心理学総合案内こころの散歩道 / DAY by DAY /昨日
こころの散歩道 DAY by DAY
過去の記録
最近の文章が掲載されています。
2001年2月6日(火)
● カウンセリング、人生相談、占い ●
子どもの進路と親の役割
迷っているときに、スパッと道を示してくれる、人生相談や占い。いつも正解を示してくれるなら、楽でいいですね。
でも、人生の道に正解なんてありません。どの学校へ進んだら良いか、どの仕事を選んだら良いか、どの人と結婚したらよいか。どれが一番良いかなんて、わかりません。
カウンセラーのところへ行って、答えをもらろうとして、答えをもらえなくて、がっかりする人もいます。カウンセラーも、アドバイスをすることはありますが、しかしカウンセリングの目的は、自分自身で決められるようになることです。
迷っているとき、答えを示すのではなく、自分で選び取ることができるように援助します。一人ひとりの自己決定を支えるのが、カウンセリングです。
(優れた占い師や、人生相談をされている方は、結果的にはカウンセリング的なことをされている方が多いように思います。)
*
子どもが夢のような進路を考えて困っている親御さんへ。
いくら子どもでも、子どもの人生は子ども自身のものですから、押し付けはできません。でも、しっかり自己決定できるように、援助してあげるのが親の役目です。
表面的には自分で決めているとはいっても、ただ勉強したり、試験を受けるのが嫌なので、別の進路を言っているだけかもしれません。普通の仕事の大切さや魅力をしらないのかもしれません。必要な情報を知らないだけかもしれません。すねたり、むきになったりしているのかもしれません。
落ち着いて、しっかり自分の心を見つめることができれば、ふつうはそんなにむちゃなことは言わないものです。
もしも本当に素直にじぶんの心を見つめて、それでもその進路だというのならば、おとなも真面目に考えてあげる必要があると思います。
進路に迷っている人にはこう言っています。大人や先生の意見はきちんと聞くこと。でも、最後は自分自身で決めること。
2001年2月5日(月)
● タスク・インボルブメント ●
え〜、訳のわからないタイトルですいません。前回、失敗自体を恐れるのではなく、失敗後の人からの評価を恐れてしまう人間の心理について話しました(2.2「あなたは何を恐れているの?」)。
私たちが何かをするとき、そのこと自体に心が向いているときと、その結果自分がどう見られるかに心が向いているときとがあります。
やるべきこと自体に心が向いていることを、「タスク・インボルブメント(課題関与)」といいます。自分がどう見られるかに心が向いているのを「エゴ・インボルブメント(自我関与)」といいます。
タスク・インボルブメントは、いわゆる集中している状態。雑念がなくなり、究極的には無我の境地といえるでしょう。エゴ・インボルブメントは、場合によっては他人からの評価を気にして、緊張したり、力が入りすぎた状態です。
昔々、野球の神様と言われた川上哲治は、「ボールが止まって見える」という名言を残しました。並の選手だと、三振したら叱られるとか、一発打って目立とうとか、いろんなことを考えてしまうのでしょうが、超一流になると、ボールとバットと自分だけの世界になります。こういう状態で、素晴らしい能力が発揮されるのです。
あの〜、アニメの「巨人の星」で、ライバルが対決するとき、二人の心の世界では観客の声援も消え、他人からの評価などどうでもよくなり、二人だけの世界になる。バックの映像は、燃えてる炎とか吠えてるライオンとか。あの世界ですね、タスク・インボルブメント。
人間誰でも他人から良く評価されたいですけれでも、それを気にしすぎると、かえって上手く行かなくなるのです。
2001年2月2日(金)
● あなたは何を恐れているの? ●
え〜〜(なんかちょっとシリアスな感じのするタイトルつけちゃいましたが)、子どもに買ってやった本で、「怪傑ゾロリ」というシリーズ本。キツネのゾロリの活躍をえがきます。
でもって、その中の一冊。「地球最後の日」。小惑星が地球に衝突するっていう話。そんでもって、どうやって地球を救うかというと、ゾロリたちの「オナラパワー」(子どもはこの手の話が好き)。
特別なオナラのできる人たちが、地球を救うために集まります。ところがその中の一人。パワーはあるのに、怖じ気づいて参加しようとしません。
この人(人じゃなくてカッパなんですけど)、何を恐れていたかというと、失敗して、みんなにバカにされることを恐れていたのです。
失敗自体ではなく、失敗した後の、人からの評価を恐れていたのです(物語は、もちろん、自信を取り戻した彼の活躍で、ハッピーエンド!)。
さて、私たちはどうでしょう。迷い、悩み、恐れるとき、いったい何を恐れているのでしょうか。誰だって、失敗はいやですが、たいていのことは失敗したとしても、それ自体で破滅的なことになるわけではありません。(失敗した結果は、実は何もしなかったときと同じだけたったりします。)
私たちが恐れてしまうのは、失敗した後の、人からの評価かもしれません。
