心理学総合案内「こころの散歩道」/社会心理入門出会いの道/1-2 (碓井真史)
1 世の中を見る目、人を見る目(2)認知的不協和理論 |
あなたはタバコを吸いますか。でも、タバコは身体に害があるそうですよ。
さて、調査によりますと、タバコをたくさん吸う人ほど、タバコは身体に害があるとは考えていないことがわかりました。
タバコを吸っているという事実。そして、タバコは害があるという知識。この二つには矛盾があります。害があると思いながら、タバコを吸うのは、何となく落ち着かなくて、不愉快です。
この不愉快な気持ちを「認知的不協和」と呼んでいます。
人は、思いや行動に不一致、矛盾があると、心の中に不協和が生まれます。これは気持ちが悪いので、何とか不協和を下げようとします。
タバコを吸うこととをやめてもいいのですが、これはかなり難しい。そうすると、人は、変えやすいほうを変えます。
タバコには害がないと思えばよいのです。
カタログをいっぱいもらってきて、考えて、考えて、選んだパソコン。さて、買ってしまった後は、広告もカタログも見る必要はないのですが、それでも人は広告を見ます。
しかも、自分が買った商品の広告を選んで!
他の広告を見て、もしも他のパソコンの方が良いと思ってしまったらどうでしょう。簡単に買い替えはできませんから、「私はこのパソコンを買った。しかし、あっちのパソコンの方が良かった」という認知的不協和状態になります。
こうなってしまっては困るので、自分の行動が正しかったと思うことができる広告を読もうとするわけです。
人は、自分の考えに会った、自分に都合の良い情報だけを選んで、集めてこようとするのです。
親友を外出先で見かけた。あいさつをしたのに、その人は、そのまま行ってしまった。なぜでしょう。
その人は親友だという思いと、あいさつを返さなかったという事実は矛盾します。
すると、普通は友達を裏切り者呼ばわりするのではなく、気づかなかったのだろう、声が聞こえなかったかな、と考えるのです。
またことが、嫌いな人との間にあれば、「私を無視した!」と思って怒ることでしょう。
人は、不協和が高くならないように、情報を解釈します。自分の考えに合うように、都合が良いように解釈してしまうのです。
1999年、12月31日に、この世の終わりが来るぞう!!!
教祖様に言われて、最後の日を待ちます。ところが、何も起こらず、2000年になりました。さて、あなたならどうします。
こういうことって、新興宗教ではよくあることですよね。
入信したばかりの人は、教祖に幻滅し、脱会するでしょう。
でも、この世の終わりが近いと信じ、財産をすべて寄付し、学校をやめ、会社を辞め、家族を捨て、友人も捨てて従ってきた。教祖のために違法行為も行った。もし、こうだったらどうでしょう。
ここまで、のめり込んだ信者は、脱会することができません。帰る場所が無いからです。
終末予言をする教祖を信じている。しかし、この世の終わりは来なかったという事実がある。ここに認知的不協和が生まれます。
人は、変えやすいほうを変えます。たいした信仰も活動もしてこなかった信者は、教祖はペテン師だと考え、脱会します。脱会することで、不協和を下げます。
しかし、すべてを捨ててしたがってきた信者は、そんなふうに簡単には思えません。
そこで、むしろ逆に、信仰を強め、教祖様のお力でこの世の終わりは来なかったなどと考え、ますます熱心に活動し始めるのです。
狂信と熱心な活動によって、不協和を何とか下げようとするのです。
(だから、危険な団体を批判するのは良いけれど、メンバーが帰れるところを残しておいて欲しいのです。)
(2000年前のキリストの時代にも、終末は近いと信じる人はいました。彼らの一部は、終末が近いと言って仕事をやめたりしました。しかし、キリストの弟子達は、仕事をやめさせたり、財産を寄付させるのではなく、落ちついて日々の生活に努めるようにと、諭したのです。)
*認知(信仰)も、事実も、どちらも変えられない場合には、事実の「解釈」をかえたり、その不協和(矛盾)自体を軽視するようにまります。
心理学総合案内こころの散歩道 / マインドコントロール研究所 / オウムとマインドコントロール / 彼らがオウムに居続けるわけ もごらんください。
事実の解釈を変え、矛盾を心から追い出そうとする信者達の言葉を読むことができます。
『予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』
(新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科・碓井真史)