こころの散歩道/犯罪/毒カレー事件/考え

和歌山毒物カレー事件・新潟毒物混入事件
偽やせ薬事件・長野青酸入り缶茶事件

について

今、考えていること(過去の記録)

最新のページへ戻る

98.12.9 林真須美容疑者 毒カレー事件で再逮捕

 毒カレー事件の殺人、殺人未遂容疑で林真須美容疑者が再逮捕されました。夫やマージャン仲間を殺傷して、保険金を得ようとしたようです。逮捕にまでこぎ着けた、関係諸氏の皆さまの並々ならぬ努力の成果だと思います。

 しかし一方で、動機がいまだにはっきりしないとか、状況証拠の積み重ねだといった問題もあります。たしかに、この女性が犯人なのだろうとは感じてしまいます。けれども、たとえ犯人だとしても、確かな証拠がないかぎり、無罪だろうと推定し、「犯人」にはしないというのが、私たちの社会の約束事です。

 毒物事件では、有名な「帝銀事件」をはじめいくつかのケースで、冤罪と言われるものや、逮捕、判決後も、疑問の残るケースがあります。サリン事件の時も、無関係な、むしろ被害者側の男性が、犯人扱いされました。

 法律や犯罪捜査については、別のサイトに任せるとして、ここでは私たちの心の問題を考えましょう。

 私たちの心は、一度こうと決めたら、自分の考えに合う情報ばかりを集めたり、集まった情報をすべて自分の考えにあうように解釈してしまいます。(これは、社会心理学の中で、「認知的不協和」と呼ばれるものです。後日、別のページで解説したいと思います。)

 個人の心の中もそうですが、マスコミの報道も、その確信を強めるものばかりが登場します。サリン事件の時も、私も含めてほとんどの人たちは、あの男性が犯人だと思ってしまいました。

 別の事件の例ですが、「殺人現場の土と容疑者の車についていた土が一致!」と発表されました。誰が見ても犯人確定と思ってしまいそうですが、誤認逮捕でした。その土とは、実はどこに行ってもあるような、ありきたりの土だったのです。

 今回の事件に関して、冤罪だと主張しているわけではありません。しかし、日本中から注目されている事件だからこそ、マスコミも、警察も、裁判所も、そして私たちも、社会のルールにしたがった正しい判断をしていきたいと願っています。

 多くの被害者が出た悲しい事件です。しかし、だからこそ、犯人が逮捕され、刑罰を受けてそれでおしまいではなく、私たちが何かを学び、社会が少しでも良い方向に行くことが、犠牲者の死を無駄にしないことにもなると思うのです。


98.10.8 疑惑の夫婦、ついに逮捕

 とうとうあの「民家の住民」なんて言われていた夫婦が逮捕されました。毒物カレー事件の方は、まだ闇の中ですが、保険金詐欺の方は、彼らが犯人なのでしょうか。もちろん、まだ容疑者ですし、「疑わしきは罰せず」ですが。

 逮捕前から、この2人、とくに女性の方は、ずいぶんいろいろと見せてくれました、聞かせてくれました。マスコミは大喜びでしたよね。逮捕されたことで、これまで日の目を見なかった映像や話も、一気に出てきました。

 オウム事件以来の大報道だとか。号外も出ました。全国紙もかなりの紙面を割いています。たしかに、国民の関心が高い事件です。報道することもいっぱいあります。でも、ここまで報道するだけの事件なのかどうか、少し疑問です。

 テレビに出ている心理学の先生方もおっしゃっているようですが、逮捕された女性は、顕示性性格障害とか、演技性性格障害とか言われています。簡単に言うと、目立ちたがり屋です。

 目立つためなら、ウソもつきます、涙も流します。一生懸命話しているうちに、自分でもそのウソが本当のような気がしてきます。だから、ウソとは思えない迫真の演技ができるのです。この性格障害の人が詐欺事件を起こすことは、珍しいことではありません。