恐れて、始めもしないで最初からあきらめて、自らチャンスをふいにする。人からバカにされることは確かにいやだけれど、実際にバカにされて傷つく前に、バカにされたらどうしようという不安に心が支配されて、自分で自分を縛ってしいます。
そんなことって、多いかもしれない。ああ、私は何を恐れていたんだろう。人は何を恐れているのだろう。
2001年1月29日(月)
● 弱さの自覚、強さの実感 ●
腕に自信のある剣豪が修業の旅へ。荒々しく、力強く、ばったばったと強敵を打ち倒していく。と、そんなある日、いかにも弱々しそうな老人が登場。ところがこの人、剣豪を少しも恐れない、ひょうひょうとしている。
えい!やあ!と、老人に切りかかったところ、ひょいと、真剣白羽取り〜とか、鍋のフタでポンと、かわされてしまった。おお、この老人はすごく強いんだあ。
何かドラマでありそうな話。主人公は自分を上回るすご腕と立ち向かい、初めて恐怖を覚えたりするが、師匠となった老人を通し、本当の強さを身に付けていく。
*
弱いイヌほどよく吠える、などと申しますが、強がっている人ほど、心の底に劣等感を抱えた弱い人だったりします。酒に飲まれ、ニコチン中毒になっている人ほど、いつでもその気になれば、酒もタバコもやめられるさ、なんて思っています。
AAという断酒会は、まず自分が酒に負けてしまい、自分だけの力では酒をやめられないと自覚するところからスタートします。自分の弱さを知ったとき、酒をやめる強さを身に付け始めるのです。
無知の知という言葉がありますが、弱さも同じかな。自分の弱さを知ることが、強さの始まりなのでしょう。
*
しかし弱さを自覚することは、自信を失うことではありません。心理学の研究によると、禁煙するときに、どうせ自分は禁煙なんかできないだろうと思ってしまうと、実際に禁煙に失敗してしまうことがわかっています。
自分の弱さを知る。しかし、だからといって希望を失うのではなくて、だからこそ、いたわりあい、愛し合い、助け合う。弱さの中に強さがあることを知る。自信をもって歩む。自分を知る。そして肯定的に受け入れる。これが、心理的に健康な人間です。
マザーテレサというもう亡くなったおばあちゃん。どう見ても弱々しそうなおばあちゃんでしたが、記録映画とかを見ると、彼女の意志の強さには驚かされます。
恵まれた家庭で育ち、貧民街に飛び込み、自分の無力さを知ります。お前なんかに何ができる、そんなことそしても無駄だ。いろんな声が聞こえます。それでも彼女は希望を失わず、使命感をもって、目の前の一人を助けます。
有名になった後も、彼女の思いは変わりませんでした。目の前の一人を助ける。それが、20世紀の奇跡を生み、マザーの働きは世界に広がっていったのです。
「私は弱いときこそ強い。」聖書
落語家桂三木助さん、政治家中島洋次郎さんの自殺
「私の力の無さを痛感する」
2001年1月29日(月)
● 人助けの心理 ●
山手線の駅で、ホームから落ちた人を助けようとして、二人の男性が命を落としました。マスコミからも、市民からも、大統領や総理大臣からも、死を悼み、勇気を讚える声が届いています。
一つの出来事に対して、あまりにも過剰な反応をすることは基本的には賛成できないのですが、しかし、私も多くの見なさんと同じように、このお二人は大変りっぱな方だと思います。
さて、人を助けるような行動を心理学では「援助行動」とか、「愛他行動」と言っています。人間は結局自分がかわいいのだといった見方もありますが、一方で、自己犠牲的な援助行動も起こせるのが人間です。実は人間だけではなく、他の生物にも見られます。
たとえば、サルも、空腹の仲間にエサを分ける行為などが見られます。人間には、教育とか、宗教とか、理想といったものがありますが、それ以前に、人間にも他者を助ける気持ちが備わっていると思います。
ただ、援助行動が起こりにくい「環境」があります。人口密度の高い都会などがそうです。大勢の人がいて、刺激に満ちた環境では、緊急事態に気づかないときもあります。
気づいたとしても、大勢の人がいると、一人ひとりの心の中で、自分が助けなければならないという責任感がめばえにくく、援助行動がおきにくいのです。(今回は、それにも関らず、援助行動を起こすことができました)
・子どものころ、電車にひかれそうになったことがあります。電車が近づいてくるのはわかるのですが、頭が真っ白になって、動くことができませんでした。(電車が止まってくれたので、助かりました)
・ずいぶん前の話ですが、友人の家族が、ホームから落ちて、電車にひかれて亡くなりました。自力でホームに上がろうとしたそうですが、上手く上がることができないうちに、電車が来てしまいました。
・私が子どものころに目撃した出来事です。上野動物園の中を走るモノレールの駅で。モノレールが入ってきたときに、小さな子どもがよろよろと歩いて出てきてしまいました。このままではひかれてしまいます。そこにいた人たちは、危ない!と思ったのですが、とっさに何もできませんでした。
