心理学総合案内・こころの散歩道/犯罪心理「心の闇と光」/神戸小学生殺害事件/乳児院、児相・児童自立支援施設・少年刑務所
島根県警のホームページに神戸の事件を扱った「異界に住む子どもたち」があり、その中に掲示板があります。下記はその掲示板へ投稿した内容です。
先日、乳児院(面倒を見てくれる人がいない0〜2才までの子どもの施設)に行ってきました。とても明るく、にぎやかな場所でした。短い時間でしたが、子ども達と接し、先生方からお話を聞きました。ここは、少年犯罪と直接関わりのある施設ではありませんが、世の中には、いろいろな境遇の子ども達がいることを実感できました。
昔と違い、乳児院も、養護施設(今年度から児童養護施設と名称変更:乳児院より年長の子どもの施設)も、親のいない子は少なく、多くは親がいても面倒を見てもらえない子ども達です。定期的に面接に来てくれる親がいる一方で、一度も面接などには来ず、引っ越しても連絡先すら知らせてくれない親もいます。万が一子どもが亡くなっても、連絡することすらできません。
時には、せっかく引き取ってくれる里親が見つかり家庭に入れる子どもでも、実の親との連絡がつかないことがあるそうです。その場合には、親の承認が取れないために里親のもとへ行くことができず、児童養護施設へ移っていくことになります。
それでも、もちろん子どもを殺してしまったり、ひどい虐待をするぐらいなら、ぜひ乳児院を利用してほしいと思います。短期の利用もできます。また、子育てに悩む親のために育児相談の活動も行っています。このような育児支援の活動が、健全な子どもの成長と、ひいては非行防止につながっていくと感じました。
補足:乳児院とは直接関係はありませんが、兇悪な犯罪を犯した少年達の事例を読むと、多くの少年達に不幸な過去があるように思えます。たとえ外見的にはりっぱな家庭でも、親の愛を実感できず、傷つく体験を繰り返しています。そのとき、誰かが助けてくれていたら、きっと結果は違ったものになっていただろうと思うのです。
数年間にわたり、いくつもの児童相談所を見てまわりました。時間があるときには、児童相談所内の「一時保護所」の子ども達と一緒に遊んだりもしました。児童相談所は、子どもに関する相談を受け付けたり、子どもを一時的に預かったり、施設入所の窓口になったりと、児童福祉全般のコーディネーターのような働きをします。また、法に触れることをした子どもに対しては、教護院等への入所措置や家庭裁判所への送致なども行います。
一時保護所には、さまざまな理由で子ども達が入所しますが、非行少年達が入ってくることもあります。入所直後の子どもの中には、いかにも不良少年、不良少女といった目つきと表情で、こちらから話しかけても返事もしない子もいます。しかし、入所後しばらくすると、生活にも慣れ、表情もおだやかになってきます。
これまでの経緯を知れば、びっくりするような悪いことをしてきた子達が、そんなことが信じられないくらい素直に健康的に過ごしています。児童相談所の中では、体罰もないし、懲罰房のようなものもないし、鉄格子もなく、逃げる気になれば逃げることは簡単です。建物の雰囲気としては、青年の家や児童館やペンションのような感じです。相談所の外に遊びに行くこともあります。そのような環境での子ども達の変化は、本当にすばらしいと思います。
しかし、それは猫をかぶっているだけではないか、そんな疑問も考えられるでしょう。そこで、何カ所かの児童相談所で、そこの先生に聞いてみました。
ある方は、言いました。
「いや、今のこの姿こそ本当の姿だと思う。非行を繰り返していたときが、無理をして非行少年の仮面をかぶっていたんだ。」
また、ある方は言いました。
「どちらも本物だと思う。劣悪な環境で悪いことをしていたのも、今この環境でみんなと楽しそうに遊んだり勉強したりしているのも、どちらも本当のこの子だと思う。」
私もやはり、一時保護所での姿が芝居とは思えませんでした。
児童相談所を実際に訪問する前は、ただ事務的に仕事を処理しているような所を想像していました。しかし、訪問したどの児童相談所も、そうではありませんでした。職員の方々の、子どもの幸せを願う熱い気持ちが伝わってくるような所でした。
高いプロ意識を持ち、研修を重ねていることがよく分かりました。決して優しい気持ちだけで子ども達と接するのではなく、温かな気持ちと共に、冷静な理論と技術に裏付けられたアプローチをしていると感じました。
ある方は、こう語ってくれました。
「子ども達は変わる。驚くほど変わる。とても悪い子だった子が劇的に変わっていく姿を、何度も見てきた。だから、ここはとてもやりがいのある職場だ」
