心理学総合案内「こころの散歩道」/社会心理学入門、出会いの道/1-3 (碓井真史)
1 世の中を見る目、人を見る目(3)原因帰属理論
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私たちは、様々なものを見たり、聞いたり、自分で体験したときに、なぜ、どうしてと、その原因を考えます。原因をどう考えるかによって、その時の感情や、その後の行動が変わってきます。どんなときにどんな原因を考えるか、その結果どうなるのかを考えるのが、「原因帰属理論」です。
どんな映画を見ても、いつもその人だけが、ゲラゲラ笑っているとします。すると、ある映画を見て、その人が笑っているときに、その原因を考えると、原因はその人だと考えられます。面白くない映画を見ても、笑い上戸だから笑ってしまうのだと考えるわけです。
ところが、ある映画に関しては、見た人みんなが笑っていたとしましょう。すると、一人の人が笑っている原因としては、その人自身ではなく、映画が原因だと考えます。面白い映画だったんだと思うわけです。
もし、一人の子が、つぎつぎといろいろな子をいじめているとすると、ある子どもがいじめられるのはなぜかと考えれば、原因はいじめっ子にあると、人は考えます。
ところが、一人の子だけが、いつも、みんなからいじめられているときには、原因はいじめられっ子の側にあると考えてしまいます。
もちろん、真実は違うのですが、人間はこんなふうに考えてしまうのです。いじめる側も、いじめられる側も、いじめの正当な理由がある、いじめられても仕方がないと思い込んでしまうのです。いじめが正当化され、いじめられっ子は自尊心を失います。ここに、いじめの心理的な問題があります。
一つの原因に別の原因が加わると、はじめの原因は割り引いて考えられます。
美人の女性や金持ちの女性は、近づいてくる男が、本当に自分を愛しているのか、容姿やお金にひかれただけなのか、考えてしまいます。
一方、
一つの原因に、何かマイナスの原因が加わると、はじめの原因は割り増しされます。
家に大借金を抱えた女性がプロポーズされれば、この男性は心から私を愛しているのね、と感じるわけです。
ロミオが親の猛反対を押し切ってジュリエットに会いに来れば、互いに深い愛を感じるわけです。
お母さんが家の中でバケツにつまずいて転んでしまう。床は水浸し。あ母さんはさけびます。
「だれですか! こんなところにバケツを置いたのは!」
私が転んだのは、バケツが悪い、環境のせいだと思うのです。今度は、娘が同じようにバケツにつまずいたとしましょう。あ母さんはきっと言います。
「どこに目をつけてるの! もっと気をつけなさい! ほんとにあなたはいつもそそっかしくて、落ち着きがなくて、.......」転んだのは、環境のせいではない、お前自身のせいだ、お前の性格が原因だと考え、お説教が始まることでしょう。
これは、お母さんに限ったことではありません。人は誰でも、自分に関する出来事は環境のせい、人に関する出来事はその人自身の人格のせいだと判断しやすいのです。
あなたが、待ち合わせに遅刻したときは、どう思いますか。「ごめんねえ。目覚まし時計が鳴らなくて、バスがなかなか来なくて......」と言い訳をするでしょう。それでは友達が遅れてきたときはどうでしょう。今度は、「あの人はいい加減な人だ」などと思ってしまうのです。
2人で共同作業をしている人に、どちらがたくさん仕事をしたかと聞くと、たいていは自分の方ががんばったと答えます。
夫婦や恋人も、互いに自分の方が苦労している我慢していると感じてしまうことが、けんかのもとになります。
何かの原因を考えるとき、目立つことが原因と考えられやすくなります。
ダイアナ元妃が交通事故で死んだのはなぜ? 世界中の人が、ダイアナの車をバイクで追いかけていたパパラッチのせいだと思ってしまいました。
あの場面で一番目立つものは、パパラッチだったからです。しかし実際は、運転手の飲酒や、シートベルトをしていなかったことなどが、死亡事故の原因でした。
男達の中の一人だけの女とか、年配者の中の一人だけの若者といった場合、女性とか、若いとかいうことが目立つ特徴になります。そこで、失敗したときには、女だからとか、若いからと、思われてしまうのです。
世の中の出来事の本当の原因は、簡単にはわからないのですが、心の中では答えを作りだします。真実とは別に、心で考え出された原因によって、個人の心や社会の在り方も変わってくるでしょう。