次の瞬間、駅員さんがサッと走り、子どもを抱きかかえて、助けました。勇気ある行為であると同時に、心理学的には、人はその場所が自分で管理し、守らなければならない場所だと自覚していると、援助行動を起こしやすいのです。
・人は良い気分の時は援助行動をしやすく、いやな気分の時には、援助行動がおきにくいことも心理学的にわかっています。
普段から、温かで、充実したよい生活を送っている人は、良い気分で、人助けもしやすくなります。一方、社会の中で上手くいかず、イライラしているような人は、いつも嫌な気分でいるので、人を助ける心もおきにくいのです。
● 正当防衛・目には目を ? ●
昨日、警官に襲いかかった少年が銃で撃たれる事件がありました(最近の少年犯罪)。ヤフーの掲示板などを見ると、警官の行為は「正当防衛」であり間違っていないという意見が多いようです。
詳しい状況がわからないので、何とも言えませんが、私も今のところ警官の行為を非難する気にはなりません。*
さて、その事件はさておき、一般論として。
正当防衛という法律用語は、普段の会話でもよく聞きますね。ただ、実際の法律上は、そう簡単には正当防衛とは認めてくれないようです。
もし正当防衛と認められれば、相手を殴っても、殺しても罰せられることはありませんが、自分の身を守るためとはいえ、行き過ぎたことをすると、「過剰防衛」とされ、それなりに罰せられます。ちなみに、正当防衛に関する法律には、こうあります。
「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」
昨日やられた仕返しを今日するようなときは、緊急の場合ではありませんから、正当防衛にも、過剰防衛にすらなりません。
緊急の場合で、自分や他人を守るために、どうしようもなくてやった行為でなければなりません。そして、そういう行為でも、「防衛の程度を越えた行為」は、過剰防衛となり、場合によっては罰せられることもあります。
自分や家族の身が危ないとき、そんなに冷静になれる人はいませんから、後から法律家が見れば、過剰防衛と言われるようなことをしてしまうのでしょう。
後になって、冷静に考えても、やられたこと以上のことをやってしまいがちなのが、人間です。
子どもたちをぐるりとまわるく並ばせて、順番に前の人の頭を叩かせます。一番最初の人は、弱く叩きます。自分が叩かれたのと同じ強さで、前の人を叩きなさいと指示します。
子どもたちが言われた通りにやれば、殴る順番が何回まわっても、叩く力は変わらないはずです。ところが、実際は、だんだん力が強くなり、最後は泣くやら、ケンカするやら。目には目をというのは、とても厳しい態度のようでもありますが、反面、それ以上のことはしてはいけないという意味もあります。
動物は、普通は必要以上の攻撃はしないし、過剰防衛をすることもないのですが、人間は難しいですね。
犯罪者はもちろん悪いことをした人間ですが、だからといって、「殺してしまえ!」などという意見が出てくるのも、過剰な反応でしょうか。
2001年1月22日(月)
● 自分のものに ●
自分のものにする。好きなようにする。支配する。たとえば、金。お金、欲しいですよね。普通の人はそう思います。お金の心配ばっかりして、あくせく働くのはいやだ! お金をいっぱい手に入れて、好きなようにしたい。
さて、お金をいっぱい手に入れることは、本当に金を自分のものにしていることでしょうか。金を好きなようにし、金を支配していることになるでしょうか。
世の中、お金がないという意味で、お金に不自由している人もいます。でも、お金を有り余るほどに持っているのに、あいかわらず金の奴隷になっている人もいます。お金をもうたくさん持っているのに、まだお金に支配されているのです。
金を得れば得るほど、金に縛られ、自由を失う人もいるでしょう。大切なのは、お金をいくら手に入れるかではなくて、真に金を自分のものとし、金から自由になり、金を支配することです。
お金持ちでも、貧乏でも、金に束縛されない生き方をしている人はいるでしょう。特別な悟りを開いて、金のことをなんとも思わないわけではありません。ガンバってお金を貯めようとは思います。でも、働くことや貯金することを楽しむことができる。お金は大切だけれども、それが一番大切というわけではない。お金が増えればうれしいけれど、でも金を失ったら人生終わりというわけではない。
お金だけではありませんけどね。お酒だって、酒は飲んでも飲まれるなって言うでしょ。お酒をどれだけ飲めるかとか、どれだけ自宅に酒があるかではなくて、飲む量に関らず、お酒を楽しむことができる人が、お酒を自分のものにしている人ではないでしょうか。
アルコール依存症の人は、あふれるほどの酒を手に入れても、逆に酒に支配されてしまっているのです。
2001年1月18日(木)
● スクールカウンセラーから中学3年のみなさんへ ●
3学期だね
さて、さて、楽しかった中学時代も最終学年、最終学期。もう少しで卒業だから、思いっきり中学生活を楽しみましょう! とはいっても、ああ入試っていうのがあるんだね。バリバリにはりきっている人もいるでしょうが、「勉強したくないよお〜」「試験受けたくないよお〜」なんて声も聞こえてきそうです。すっごく緊張している人もいるでしょうね。