私自身は、一人の子どもの変化をずっと見続けることはできませんが、非行少年や問題を抱える子ども達がみごとに変化していく感動的な例を、いくつも見聞きすることができました。
子どもは変わる可能性がある、子どもには広がる未来があると、強く感じました。
補足1:児童相談所が出している統計では、売春や窃盗など法に触れることをして児童相談所に来たと分類される子ども達の中には、実は調査の結果、家庭内で身体的虐待や性的虐待を受けていたと分かる子達が少なからずいるそうです。問題の複雑さを感じます。
補足2:児童相談所は、悪い子や大きな問題のある子だけが行くところではありません。育児相談も含め、子どもに関する相談になんでも乗ってくれます。子ども達の幸せのため、非行防止のため、児童相談所がいっそう活用されることを願っています。
北海道のオホーツクにある家族小舎制の教護院と、他県の一般的な形態の教護院を訪問したことがあります。(北海道の施設は有名なところなので、実名を出しましょう。「北海道家庭学校」です。何冊か本も出版されています。)
どちらも、鉄格子などありません。そこで、暮らし、学び、作業をしています。建物の雰囲気は、キャンプ場やごく普通の学校のようです。北海道家庭学校には歴史のあるすてきなチャペルがあって、町の案内パンフレットの表紙になっているのも見たことがあります。教護院等の施設は、なにか暗いイメージがあって、町の自慢になるようなものとはほど遠いと思いがちですが、北海道家庭学校はそうではありませんでした。
児童相談所と同様に、そこにも素直で明るい子ども達がいました。札付きのワルだった子が、体罰などの方法を使わなくても、訪ねてきた学校の先生が驚くほど素直な子になっていく例を見ることができました。
先日、教護院を舞台にしたテレビドラマがありましたね(私は最後の10分しか見られませんでしたが)。また、ニュース番組で、家族小舎制の教護院が紹介されていました。入所している子どもと、職員夫婦と、職員夫婦の子どもが、楽しそうにおしゃべりしている様子が出ていました。
補足:教護院は、今年度から「児童自立支援施設」と名称が変わりました。この施設も非行のような反社会的行為をした子どもだけが入所するわけではなく、地域によっては不登校の子どもが行動改善のために入所することなどもあるようです。
10年以上前ですが、一度見学に行ったことがあります。少年刑務所とは、簡単に言うと、少年院と刑務所の中間のような所です。児童相談所や児童自立支援施設は、自由に見学できるわけではないといっても「こんにちは」と気軽に入っていける雰囲気がありました。しかし、ここはさすがに、事前にきちんと書類を提出し、入口で手続きを済ませた後で、やっと入れてもらえました。女性を含め、数名の友人と一緒に見学しました。
それでも、建物の雰囲気は、刑務所とはずいぶん違います(小菅の東京拘置所は高架線の電車の窓からよく見ました。網走には1984年まで実際に使用されていた刑務所の建物をそのまま使った博物館があり、何度か見学に行きました。網走の現在の刑務所の方は、外から眺めたり、門が開いていたときに中をちょっとのぞいてみました)。
少年刑務所は、刑務所のような高い塀があるわけではなく、一見すると普通の高校の建物のようでした。ただ、入所している少年達の統制のとれた様子が、児童自立支援施設などとは違っていました。
いろいろと話を聞きながら、施設の見学をし、そこで使用されている心理テストの解説を聞いたり、作業中の少年達の間を通って少年達の様子を肌で感じました。少年達の中には、軽い知的障害のある人もいましたし、国立大学在学中に逮捕された人もいました。
木工作業の部屋も見学しました。工具を持った少年が襲いかかってくる可能性も0%ではないでしょう。しかし、大人の刑務所とは違って、そのような危険性はまずないと、職員の方は判断しているようでした。
少年刑務所の隣には、一般の高校があり、そこの高校生との交流スポーツ大会などもあるということでした。少年刑務所の中には、学校のクラブのようなものもあり、自主的に趣味の活動を始めたり、いままで読み書きができなかった少年が読み書きを覚えて退所することもあると聞きました。
見学を終えた後、職員の方(母校の先輩)と飲みながら話をしました。
Q(私).「少年達の中には、自主的に勉強したり、健全な趣味の活動を始めている人達が大勢いましたが、どうしてそういうやる気が出てきたのでしょう」
A(職員).「う〜ん、他にやることがないからじゃないかな(笑い)」
