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女性教師刺殺事件

むかつき、「キレる」少年達の中学生ナイフ事件


 98.1.28 栃木県で、中学1年生の男子生徒が女性教師をナイフで刺殺。補導歴もなく、校内暴力などの問題もない普通の生徒だった。この教師に注意され、カッとなって、持っていたナイフで刺してしまった。

 この事件の後、東京都で、中学3年生がナイフを使い警察官を襲う事件も起こった。本物の拳銃を撃ってみたかったという。

 

* * * *


「キレる」とは

 「キレる」は、1988年の現代用語の基礎知識に、すでに流行語として登場しています。今年1月22〜25日まで開かれた日教組全国教研集会でも、この話題が取り上げられていました。校内暴力は、1980年代にずいぶん話題になりましたが、現在は、その時のピークを越える校内暴力が発生しています。「むかつく」が彼らの口癖です。

 参加者の教員は、「校内で暴れているうちはまだいい。何とかしてくれという気持ちを教師にぶつけてくるわけだから」「恐いのは問題のない子が突発的に事件を起こすことが増えていることだ」と語っていました。(新潟日報1.29の関連記事より)

 普通に見えた生徒が突発的にキレたときの恐さは、すでに学校内外の人達が指摘していたことでした。

 このような事件が起こると、すぐに、罰則や管理の強化が叫ばれますが、それが本当の問題解決につながるのでしょうか。


「キレる」ことを防ぐために

 谷口氏は、いらだち、むかつく子供達の受けとめかたとしていくつかの点を指摘しています。たとえば、自分自身を大切にし、自分を愛せるようにすること、また子供達の行動を単なる授業妨害や教師への反抗ととらえるのではなく、その行動の内側にある「可能性」に目を向けることなどです。(「児童心理」1997.2臨時増刊「思春期の心理と行動」)

 キレるというのは、感情が爆発することです。感情が大爆発しないためには、感情を小出しにすることが必要です。親や教師に向かって、はっきりと文句を言い、普段から自分の感情を出せる子供は、悪い子供とよばれるかもしれませんが、感情が大爆発してキレることは少ないでしょう。

 一方、普段から自分の感情を押し殺している子供は、普通の子と呼ばれるかもしれませんが、感情が限界まで達したときに、大爆発を起こし、キレてしまうかもしれません。

 人は、自分の感情をコントロールし、爆発しないように、適度に言葉にして表現することが必要です。大人は、子供が安心して感情表現できるような環境を作らなくてはなりません。

 篠田氏(聖路加国際病院心療内科)は、「小さいときから喜怒哀楽を自由に出させること、愛情を持って接してあげること」が必要だと述べています。(週刊女性96.2.17より)


ナイフと少年犯罪

 もし、少年がナイフを持っていなかったなら、殺人事件は起こらなかったでしょう。カッとなってキレてしまったとき、そこにナイフがあったために、刺してしまったのです。

 心理学では、「攻撃行動」は、ストレスがたまったときに起こりやすいとしています。あなたも、物事がうめくいかず、イライラしたとき(ストレスがたまったとき)には、物や人に当たる(攻撃する)ことはありませんか。

 アメリカの研究では、景気が悪くなり、庶民の間にストレスがたまるほど、黒人への暴力事件が増えるという研究もあります。

 しかし、ストレスだけでは攻撃行動は起こらないという考えもあります。攻撃のためには、何かの手がかり、きっかけになる物が必要だという考えです。

 計画的な犯行は別ですが、突発的な傷害事件や殺人事件は、そこにたまたま、金属バットや刃物があったために起こることがあるのです。



持ち物検査

 上の心理学の話から考えても、だから持ち物検査が必要だと言うことになるかもしれません。

 東京都教育庁は2月3日、各区市町村教育委員会の指導担当者を集めた緊急会議を開き、生徒の所持品検査について容認する考えを伝えました。

 管理教育のゆきすぎに対する反省から、各校は1980年代半ばから所持品検査を控えていました。都教育庁は、学校長の判断にゆだねる形でこれを認るとしたわけです。区市町村側からは「教育的効果は薄い」など戸惑う声も聞かれました。 (朝日新聞1998.2.3)

 所持品検査をすることなど、人権侵害だという意見も当然あるでしょう。

 もちろん、中学生が学校でナイフを振り回すようなことがいいことだとは思いません。持ち物検査も、絶対に「悪」だ、とも思いません。

「人権」の名を借りて学校が責任を放棄したり、「人権」の名を借りて子供が屁理屈を言ってわがままを通すことも良いことではありません。

 しかし、私は心配です。都教育庁がこんな発言をすると、本当の人権侵害になるようなことが学校で行われないかです。

 「規則を破ることは絶対にいけない」と言って、細かな校則のわずかな違反に体罰を加える教師達がいます。体罰は、明白な違法行為です。規則破りです。こんな矛盾したことを平気でできる人が、持ち物検査をしても良いというお墨付きをもらったと誤解してしまうのではないかと、心配なのです。