 彼女が犯人なら、もちろん極悪非道な凶悪犯人です。被害者や関係者の方々のことを考えると、本当に胸が痛みます。でも、それと同時に、彼女の性格障害のことを考えます。もし、そんなふうに性格がゆがんでいなければ、彼女も、そして周囲の人たちもこんな目に合わずにすんだのに。

 もちろん、性格障害だからと言って、無罪になることはありません。そんなことになったら、犯罪者の多くが無罪になってしまいます。ただ、私としては、犯人の責任は追及しながらも、ただ犯人だけを責める気にはどうしてもなれないのです。

 ところで、この夫婦の子供たちは、取りあえず児童相談所の一時保護所に入所したようです。実名が報道され、家が映されれば、「犯人の子」だと誰でもわかってしまいます。子どもは、何も悪いことをしていないのに。

 家に押し掛け、実名を報道するのは、どんな意味があるのでしょうか。

(今日はこれで時間切れ、また関連のページをすぐに更新します。)

 


98.9.27 毒勘違いパニック 朝日からの返信

 先日9.20、下の段(98.9.20毒勘違いパニック)に書いたメールを朝日新聞におくりましたところ、9.26夜に返信を頂戴いたしました。この記事「毒勘違いパニック」を執筆された記者の方からの直接のお返事です。1200字を越える長文のメールでした。

 まず、びっくりしました。そして、感動的ですらありました。

こんな丁寧なお返事が来るとは、思ってもみませんでしたから。

 もちろん、ここでその私信を公開することはできませんが、単なる一読者からのメールに対して、とても真剣に、誠実に答えて下さいました。

 まず、私が感じたような問題は、この記者の方も日ごろから感じていらっしゃるようでした。その上で、いくつかの点には、ご説明や、記者の立場としての言い分などを書いて下さいました。

 今回は、「パニック」という言葉の問題がありますが、このような用語の問題、

見出しの作り方、

何をどう報道するのか、

報道によって人々の行動は変化するのかなど、

いくつもの興味深い問題があげられました。

 ホームページを通して、これらの問題を考えていきたいと思います。

***

 返信の内容を具体的にご紹介できないことが残念です。ご本人から止められているわけではありませんが、いただいた個人的なメールを、ご本人に無断で公開してしまうのは、マナーにも反しますし、違法でもあります。

 このホームページでは、ご承諾をいただいたうえでメールを公開することもありまが、今回の場合は、全国紙の記者というお立場を考えて、公開許可のお願いをすることは控えました。

 いずれにせよ、私にとっては大変うれしい返信であり、いくつかの点で理解も深まり、また良い刺激を受けました。このようにして私が考えたことをページ上に反映することを通し、この経験をみなさんと分かち合いたいと考えています。

 マスメディアに向かっても、発言し続けていきたいと考えています。

***

・何かの危険性があるからといって報道しないほうが良いなどとは、もちろん思いません。問題は、どのように報道するかだと思います。

・「報道」というのは、特別なキャンペーン記事でもないかぎり、「読者の関心を高めよう」と意図したり、「もっと冷静に」と啓蒙しようなどとは考えないものなのでしょうか。報道ってなんなのか、ちょっと考えてみたいと思います。

・私は、読者からの意見をこれほど真面目に考えて下さる記者の方を尊敬しますし、そのような記者の方々の報道に、これからも大いに期待しています。


98.9.20 毒勘違いパニック

 98.9.18朝日新聞「毒勘違いパニック」によると、異常のない清涼飲料水を飲んで、毒が混入していたと誤解したために、実際に病院へ運ばれるケースが急増しているそうです。

この記事を読んで、朝日新聞に以下のような投書をしました。

***

朝日新聞社 編集部 御中

 いつも貴紙を拝読しております。9.18朝刊社会面「毒勘違いパニック」への意見がございます。

 毒物事件の続発が問題になっていますが、マスメディアによって、実際以上に毒物事件が続発し、実際以上に社会が混乱しているといったイメージが作られている危険性はないでしょうか。

 そのイメージの中で、さらに模倣犯が増えている可能性はないでしょうか。実はこのような問題に関しまして、貴社大阪本社学芸部から依頼を受けまして、大阪版夕刊「月刊漂流時代」の座談会に先日参加いたしました。

