉強していなくても、出席扱いにしてくれる場所が増えています。

 相談室登校、保健室登校、適応指導教室登校など、いろいろあります。また、学校に来て10分間だけいてすぐに帰っても、遅刻早退ではありますが、出席日数にしてくれる場合もあります。

 ですから、不登校13万人とはいっても、不登校傾向のある子達は、それよりもずっと多いのです。

 不登校の減少は、関係者の努力もあるでしょうが、出席扱いをしてくれる場所が増えたことも大きな理由でしょう。

 統計はとても大事ですが、その中身は、もっと大事だと思います。

 文科省も「憂慮すべき状況は続いている」と述べています。

 どの子どもにとっても、学校がすてきな場所になりますように。




2003年8月7日(木)
● 定時制通信制高校 


 先日、定時制通信制高校の先生方が集まる研修会に、講師として参加しました。「ゆれる心の向こうに」と題して話をしました。

 私の話の内容はともかくとして。

 研修会後の懇親会で、いろんな先生方が次々と私のところに来てくださって、いろいろな話をしれくれました。

 これまで様々な研修会後の懇親会に参加してきましたが、こんなにたくさんの人が、熱心に話しに来てくれたのは、初めてでした。

 参加者の先生方は、皆さん一生懸命に教育に取り組んでいる先生達でした。先生方が熱心なことに加えて、定時制通信制高校には、実にバラエティーに富む生徒さんたちがいます。

先生方は、悩みも多く、また同時に、感動的な場面にも多く接しています。だから、大勢の先生方が、わざわざ私の席にまで来て、いろんなことを熱っぽく語ってくれたのだと思います。

 定時制高校は、全国的に数は減っています。それだけに、現在ある定時制高校の役割は大きくなっています。

 昔とは違い、経済的理由で定時制の夜間高校に通う人は少なくなっており、生徒たちの背景も多様です。

 高校のシステムもどんどん変わってきました。定時制でも、昼間も授業があり3年間で卒業できるコースもあります。通信制高校で、週に二日、または四日登校する学校もあります。それから、単位制の高校も増えてきましたね。

 生徒たちにとって選択肢が広がるのは良いことだと思います。

 ところで、定時制の夜間高校の先生にお聞きしたのですが、学校では昼間働くことを勧めているそうです。そして昼間働いている生徒のほうが、きちんと卒業する人が多いそうです。

 体力的には昼間働けば疲れるはずですが、でも心の面を考えると、昼間働くことで、たくさんの心の栄養を得ているのかもしれません。






2003年8月6日(月)
● 原爆 


 今日は58回目の広島原爆の日です。

○原爆ドーム

 初めて広島を訪れたときの感想です。広島には、原爆に関するモニュメントがいろいろあるのですが、人間が意図的に作った作品の力を大きく超えて、原爆ドームの姿は強く心に迫ってきました。

○過ちは繰り返しませんから

 平和公園に刻まれている言葉です。この言葉には異論もあったそうです。過ちを犯したのは広島市民ではないと。それでも、あえてこの言葉にしたそうです。

 原爆資料館はすばらしい資料館です。しかし、私が疑問に思うのは、恐ろしい原爆が「落ちてきた」ことは良くわかるのですが、「落とされた」という視点がほとんど見られないことです。

 誰かを責めるのではなく、原爆の恐ろしさを伝えていこうという意図なのでしょうか。

 心の癒しのためには、このような発想は良いことだと思います。

 でも、平和運動のためにどちらが良いのかはよくわかりません。少なくとも、アメリカへの配慮などでなければよいのですが。

○8月6日

 広島出身の友人から聞いたのですが、8月6日は登校日だったそうです。彼は、日本中がそうだと思っていました。

 ヒロシマの思い、ナガサキの思い、オキナワの思いを、私達みんなで共有することができますように。




2003年7月28日(月)
● どこまでも 


 みなさんこんにちは。お久しぶりです(このページでは)。

 先日、TBS「報道特集」のスタッフがわざわざ東京からこちら新潟まで、取材に来てくれました。私がスクールカウンセリングを行っている中学校で、二日にわたり、何時間も取材してくれました。

 先週の日曜日(7.20)放送されました。何時間もの取材内容が、ぐっと凝縮されて、5分ほどになっていました。(何人もの中学生に、「私が出なかったあ」といわれてしまいました。)