「怖いとき、不安なときこそ、逃げるな、戦え!」って、このあいだ見た映画「ゴジラ」の隊長さんが言っていました。ゴジラにふみつぶされるぐらいなら逃げたほうが良いと私は思うのですが、でも、「怖い、怖い」と思っているとうまく逃げられないときもあります。「負けないぞ、戦うぞ!」と思ったほうが、戦うのも、逃げるのも、うまくいくものなのです。
緊張したってOKさ
入試のときはだれでも緊張します。あなただけではありません。みんなそうなんだから、緊張しても良いのです。多少緊張感があるぐらいのほうが、頭もよく働くし、誠実そうに見えて面接だって良いと思います。
私も入試の面接官をしたことがあります。「緊張しているなあ」と感じることは多いですが、だからと言って点数をマイナスすることはありません。まあ、たしかに、緊張しすぎてしまうと本人は辛いですよね。でも、「絶対緊張してはいけない」なんて思わないで、「緊張したってOKさ!」と思ったほうが、心は楽になるのです。
おべんきょう
自分は頭が悪いとか、入試にもう間に合わないとか言う人がいますが、とんでもない!どれだけ自分を試してみたんだ、どれだけ努力してみたんだと、文句が言いたくなります。
そんなに簡単に答えを出さないで。スクールカウンセラー、心理学者として保証します。今から入試の当日まで、勉強すればした分だけ、学力は上がります。
メントレ
心の中で想像して。入試の朝、いつものように起きて楽しく朝ご飯を食べる。家を出て、バスに乗って、入試会場につく。他の受験生がいっぱいいるけれど、だいじょうぶ。あわてないで、落ち着いて、いつもの実力が出せます。スラスラ問題が解けます。面接もうまくできます。難しい問題もあるけれど、他の受験生にとっても同じです。試験を終え、大仕事をやり終えた充実感、達成感を持って、家に帰ってきます。
これ、メンタルトレーニング(心の予行練習)。オリンピック選手もやっていま
す。試験や、試合の場面で、上手にできている自分の姿を想像して楽しむのです。そうすれば、本番のときもバッチリ大成功。君もひまな時に何度かやってみて。効果バツグンだよ!
***
この文章は、私がスクールカウンセラーをしている中学校の生徒さん向けに書いたものですが、受験生一般や、緊張しがちな人にも通じる部分はあるでしょう。
12月15日(金)
● 0か100か、白か黒か ●
その2
きっちり生きるための「いい加減さ」
心が弱くなってくると、0か100か、白か黒かと考えてしまう。たとえば、幼児虐待をする母親の中には、絶対に子どもを殴ったりしてはいけない、100点満点の母親でなくてはいけないと、自分を追いつめている人がいます。そして、何かの拍子に一度子どもを殴ってしまうと、緊張の糸が切れて、子どもを虐待する親になってしまうわけです。 入試に落ちたり、会社を首になって死を考える人も同じですね。 さて、それではどうしたらそれを防げるか? ポイントは、「失敗しても大丈夫」と思うことでしょう。周囲の人も、たとえ失敗しても寄り添い支え続けてあげることが必要です。 そうはいっても、やっぱり物事はしっかりやらなくてはいけないと思う方もいるでしょう。(この話、実は一昨日新潟ローカルテレビ局の生番組で話したんですけどね)テレビの生番組は、とってもきっちりした仕事が求められます。秒単位で仕事が進みます。途中で仕事を投げ出すなんて、絶対に許されません。 生番組にアクシデントは付きものです。視聴者がぜんぜん気づかないときでさえ、実はスタッフはドタバタやっています。失敗だって、たくさんあるでしょう。 でも、ノーミスの100点満点でなければ絶対だめだ、少しでも失敗したら番組は中断だなどとは誰も考えません。途中でいろいろあっても、なんとか最後までやって、「それではみなさん、また明日」ときっちり明るく終わります。 きっちりやるためには、ほどよい「いい加減さ」が必要です。それは、手を抜けとか、質が下がっても良いということではありません。しっかりきっちりやるためには、「柔軟性」が必要だということです。 私たちの人生は、テレビの生番組以上に、アクシデントが起こるでしょう。柔軟に、しなやかに、生きていけるといいですね。 |
12月4日(木)
● 0か100か、白か黒か ●
人生のたいていのことは、何だかよく訳のわからないものです。心理学者として、「これでいいか?」「どっちがいいか?」と質問されることもよくありますが、算数の解答のようには明確には答えられません。 私たちは、心の調子がいいときには、この混とんとした世界の中で、元気に生きていけます。ところが、心が弱ってくると、このあやふやさに耐えることができなくなります。 対人恐怖症の人たちは、「二人」の時は比較的自分の立場がはっきりしているからいいのですが、「三人」になると自分がどう行動していいいいのか戸惑い、不安になります。 心が元気なときには、苦しいこともあるけれど、楽しいこともある、まあなんとかなると思えるのですが、心の元気がなくなると、「生か! それとも 死か!」なんて考え始めてしまいます。 どんなことでも完ぺきにやり続けることなどできません。100点の時もあれば、80点の時もある。時には60点の時もある。悪い点だったら、それなりに善後策を考えればいいのですが、元気がなくなるとその余裕がなくなります。 世の中には、わからないことがいっぱいあって当然なのですが、悪質な破壊的カルト宗教などは、「全ての謎が解き明かされた!」などと言ってきます。 みなさん、もっと適当に、てきと〜に、生きましょうよ。 |