 人権問題もありますが、こんな教師の態度が、ますます子供達の心を追いつめ、場合によっては、再び不幸な事件が起きてしまうのではないかと心配なのです。

体罰も、「絶対悪」だとは思いません。でも、上の考えは、あまりにもめちゃくちゃです。)

体罰とは 文部科学省による体罰の定義
体罰の心理学:限界と副作用


本当の教育改革のために

 けれども、たぶん、多くの先生方は、子供達のことを思い、良い教育をしようと思っていることでしょう。

 蛭田政弘・指導部長は、「危機的状況だ」としたうえで、「生徒たちに『生きている』という実感を感じさせられるような学校教育にしていこう」と呼びかけています。(朝日新聞1998.2.3)

 テレビのワイドショーに出演していたある教師は、子供に責任を持たせ、自己決定させ、生きている存在感を持たせることが必要だと述べていました。

 今回の事件を通して、このような教育現場の改善がなされることこそが、志半ばにして亡くなった腰塚先生の死を無駄にしないことになると思うのです。

 学校だけにそれを押しつけるのではなく、私たちみんなの協力で、教育改革を進めていきましょう。



管理教育

 私は、管理することが悪いことだとは思いません。小さな子供を遊ばせるとき、きちんと管理を行い、安全で豊かな環境を用意することはとても大切です。その環境のなかで、子供達は自由にのびのびと遊ぶことができます。

 管理が悪く、危険で貧弱な環境で遊ばせるとしたら、子供から目を話すことができず、小言と注意をし続けなくてはなりません。子供は、ちっとも自由に遊べません。

 管理することが悪いのではなく、「良い管理」を行わないことが悪いのです。教育における良い管理とは、子供の「自律性を支援」し、子供の自身の努力が報われるような「応答的環境」を作ることだと思います。


人権

 人権擁護の衣をかぶって、おとなの責任放棄や、子供のわがままが行われていることがあります。だから、人権ばかりを振り回してはいけない、厳しいしつけが必要だという人もいるかもしれません。

 しかし、こういう状況だからこそ、大人も子供も「人権」についてしっかりと学ぶ必要があると思います。

 子供の屁理屈に負けてはいけません。



普通の子

 今回の事件報道を通して、「普通の子」という言葉に敏感に反応した子供達がいます。ある子は、「普通の子」なんて呼ばないでほしい、私たちにも悩みはあるのだと訴えていました。

 これは、この子の誤解です。この場合の「普通の子」とは、非行歴などがない子供という意味で、それ以上の意味はありません。

 しかし、この子の思いは、真実でしょう。悩み、不安を抱えている「普通の子」達は、大勢いるでしょう。それは、神戸の少年が言った「透明な存在」ともつながるものでしょう。

 ある研究によると、教師が「問題児」と感じるのは、授業妨害をする生徒たちです。一方、心理学者が問題があるのではないかと気にした生徒たちは、むしろ目立たないおとなしい生徒たちでした。

 もちろん、先生達も、教師に直接問題をぶつけてくる生徒たちはまだいいと気づいています。

 「普通の子」の問題は、感情を大爆発させる可能性があるという問題と、それから、大問題は起こさないけれども不安や悩みを抱え続けているという問題があります。

中学生日記

 テレビドラマ「中学生日記」の話です。その回の主人公の女子生徒は、目立たない普通の生徒でした。先生に目を向けてもらえないことに小さな不満を持っていました。

 ある日、ある不良少女が髪を切って来ました。先生はすぐに気づいてその生徒に話しかけていました。それを見て、主人公の女子生徒も、思い切って、髪を切りました。ところが、先生は何も話しかけてくれませんでした。

 彼女は、先生からの反応がほしくて、進学希望調査の用紙に、とても合格できそうもない学校名を書きました。ところが、それでも先生は何も言ってくれませんでした。

 実は、先生は「この生徒はまじめに一生懸命努力しているから、この学校への進学も不可能ではないかもしれない、だまってやらせてみよう」と思っていたのです。

 ドラマの最後では、お互いの気持ちがわかり、ハッピーエンドでしたが、現実は、いつもハッピーエンドとは限りません。


「普通の子」に目を向けよう

 特別な優等生ではない、運動選手でもない、問題児でもない、「普通の子」たち。でも、この子たちに、もっと目を向けよう。心で思っているだけでは通じないこともある。言葉や態度で示そう。

 君のことを見ているよ。期待しているよ。心配しているよ。君の幸せを、願っているよ。

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