 さて、その中に、残してもらった私の言葉。

 教職員研修会で、「どこまで生徒を受け入れなければならないのですか」という質問に答えて、

 「「どこまでも」だと思います。」

 先生方が、生徒を受け入れていないという意味ではありません。また、叱ってはいけないとか、休んではいけないという意味でもありません。でも、「どこまでも」受け入れていこうという気持ちが、大切だと思うのです。

 先週水木金と、研修会講師として京都東本願寺に行ってきました(大谷派の保育関係の会議です)

 そこで私が話した内容はともかくとして。たくさんのお坊様方とお話できて貴重な体験ができました。

 弥勒菩薩は、すべてを救い、「どこまでも」私達を守ってくださるそうです。

 私自身はクリスチャンなのですが、キリスト教の教えでも、神はあなたを愛し、すべての人を愛し、「どこまでも」守り、決して見離しません。

 人の心の健康と幸せにとって、どこまでも見離さずに助けてくれる存在が、とても大切なのだと思います。


* セレクト *

カウンセリング、人生相談、占いあなたは何を恐れているの?、失敗と人からの評価弱さの自覚、強さの実感 本当の心の強さとは人助けの心理、援助行動の心理学正当防衛、仕返し、恨みの心理自分のものに、お金の心理、お酒の心理生番組と失敗の心理0か100か、白か黒か 完璧性、カルト、あいまいの心理やる気とフィードバックの心理がまんの心理小さな幸せ、幸福になるために幸せな子育て、心理学から見た子育て最大のポイント病気と偏見助けを求めることは勇気の表れ、カウンセラーとクライエント出会いと始まり、不安と希望の心理学第2希望、第3希望、自己決定の心理チーズはどこへ消えた、変化を恐れる心理善玉ストレス、悪玉ストレスの心理チャレンジャーだね、挑戦の心理

こころの散歩道 DAY by DAY 2001.2〜2002.2

こころの散歩道 昨日、おととい、さきおととい」2000.8〜2001.2

今日の心理学昨日一昨日/2000〜2002

「このページについて」

***

心理学入門社会心理学(対人心理学)心の癒し(いやし)・臨床心理学やる気の心理学マインドコントロール| ニュースの心理学的解説自殺と自殺予防の心理学犯罪心理学少年犯罪の心理学(非行の心理)宗教と科学(心理学) プロフィール講演心療内科リンク今日の心理学(エッセイ) | 掲示板

心理学総合案内「こころの散歩道」
心理学総合案内こころの散歩道
トップページへ戻る

こころの散歩道全体の What'sNew

こころの散歩道サイト内検索

***

ご訪問、ありがとうございます。

このホームページ「こころの散歩道」から5冊の本ができました。
2008年9月緊急発行
碓井真史著『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』
誰でもいいから殺したかった! 追い詰められた青少年の心理』  (詳細)
2008年8月発行
碓井真史著『嘘の正しい使い方:ホンネとタテマエを自在に操る心理法則』
人間関係がうまくいく図解嘘の正しい使い方:ホンネとタテマエを自在にあやつる!心理法則  (詳細)
2000年

なぜ少年は犯罪に走ったのか
2001年
「ふつうの家庭から生まれる犯罪者」
ふつうの家庭から生まれる犯罪者
2000年

なぜ少女は逃げなかったのか続出する特異事件の心理学
「誰でもいいから殺したかった青年は、誰でもいいから愛してほしかったのかもしれない。」
☆愛される親になるための処方箋  本書について(目次等)
『ブクログ』書評「〜この逆説的かつ現実的な取り上げ方が非常に面白い。」
・追い詰めない叱り方。上手な愛の伝え方 本書について(目次等)
bk1書評「本書は,犯罪に走った子ども達の内面に迫り,心理学的観点で綴っていること,しかも冷静に分析している点で異色であり,注目に値する。」  本書について 「あなたは、子どもを体当たりで愛していますか?力いっぱい、抱きしめていますか?」 本書について 「少女は逃げなかったのではなく、逃げられなかった。それでも少女は勇気と希望を失わなかった。」 本書について

usui@n-seiryo.ac.jp

心理学総合案内こころの散歩道カウンター