12月4日(月)
● フィードフォワード ●
先日このページで「フィードバック」のお話をしました。結果が戻ってくることによって、その後の行動を変えるのが、フィードバックシステムです。機械が行なうサーモスタットなど温度調整は、このシステムによる仕組みですね。 ところがこれが、機械任せにしておくとなかなかうまくいきません。寒くなりすぎたり、暑くなりすぎたり。結果が出た後で調整しても、もう遅いときがあるのです。 そこで、フィードフォワード。結果を事前に予測して、行動を変えます。たとえば、今は部屋は寒くないけれど、もうすぐ体の冷えきった人たちが大勢帰ってくる。だから、今のうちに部屋をもっと温かくしておきましょう、といったものです。 人間はこうして、うまく行動しています。これを機械にやらせるのは大変でしょう。そういう機械もできているようですが、人間のようにやるためには膨大なデータの入力が必要になると思います。様々な情報を総合的に有意味に結びつけ、想像し、予測力を働かせる。人間の得意分野です。 もっとも、温度調整ぐらいならできても、人間関係の調整は難しいかもしれません。正論や、一般論としては正しいことでも、今、この状態の人に言ったら、怒るだろうなとか、悲しむだろうなとか、本当はもっとお互いに考えられたらいいのですが。 |
11月22日(水)
● ペットロボットと心の癒し ●
ソニーの犬型ロボットAIBO(アイボ)新型の予約が開始されました。楽しいオモチャです。クラゲ型のロボットオモチャも好評です。数千円から、数十万円まで、いろいろなペット型ロボットが発売されて、人気を集めています。 「いやしの時代」だからかもしれません。ペットは、心を癒してくれます。アメリカでは、アニマルセラピーは、りっぱな心理療法のひとつです。障害児や高齢者の心を、犬や猫やイルカがいやします。 ただし、動物を飼うのは手間がかかります。そこで、ロボットの登場です。エサもいらない、散歩もいらない、マンションでも飼えるし、ウンチもしない。面倒になったらスイッチOFF。お手軽です。 高価なペットロボットは、自律的に動き、飼い主の飼い方に応じて成長します。可愛がればなつくし、叱られたことはしなくなります。飼いならすことができるわけです。この相互作用が心のいやしにつながります。ファービー(おしゃべりするペットロボットオモチャ)で、自閉症児の治療が進んだという話もあります。 ペットロボットは、楽しみと、心の慰めのための優れた道具です。しかし、本当は、ペットでも、園芸でも、子育てでも、大変な手間ひまをかけ、苦労するところに、育てる側の心の成長や癒しがあります。お手軽なペットロボットは、お手軽な癒しを与えます。 ソニーやホンダは、新しい人型ロボットを発表しています。車ぐらいの値段で、商品化されるかもしれません。ペットロボットだけではなく、「友達ロボット」が登場する日もくるでしょう。しかし、人の心を癒し、人の真のパートナーになれるのは、人間しかいないことも忘れてはいけないと思います。 (地元ローカルテレビ局BSNの今夕のニュースで、上記のコメントが紹介されました) |
11月21日(火)
● フィードバック 2 ●
アクセスカウンタ「ありがとう100万アクセス」
アクセス数(97.6.5から)
100,000(98.8.28);300,000(99.7.27);500,000(99.10.27)
100万アクセス達成!(2000.9.21) ありがとうございました。*
昨日の続き。 よいホームページを作る、するとよい分だけすぐにアクセスが増える、手を抜けばその分だけすぐにアクセスに響く。こうなればよいのですが、実際は違います。 このように、かなり大ざっぱなフィードバックですが、それでも努力の結果が目に見える形となって表れるのは、良いことです。 ただし、カウンタの数字をフィードバックとして活用するのではなく、それが目的化しては困ります。アクセスを上げるためには手段を選ばず、となってしまってはいけません。それは、テストの点数も、会社の給料も同じかもしれません。(日記猿人の投票数もね。) ホームページの場合、読者からのメールも、適切に来れば、よいフィードバックとなるでしょう。(日記猿人の一部の登録サイトが行なっている「空メール」もね。) |
● フィードバック ●