その座談会の翌日、「毒勘違いパニック」の記事を拝見しました。

 一読者と致しまして、見出しも内容も、面白いし、意味のある記事だと感じました。もっと冷静になりましょうというのが、記事の趣旨と思います。

 しかし、ことさら「毒パニック」などと呼ぶのはどうでしょうか。マスコミの方々は、何かあるとすぐに「パニック」を探すようにも感じられます。

「勘違い出動」が急増したことは事実でしょう。それが、「パニック」なのかどうかが問題です。「パニック」という言葉を使うことによって、結果的に、実際以上に社会が混乱しているようなイメージが増し加わり、愉快犯をさらに愉快がらせ、新たな模倣犯を生む危険性はないでしょうか。

 もっとも、読者の目を引く見出しを付けることは当然ですし、内容を読めば、不安をあおり立てるものではないことはすぐにわかりますから、このような見出しも、許されるでしょうか。

 ただし、あえて失礼なことを言わせていただければ、様々な巨大メディアが全力で全国から毒物事件らしきものをかき集め、報道し、世間の関心を高めておいて、後になってから「もっと冷静に」と言うのは、「マッチ、ポンプ」と言えなくもないかもしれません。

この記事自体は、面白いし、意味のある記事だとは思いますけれども。

 貴紙を拝見しておりますと、人権に配慮した報道姿勢など、感心する点が多々ございます。さらに、報道による模倣犯発生の問題につきましても、改善へ向けて努力していただけることを期待しております。 


98.9.8 偽やせ薬事件、中3女子が犯行を認める供述

大方の予想通り、やはり容疑者は校内の生徒から出ました。報道によれば、少女は次のように話しています。

「新聞やテレビで(毒物をめぐって)大騒ぎしており、自分もいたずらしてみようと思った」

「強い刺激臭があり、まさか飲むとは思わなかった。本当に悪いことをした」

「全くいたずらのつもりで、自分1人でやった。反省している」

 警察では、さらに動機などを調べていますが、女子生徒の行動に深い背景はなく、短絡的なものだったとみているようです。

 容疑者が検挙されたことは誰にとっても良いことです。被害者にとっても、市民にとっても、そしてこの少女にとっても、良かったと思います。自分の行動の意味をしっかりと考え、取るべき責任はとり、更生してほしいと思います。この検挙が、日本各地で起きている模倣犯罪を止める力になってくれることを願っています。

 さて、今、少女らが通う港中学の前には、たくさんの報道陣が詰めかけています。私たち市民も、高い関心を持っています。しかし、被害者の人権を守り、模倣犯罪を抑止し、加害者が更生していくためには、ただ刺激的な情報を流し、容疑者を悪者扱いするだけでは、ダメでしょう。

 この事件から、私たちは何を学ぶべきなのか、今どうすべきなのか、このページでも考えていきたいと思います。そして、マスコミはどんな報道をしていくのか、みなさんとご一緒に見ていきたいと思います。

(この件については、またすぐにページの更新をします9.8)

優等生が毒を配るとき 9.10


98.9.5 愉快犯を防ぐために

 日本各地で、毒物事件が、続発中です。スーパー、コンビニ、自動販売機などで、様々な対策が実施されています。消費者一人ひとりも、十分気をつけて買い物をしましょう。これ以上、犠牲者が出ることを防ぎましょう。

 でも、もしもっと不安が広がって、ウーロン茶が全然売れなくなったり、スーパーがガラガラにすいてしまったら、それはまた犯人達を喜ばせることになるでしょう。私たちの慌てぶりを見て、犯人はお腹を抱えて笑うでしょう。それがまた、新たな「愉快犯」を生んでしまうかもしれません。

 マスコミは、視聴率や部数をあげるためには、恐怖心をあおり立て、おどろおどろしい表現を使うことが良いことでしょう。それは、消費者の自己防衛には、プラスになるかもしれません。でも、同時に、犯人達を喜ばせることにもなるかもしれないのです。冷静な報道を期待しています。

