心理学総合案内・こころの散歩道/犯罪心理学/神戸/真相
事件は異常で悲惨なものだった。
しかし、犯人が少年であったことが分かったとたんに、マスコミの強調点は、「憎むべき犯人」から、地域、社会、教育、学校の問題へと、転換していった。
露呈した自己矛盾捜査が進むにつれて、その異常性と残虐性が明らかになっていったが、新聞は、犯人の「人権擁護の大合唱」を行った。だが、新聞は「自己矛盾」といえる行為をしている。犯人逮捕の当日、大量の新聞記者が地元の人たちに犯人の実名をあげ、どんな少年なのかを尋ねまわった。
この取材行為も、学校名を明記したことも、「明確な少年法違反と言える。」 一方、新潮社のフォーカスに関しては「販売中止騒動を作り上げ」、「言論の自由を踏みつぶした。」
新聞報道の偽善この自己矛盾のため、新聞、特に朝日新聞は、事件の真相をも闇に葬った。「朝日新聞は、一貫してこの事件の原因を「教育現場」に求めている。」それは事件に広がりを持たせるためであり、また犯人個人のことは報道できないためである。7月26日の社説によれば、被害者側の心情はよくわかるが、少年法の見直しは、冷静に議論を重ねていきたいとしている。
遺族の叫びをどう聞くか少年法は、時代に合わず、「法の持つべき社会防衛の義務すら放棄した。」
「犯罪者の人権を不可侵の領域に据え、そこに安住する新聞は、もはやジャーナリズムの何値しない。」
記事の全文を読むと、地域や被害者側の声、心理学者や人権派弁護士らの意見を載せ、なかなか説得力のある記事だと思います。(例の顔写真の事件がなければ、もっと説得力があったでしょう。)
新聞の行為が違法なのかどうかは、私にはわかりませんが、たしかにマスコミの視点が多少ずれていたとは、感じています。
容疑者逮捕の直後から、そして捜査が進めば進むほど、犯罪の異常性、少年Aの病理性が明らかになっていきます。それにも関わらず、一般の事件と同じように、社会や教育の問題が強調されすぎていたように思います。このホームページで最初から指摘してきたように、今回の事件は殺人自体を目的とした快楽殺人であり、それらの問題による犯罪ではありません。
朝日新聞が特に顕著だったかはわかりません。ただ、神戸地検が「殺人自体が目的」と会見した後、事件をテーマとしたテレビ朝日の「朝まで生テレビ」は、30人の中学教師と何人もの教育関係のパネラーを集めた番組でした。どうしても教育問題に持っていきたいようでした。(いつもはこの番組を興味深く見ているのですが、今回はちょっとね。)
どうして、マスコミがそうしたいかは、たぶん、その方が面白いからだと思います。少年の精神病理の話よりは、社会や教育の問題の方が、話が広がるし、多くの人たちが話しに参加できるでしょう。しかし、これでは事実をゆがめることになります。
今回の事件をきっかけに、社会や教育や法律などの様々な問題が論議されているのは、とても良いことだと思います。しかし、それは事件の直接の原因とは、分けて考えなくてはならないでしょう。
少年の病理性について
それでは、マスコミが少年の異常性、病理性を強調している場合はどうでしょう。その場合には、「恐ろしい少年」ということばかりが強調されてしまい、「こころの病」の側面が軽視されているように思います。
「恐ろしい少年」という面を完全に否定するわけではありません。たしかに凶悪で残虐な犯罪です。私たちは、被害者を出さないために、この種の犯人達と断固として戦わなくてはなりません。少年の凶悪さを強調し、だから、重い刑罰を与えよう、少年法も改正しようとお考えになる方々の気持ちは、十分に理解できます。しかし、重い刑罰が快楽殺人の抑止力になるとは考えにくいことは、これまでに述べてきたとおりです。そして、心理学者の私としては「こころの病」には、刑罰だけではなく、治療や援助が必要だと感じてしまうのです。
たとえばイジメの問題は、人権問題で言えば、もちろんイジメる側が一方的に悪く、イジメられる側は、何も悪くありません。もし必要ならば何かの罰や強制力を使ってでも、断固とした態度をとり、イジメられっ子を守らなければなりません。
しかし同時に、心理学的に考えれば、イジメっ子も、イジメられっ子も、どちらも心理的な助けを必要とする子なのです。それは、イジメっ子を甘やかすことにはならず、むしろ、本当の問題解決への道だと思うのです。
快楽殺人の場合も、刑事事件としての側面と同時に、「こころの病」という側面も忘れてはいけません。その方が、真実の解明と問題の解決と、そして同様の事件の予防のためにも、有意義なのです。
こころの病に関する無理解
1982年に、日航機(福岡発羽田行き)が機長の「逆噴射」操作で羽田沖に墜落。死者24人を出す大惨事となる事故がありました。事件の直後、なぜか多くのマスコミは、機長が「心身症」であったために異常な行動をしたと報道してしまいました。(逆噴射と心身症は、ちょっとした流行語にもなりました。)それに対して心身症の患者のグループが、心身症だからと言ってそんなことはしないと抗議しました。
心身症とは、悩みすぎて胃が痛くなる神経性胃炎やストレスのために髪の毛が抜ける円形脱毛症などで、神経症だからといって、その機長のようなことをするとはありません。
この程度のことを知っていれば、そんな誤報をすることはなかったのですが、当時の心身症に関する理解は不十分なものだったのでしょう。現在なら、そんなことを言う人はいないでしょう。
しかし、現在でもこころの病に関しては、誤解と偏見があふれています。エイズに関する理解が短期間の間に驚くほど深まったのに比べ、こころの病に関する理解は、なかなか深まりません。
今回の少年の場合は、おそらく性格障害でしょう。こころの病なら何をしても赦されるわけではなく、これまでの判例では、かなり重い性格障害でも有罪になっています。それは法的判断として間違ってはいないでしょう。しかし、それと同時に、こころの病に関する理解と援助をも、私たちは進めて行かなくてはなりません。
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