今年の夏、車を買い替えまして、いまトヨタのハイブリッドカー「プリウス」に乗っています。この車はガソリンエンジンと、電気モーターの両方を使って走ります。いつどちらの動力を使うかは、コンピューターが勝手にやってくれます。低燃費(ガソリンをあまり使わない)、低公害車(排気ガスが少ない)です。 この車は、燃費についての情報が画面に出せます。今の瞬間燃費(1リットルで何キロ走れるか)、過去5分ごとの燃費、それから給油してから次の給油までの燃費などもだせます。 私は特に環境保護派というわけではないのですが、こんな装置がついていると、やはり燃費を気にした走りをします。急発進や急加速をしない、環境に優しい走りです。ゲーム感覚で楽しくできます。 自分が何か行動したその結果についての情報がリアルタイムでフィードバックされる、これは心理学的に言って、行動改善のためにたいへん有効な方法です。 勉強でも、スポーツでも、仕事でも、努力が報われればやる気が出ます。やる気だけではなく、どのようにふるまったたいいのかが、わかるのです。 みんなで仕事をする場合、一人ひとりの仕事量が評価されないと、人は自然と力を抜いてしまいます。また、何かを学んでいるとき、今の方法で良いのかどうかがわからなければ、上達はしません。 行動の結果についての情報がきちんとフィードバックされるシステムを作りましょう。組織としてできないのならば、上司とか、親とか、教師が、個人的に配慮できるといいですね。 (ちなみに私はチョイ乗りが多いので、リッター18キロぐらいです) |
11月9日(金)
● がまん ●
今、歯の治療をしています。今日は、親知らずを抜きました。これで3本目なのですが、どれもほとんど表面に出ていない歯だったので、なかなか大変でした。 「痛かったら、手をあげて教えて下さいね。」 最近の歯医者さんは、痛みについてとても気を使って下さいます。 でも、私としては、どの程度の痛みなら手を上げてよいのか、良くわかりませんでした。前回、途中まではまったく痛みはなかったのですが、いよいよ抜くときになって、かなり痛くなったのを、一生懸命がまんしました。 なぜ、がまんしたのか。 1 これは治療に伴う痛みであり、がまんすべき痛みであると誤解した。 2 男として、痛くてがまんできないなどと言いたくなかった(私は普段、男らしさなんかぜんぜん表さない人間なのですが)。 3 医療スタッフに面倒をかけない「良い患者」になろうとした。 しかし、今日は、 「少しでも痛かったら、手を上げて下さいね。うすいさんはがまん強いほうだから......」と言われて、 「なあなんだ、痛かったら言ってもいいのかあ」と、ようやく理解しました。 そこで、今日は途中で何回か麻酔を追加してもらって、痛みという点では、前回よりも楽でした。私にとってだけではなく、医療スタッフにとっても、その方が、良いことだったのです。 さて、歯の治療に限らず、私たちはいらないがまんをしすぎることがあります。体の痛みも、心の痛み苦しみもそうです。もちろん、がまんすることが必要なこともたくさんありますが、いらないがまんはやめたほうがいいですよね。 私自身が今回失敗したように、がまんしなくてもいいものを、がまんすべきだと誤解したり、弱音をはくことを必要以上に恥ずかしいことだと感じたり、「良い人」になろうと思いすぎたり。 人生には、どうせ苦しいことはやって来る。本当に苦しいことと戦うことができるように、いらない苦しみまで背負い込むのは、やめたいものです。 |
11月7日(火)
● 殺人と本能 ●
映画「X-men」を見ました。超能力を持った新人類が、人類との共存派と敵対派に別れて戦う話です。さて、もし本当に超能力によってものすごい力を得たらどうなるでしょう。「スーパーマン」のように、世のため人のために働けるでしょうか。 私も含めて、多くの人が怪しいでしょう。つい、悪いことに使ってしまいそうです。最初は悪意はなかったとしても、自分が持っている猛烈な力を自分自身でコントロールできなくなってしまうことでしょう。 SF的な超能力ではなくても、もしも人間に猛獣のような鋭い牙や爪が生えてきたらどうでしょうか。たぶん、あちこちで血みどろのケンカが見られるでしょう。 自然界の中では、ライオンやトラが仲間同士で殺し合うことはしません。争うことは合っても、殺すことはしないのです。そんなことを始めたら、種として滅んでしまいますからね。彼らは、道徳や宗教によって争わないのではなく、本能的に殺し合いを避けるようにできているのです。 ところが、人間はそれほど強力な腕力も爪も牙もありませんから、殺し合わないという本能を持っていないという人もいます。人間が素手で殴りあっても、簡単には死ぬことはないからです。 しかし、人間は道具を持ち、武器を作りました。そのために、他の生物には見られないような仲間同士の大量殺戮が始まってしまったのです。 それでは絶望的なのか。もちろんそんなことはありません。私たちは、猛獣が持っていないものを持っています。ヒトはヒトを滅ぼしてしまうことも可能ですが、動物にはできない助け合いもできます。地球の裏側の人々のために食料を送ることもできます。 私たちには、殺し合いを止める本能はないのかもしれません。しかし、私たちには愛と知恵があります。 |
11月6日(月)
● 小さな幸せ ●