 卑劣な犯人達に負けてはいけません。みんなで戦いましょう。

 こんな犯罪で、私たちの市民生活が破壊されることはないと、教えてやりましょう。

 マスコミの方々は、パニックや混乱や騒動をよく報道しますが(市民がそれを求めている?)、ぜひ、お店や市民の冷静な様子も報道してほしいと思います。それが、新たな模倣犯、愉快犯を防止することにつながると思います。

 もちろん、第一には、犠牲者を出さないことですけれども、社会全体が騒ぎすぎず、落ち着いた対処をすることも、大切ではないでしょうか。

***

(言うまでもなく、「許されない犯行」「憎むべき犯人」だと言えます。でも、その一方で、心理学者として彼らの心を考えると、一方的に犯人を非難すればよいとは思えない部分もあるのです。この点については、また後日。)


98.9.3 補足

長野の毒入りウーロン茶は、すでに死亡者が出ていた模様です。とても残念です。

犯人へ、1人の人を殺しても、ほとんど死刑判決は出ません。でも、2人、3人と犠牲者が増えてしまったら、わからないよ。今、すぐ、やめなさい。


98.9.3 イタズラではすまないよ

 9.1 長野県内のスーパーの缶ウーロン茶にシアン化合物が混入。9.2 奈良県内の自動販売機の取り出し口に、殺虫剤入りの飲料。和歌山の毒物事件などに刺激された悪質なイタズラか。

 こんなことをしている君! しようとしている君! 君です!!

イタズラですか? イタズラでは済みませんよ

 1975(昭和55)、ある種の洗剤が入れられたコーラが電話ボックスなどに置かれていました。もし、子供が飲めば、命に関る毒でした。幸い犠牲者が出る前に、犯人の青年が逮捕されました。

 青年は言っています。「イタズラでやった。人が死ぬとは思わなかった。」もし死者が出ていたら、殺人犯になるところでした。被害や遺族の一生も、自分自身の一生も、台無しにするところでした。

 もちろん、死者が出なくても、大変な犯罪です。

ダメ! ダメ! ダメ!

「イタズラ」になりません。「犯罪」です。「殺人犯」になるかもしれません。犯罪は、犠牲者を不幸にし、あなた自身を不幸にします。


98.8.28

 和歌山毒物カレー事件では、今回の事件前の、ヒ素中毒がからむ保険金詐欺疑惑を持たれる人物が登場。祭りの準備にも関っていたとかで、事件との関連に関心が持たれています。

 この情報を普通に聞けば、「この人が犯人か!?」となるところですが、マスコミも私たちも、それではオウム松本サリン事件の教訓を何も生かしていないことになります。今回は、さすがに慎重になっているような気がします。

 疑いを持たれているこの夫婦が、フジテレビの番組で、弁明していました。会話の中で氏名が出る部分は「ピー」という音で消されているのですが、一ヶ所だけ、このピー音が抜けてしまい、実名が聞こえてしまいました。番組の中で、「不手際」と言って誤っていましたが、ケアレスミスで済むのでしょうか。

 インターネット上で、この話題に触れている人々は、氏名を聞いていても、伏せ字にしている人が多かったのですが、中には、あえて書いてしまっている人もいました。

 すでに何百万人(何千万人?)の人が聞いてしまっているわけですが、う〜ん、やっぱり書くべきではないでしょうね。


 

98.8.27

 地元新潟を離れているあいだに、新潟で毒入り茶事件発生、びっくりしました。和歌山の事件の模倣犯でしょうか。事件現場は、ここからも車ですぐですから、行って写真でも撮ってこようかとも思ったのですが......。

 でも、困惑している人たちのところへカメラを抱えていくのは、やはり抵抗があって、できませんでした。本当に必要があると判断すれば、行きますけれども、今のところ、マスコミが流しているのと同様の写真を撮ってきても意味はないと考えています。

 地元マスコミの報道によると、事件のあった会社は、窓ガラスに目隠しの紙を貼り、缶入りのお茶を飲んで、通常通りの仕事を行っています。

***

 また、あらたな毒物事件です。クレゾール入りの「偽やせ薬」が中学校の生徒らに郵送されました。これも、模倣犯でしょうか。

 「こころの散歩道」は様々な出来事を通して心理学を学ぶためのページです。犯罪心理に関するページも、犯罪が少しでも減ることを願って、作成しています。でも、私は、こんな小さなホームページでも、このページに刺激されて、犯罪を犯すような人が発生しないかと不安があります。だからこそ、何度でも言います。

犯罪を犯しても、幸せになんかなれないよ!!