様々な犯罪を行ってきた少年達も、犯罪を犯しやすい環境から離れると、勉強や趣味の活動を始めたのでした。
ところで、いくら不良仲間の間でも、まともに読み書きができないのでは、辛かっただろうなと思います。読み書きをする知的能力はあったのに、どこかでつまづいて、そのまま親も教師も彼を助けることができなかったのでしょう。もっと早く読み書きができるようになっていれば、彼の人生は変わっていたかもしれないと感じました。
人間は環境によって変わると言われますが、特に子どもの場合はそうだと感じました。
最近マスコミなどを通して、少年法や関連施設への批判を耳にします。少年法も含めて、どの法律でも完璧なものなどないでしょう。職員が一人残らず、とても有能で善良だというわけでもないでしょう。悪い噂も聞かないわけではありません。全ての少年が、完全に更生しているわけでもありません。しかし、私が見た限り、完全ではないにしても、児童福祉法や少年法関連の諸施設は、とても良く機能しているように思えました。
また、職員のみなさんの他に、様々な形で協力して下さっている市民の方々の話を直接、間接に聞くこともできました。施設にボランティアに来たり、入所者と交流したり、里親や職親になってくれる人達です。
もちろん、完璧な人間などいません。けれども、多くの人達が少年達のために努力している姿には、本当に頭が下がりました。しかも、彼らと話していると、特別な慈善活動をしているといった意識はほとんど感じられず、むしろとても自然に活動しているように思えました。
私自身、特別な活動をしているわけではありませんし、全ての人がこのような活動を行えるわけではありません。しかし、私たちみんなで、このような活動をして下さっている人々を支えていく気持ちを持ちたいと、感じずにいられませんでした。
少年達が変化した原因は、施設内の温かな人間関係や健全な環境と同時に、補導、逮捕、裁判と、少年達にとっては辛い経験を通ったこともあるでしょう。少年法が持っている制裁的な側面と教育的な側面の両方が、彼らには必要だったのかもしれません。
私は、これらの施設の職員でもないし、入所したこともありませんし、専門家でもありません。その意味で、私の理解はとても不十分なものだと思います。しかし、その反面、一市民として、新鮮な気持ちで各施設を感じとることができたのではないかと思っています。
*今回はあえて理論や統計よりも、自分の実体験と素朴な感想を内容にしてみました。時には、こういうふうに考えてみるのも、意味があることだと思います。
ただ、この掲示板にはいろいろな人のいろいろな発言があって良いと思います。実体験に基づく投稿もすばらしいですし、自分が見た本やテレビ番組の内容紹介も良いでしょうし、理論や思想に関する投稿も大変結構だと思います。
投稿319のk-ritsさんがおっしゃっているように、様々な発言を通してお互いの考え方の違いを楽しみ、互いに成長しあえるようなディスカッションをしていきたいと、心から願っています。そうして、不幸な犯罪が少しでも減ることを祈っています。
私の投稿へのご意見、ご質問、ありがとうございます。ご指摘、ごもっともな点もございますし、深い内容のご発言もあると感じております。一度に全てのことを書くことはできませんが、今後、関連する様々な問題を取り上げながら、ご指摘の点につきましても、真剣に考えていきたいと思っています。
<補足>
私は上記のような更生活動に直接参加したことはありませんが、障害児の療育や、広い意味での子どもの教育や子どもの「遊び」を支援する活動には、少しだけ参加しています。
非行防止のためには、多様な方法が考えられるでしょうが、中心となるのは、教科の学習だけではない広い意味での教育だと考えています。その中の大切なものの一つが、「遊び」でしょう。遊びを通して、感情を素直に表現し、社会のルールと人間関係を学ぶことが、将来の非行防止にもつながると思います。
また、自分のホームページ「こころの散歩道」を通して、犯罪学や非行の心理、親子関係の心理、心の病理などについての情報を発信することも、間接的な意味では非行防止活動や精神障害者による犯罪の防止活動の一つだと考えています。
それから、精神障害者の問題には関わっていたことがありますし、宗教家の活動を見聞きしてきたこともありますが、これらのことについては、また機会があれば投稿したいと思っています。
長文にお付き合いいただき、本当に感謝しています。
どうもありがとうございました。碓井真史
前のページへ戻る
被害者と加害者(「彩花へ」)・市民の協力・宗教・心の闇と光