デジタル時計が、11時11分。ワーイ、オール1だあ! 何となくうれしい。まあ、こんなつまらないことではなくても、生活の中には小さな幸せがたくさんあります。(たとえば、車の走行距離メーターがちょうど50,000kmとかネ。)
美しい夕陽、きれいな虫の声、さわやかな朝のあいさつ。美味しいおかず。すれちがった美男、美女。小さな親切(してもらったり、こちらがしたり)。心温まるようなこと。ちょっと面白いこと。
ものすごい感動的な出来事は、そう簡単には起らないでしょうが、私たちの生活には、小さな幸せがあふれています。
心が健康なとき、良い人間関係に恵まれているとき、私たちの目には小さな幸せが見えます。たわいないことで面白くなり、たわいない話を家族や友人と楽しむ。人生は、まんざら捨てたものじゃない。
*
心が弱ってくると、小さな幸せが見えなくなります。会社も学校もつまらない、だれも自分をわかってくれない。人生は無意味だ。だれも自分を愛してくれない。
*
私が住んでいる新潟の夕陽は、感動的なほどすてきです。職場の廊下の窓から、日本海に沈む大きな夕陽が見えます。あまりきれいなときは、同僚達と一緒に、しばし夕陽見物です。
あなたの町で、一番夕陽がきれいに見える場所はどこですか。
もう何年も、夕陽が沈む瞬間なんか見たことがない人もいるでしょう。でも、あなたの町にも、夕焼けがあり、あなたの町にも、きっと夕陽を楽しんでいる人がいることでしょう。
*
心の病気になった人が、だんだん回復してくると、ほんの小さなことですが、人に感謝する気持ちが湧いてきます。人の役に立とうという気持ちも湧いてきます。それが、回復のしるしです。そして、平凡な日常生活を楽しむことができるようになります。
うつの人は、夜布団にはいると、今日できなかったことが気になって、眠れなくなります。でもそうではなくて、今日できたことを数えましょう。
私たちのまわりには小さな幸せがあふれています。
目を開けば、ほら、見える。
心を開けば、ほら、感じる。
(そうはいってもねえ、落ち込んでいるときには、そんなのぜんぜんわからないんだよねえ。でも、わからないとしても、小さな幸せがあふれていることは事実です。都会では星は見えないけれど、どの町の上にもたくさんの星が輝いているのが事実です。)
● 大分15歳 一家六人殺傷事件 ●
風呂や更衣室を大人がのぞけば、りっぱな犯罪です。少年であっても同様ですが、ただ心理的に言えば大した問題でないことがほとんどです。将来レイプ犯になる心配などないでしょう。きちんと叱ったうえで、暖かな目で見てあげることです。むしろ周りが過剰に反応して、少年を白い目で見ることが、問題を大きくしてしまう場合があります。
というのが、一般論ですが、今回の場合は犯行事実の有無を含めて、良くわかりませんね。
下着泥棒も、目に付いたパンツを一枚持ってくるぐらいであれば、(心理学的には)大した問題ではありませんが、空き巣を働き、下着を切り刻むとなると、問題は深刻です。
少年は、女の子と気軽に話せるようなタイプでもないし、友人と女の子の話題で盛り上がることもなかったそうです。人にとって、異性への欲求を、健全に表現できることはとても大切です。
今までの報道では、少年がこれらの犯罪の発覚を恐れて、隣家を襲撃したようです。小さな罪をごまかすために大きな罪を犯してしまう。よくあるパターンです。とくに、犯罪歴や補導歴のない人、乱暴もしない、悪口も言わないといったまじめで「いい人」にありがちです。
さて、悪いことをしたのは自分なのだから、自分を責めるべきなのですが、他人への怒りがわいてしまいます。小さな子どもには良くあることです。精神的に未熟な非行少年にも良く見られます。他罰的といえますし、突発的であれば、逆ギレというやつですね。
彼も、隣家をうらみ、地域全体をうらんだのでしょうか。
こう考えていっても、なぜ6人殺傷という凶悪事件を犯したのかは良くわかりません。私たちには想像できない心の闇があったのかもしれません。
何かの脳の障害があったのかもしれません。大量殺人者の多くは脳に医学的な問題を持っています。
8月29日(火)
● スクールカウンセラー ●
全国会議
スクールカウンセラーの会議に行ってきました(東京代々木のオリンピックセンター:すご〜く広くて大きくて立派で、何十もの団体が利用してて、いろ〜んな人がいました!)。
各都道府県からカウンセラー、教員、教育庁の人など5名ずつの参加です。スクールカウンセラーは、平成7年度から、全国154校、予算3億円で始まり、昨年度は2,015校、35億円にまで広がりました。今までは「調査研究」つまり「試しに」やっていたのですが、これからはいよいよ「制度化」されていくそうです。
スクールカウンセラーは「臨床心理士」か、それに「準ずる」人たちです。週に1度か2度、月に32時間、スクールカウンセラーとして勤務します。
生徒や親と直接面談することももちろんたくさんありますが、スクールカウンセラーの仕事はむしろ、担任らを支援し、互いに協力しあって子どもの問題解決を目指すことです。
スクールカウンセラーの数はどんどん増えていきます。最初のころは、専門能力もやる気も高い人ばかりだったと思いますが、これからの人材確保がカギになるでしょう。
