こころの散歩道:心理学総合案内/ 犯罪心理学 / 京都小学生殺害事件の犯罪心理学/当たり前
世の中には楽観的な人と悲観的な人がいます。とっちがいいといえば、楽観的なほうかな。少なくとも、心の病気にはなりにくいでしょう。
心理学の研究によると、あることができるためには、まず「自分にもそれができる」と信じることが必要になります。また、何かをやっているときに、「ああもうだめだ」とあきらめてしまうと、そのとたんに思考力が落ちてしまうこともわかっています。
* そうとはいえ、危機管理の点から言えば、最悪の事態も想定して、準備することはとても大切でしょう。
京都小学生殺害事件が起きてしまった地域では、学校や地域の人々が一緒になって、子どもたちを守る方策を始めています。事件が未解決のまま、第二の犯罪の可能性も考えられるのですから、必要なことでしょう。
校長先生は、「みんなで子どもたちを(あたたかく)つつみこみながら、」危険から守りたいとおっしゃっていました。
私も、ぜひみんなで明るく温かい雰囲気で、子どもを支えて欲しいと願っています。
子どもたちの心が不安定になっていることも報道されていますが、幸いにして、マスコミ報道を見るかぎり、大人たちみんなで力強く子どもを守ろうという雰囲気が伝わってきてほっとしています。
危険から守るためとはいえ、子どもの不安をかき立てるような方法は、のぞましくないでしょう。それではかえって、子どもの心を傷つけてしまうかもしれません。
* 「心配」は、たいていの場合、具体的な何かを心配しています。「健康的」に心配する人は、心配だからこそ、具体的な対策を考えます。予防注射をしたり、懐中電灯を用意したり、事前の確認をしたりするわけです。
「不安」は、何が不安なのかよくわからないことがあります。不登校の子たちは、学校に行くことに不安を感じますが、何が不安なのか自分でもよくわからないことがあります。どうして学校に行けないの?ときかれても、自分でもよくわからないので答えられません。ですから、具体的な対策や予防も難しくなります。
私たちは、いろいろなことに不安を感じます。来週のテストが不安だ、商談が不安だ、お見合いが不安だなどなど。それでも、病的でない不安ならば、不安だけれども、歩み出せます。不安だけれども、テストや、商談やお見合いの場に行くことができるのです。そして、うまく終わってしまえば、不安はウソのように消え去ります。普通の不安は、出口のある不安なのです。
ところが、病的な不安になると、何が不安なのか、ますますわからなくなります。そして、いつ終わることなく、不安が続きます。病的な不安は、出口のない不安です。こうなってしまうと、勉強や仕事が普通にできなくなってしまったり、心身の不調が出たりするのです。不安だ、不安だと感じて、不安なのだけれども何も手に付かず、対策も準備もできず、ますます成功から遠のいてしまうのです。
私たちは、その出来事自体よりも、不安のために押しつぶされてしまうことが少なくありません。
* さて、事件は起きてしまいました。まだ危険性もあります。心配です。不安だってあります。とくに子どもたちは、自分の不安をきちんと客観視したり、大人のように上手に不安やストレスを発散することがなかなかできません。
心理的ケアと同時に、被害を防止する様々な方法が必要でしょう。心配に対処し、不安を下げるような努力を、みんなでしていきたいと思います。
地域で努力されているみなさんに、エールをおくります。
*** うつの人は悲観的な人で、健康な人は現実的な人だと思うかもしれませんが、研究によると、うつの人が現実的な人で、健康な人が楽観的な人のようです。
入社した会社は来月つぶれるかもしれない、今日生まれたこの子は将来犯罪者になるかもしれない。私は今日の帰りに交通事故で死ぬかもしれない。全ての努力は無駄かもしれない。たしかに、その可能性はあります。
その可能性を心配しているからこそ、保険に入ったりもします。でも、たしかにその可能性はあっても、ふだんはその可能性を忘れていて、不安がったりはしません。私は明日も生きているし、努力はきっと報われます。
現実の様々な可能性の中から、良い可能性の方を見ているからこそ、明るく元気に生きていけるのでしょう。
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