私も中学校のスクールカウンセラーですが、臨床心理士ではありませんし、思春期心理の専門家というわけではありません。そんなピッタリの専門の人は全国でもほんの一握りしかいません。
また、臨床心理士で病院臨床のベテランだとしても、それでスクールカウンセラーとしてもスムーズに行くかというと、そうとは限らないでしょう。
私自身、いわゆるカウンセリングだけではなく、中学生と一緒に「おしゃべり」したり、オセロやインターネットで遊びながら、人間関係を作っていったりします。
それぞれのスクールカウンセラーが、専門家としても知識や技術を高めるのは当然ですが、それぞれのキャラクターを生かし、それぞれの学校のニーズに合わせた仕事をしていくことが大切だと思います。
実際、スクールカウンセラーの仕事内容は、各学校によってずいぶん違うようです。いずれにしても、スクールカウンセラーと他の教職員との信頼関係が土台です。(スタッフ同士がケンカしてていいことなんかある訳ないですよね)
わたしは、幸いにして良い学校に恵まれましたが、いろいろ話を聞くと、「それはちょっとひどいでしょ」と思うような信頼関係のできていないケースもあります。
しかし、全体としてはスクールカウンセラー事業は良い成果を出しています。みなさんも、どうぞお気軽にスクールカウンセラーを活用して下さい。
8月24日(木)
● 出生時の心の傷 ●
日記猿人のから行ったページで、帝王切開で産まれた子には心の傷が残って、将来危ないといったことが書かれていました。その内容に関して、いろいろ言われたようで、書かれた方は反省していたようです。
人は生まれたときのことを覚えていて、自然な分娩でないと心の傷が残るという説を唱える人がいます。さあ、どうでしょうね。良くわかりません。たぶん、多くの心理学者や医師は否定するでしょう。
出生時の事故で脳に傷ができたり、酸素が不十分になって、何らかの障害が出ることはあります。言うまでもなく、出生はとても大切な場面です。
帝王切開するか、自然な分娩にするか、お産の現場では難しい判断を迫られるときがあります。できれば自然分娩が良いのですが、無理をしすぎて帝王切開を避けたために、赤ちゃんやお母さんが危険になることもあります。
帝王切開による心の傷といったよくわからないことよりも、目の前の現実的な危険を避けるのは、当然です。
人間の心にとって、「〜したほうが良い」ことはいっぱいありますが、では絶対にそうしないと心の病気になったり、犯罪者になるかといえば、人の心はそれほど単純ではありません。
帝王切開だろうが、親に殴られながら大きくなろうが、おもちゃを山のように買ってもらおうが、ほとんどの場合は普通に育つのです。(だから環境はどうでも良いというわけではありませんが)
ところで帝王切開は、知らない人から見ると楽して生んだように思えますが、とんでもない。お母さんはとても大変なようです。自然分娩と同じように、「私のお腹を痛めて」子を生むのです。
(明日は、東京で開かれるスクールカウンセラーの会議に参加します。その話はまた後日。)
8月22日(火)
● 「DAY by DAY」の内容変更 ●
「今日の心理学」
学習障害:能力のでこぼこ
「心理学者の日記エッセイ」として、このページを更新してきましたが、今日から気分を変えまして、「今日の心理学」として、ページの更新を行なっていきます。どうぞよろしくお願いいたします。
さて、さて、「今日の心理学」第一回目のテーマは、「学習障害(LD)」。最近は、教育現場でもずいぶん話題になっています。
知能が低いわけではないのに、たとえば文字が上手く書けないとか、口で説明されてもよく理解できないとか、なかなかお漏らしがなおらないとか、ある部分の能力だけが低い子どもたちがいます。得意不得意がとても極端で、アンバランスなのです。
脳に目に見えないくらいの傷があるのではないかということで「微細脳障害」などと呼ばれたこともありますが、現在ではもっぱら学習障害と呼ばれています。
実は、私ももしかしたら学習障害かなと思ったりします。小学校のころ、忘れ物の数が断トツでクラス一でした。今も、とても簡単な漢字や英単語が書けないことがしょっちゅうありますし、極端な方向音痴です。
何かの能力がとても劣っていても、他の能力でカバーすることができれば、社会生活をすることができます。
「ビバリーヒルズ高校(青春)白書」の登場人物「ドナ」も、大学に入るころになって学習障害だとわかります。ドラマの中では、学習障害児用の特別教育プログラムを受けて、彼女は勉強の遅れを取り戻します。
学習障害児の出現率は数パーセントと言われていますから、各クラスに一人二人はいることになります。
大人たちの目が、その子の不得意な部分に行ってしまえば、その子たちは問題児と呼ばれたり、怠け者と呼ばれたりします。そして、その子はやる気を失い、不適応を起こし、せっかく持っていた能力までも失ってしまいます。
学習障害に限らず、短所に目を向けて叱りつけるよりも、長所に目を向けて伸ばす方が、良いことが多いようです。