 マスコミのみなさんも、もちろんこういうことは考えているのでしょうが、テレビのニュース(ニュースショー)などを見ていても、あまりその点は伝わってこないのは残念です。

***

 毎日新聞8.8夕刊の毒物事件に関する記事で、このホームページが紹介されました(URLはでませんでしたが)。先日、掲載紙を拝見しました。インターネット上の地味な活動も取り上げていただき、本当に感謝しています。


98.8.8

模倣と観察学習

 8.7の毎日新聞(ネット版)の報道によると、朝日新聞社に「青酸」と書かれた文書とともに白い粉末入りの封書が郵送されていたそうです。中味は青酸ではなく、悪質なイタズラだったようです。

 今回のような大きく報道される事件の後では、そのまねをした犯罪や悪質ないたずらが発生することがよくあります。

 人間も動物も、他者の行動を観察して、そこから学びとることができます。これを心理学では「観察学習」と言います。単純な「模倣」よりも、高度な学習行動です。

 たとえば、他の子どもが元気に水遊びをしている姿を見て、自分も泳げるようになったり、お犬をかわいがっているお父さんを見て、子犬や子猫などの小動物をかわいがることを学ぶ(観察学習する)こともあります。

 ある人が、ある行動をとって、その後どうなったかまで観察して、自分にとって意味のある、得をする行動を学ぶのが、観察学習です。

 一方、ぼんやりと信号待ちをしているときに、前の人がさっと一歩歩きだした、自分もつられて歩きだす。これは、単純な模倣です。渡り始めてから赤信号に気づいて、慌てたりします。

 心理学ではなく、人生について考えてみると、犯罪のまねをしたり、悪質ないたずらをしたりするのは、高度な観察学習ではなく、単純な模倣と言えるかもしれません。

 犯罪などを犯したらどうなるか、悪質ないたずらをした人はどうなるのか。その時だけは愉快かもしれないけれど、その後どんな人生を送るのか。ぜひ、しっかりと考え、しっかりと観察学習をしてほしいと思います。

 犯罪も悪質なイタズラも、人生を豊かにしません。あなたの得にはなりません。

 


98.8.5

 インターネット上で、今回の事件を模したゲームが登場しているようです。上手に毒を入れて人を殺すことを競うゲームのようです。テレビのニュースで、キャスターが憤っていました。

 私も同感です。

でも、いくつか疑問もあります。

・わずかな人数で行っているものを、わざわざ日本中の人に知らせる意味はあるのだろうか。サイトの宣伝になってしまわないか。

・こういう報道は毒物事件の犯人を喜ばせることにならないだろうか。

・どうもインターネットに関するニュースは、悪いニュースの方が多い気がする。

・マスコミが批判すると、そのサイトは閉鎖されてしまうのか。それで良いのか。

 だから報道するなとは、もちろん言いません。ただ、上記のような疑問を考えながら報道していただきたいと思います。


98.8.4

 和歌山では、いくつもの祭りが自粛されているそうです。事件が発生した地元の小学校では夏休みのプールが中止になったそうです。夏祭り、カレー、プール、どれも子どもが大好きなものです。

 確かに、用心したり、自粛したりすることも必要でしょう。しかし、必要以上に委縮してしまうのは、犯人の思うつぼのようにも思えます。

 異様な雰囲気の中で、子供たちの不安は消えず、大人たちもあまり外出しません。週刊誌などからは、住民の皆さんの疑心暗鬼の様子が伝わってきます。

 部外者としては、もちろん被害者や戸惑っている地域のみなさんをを責めるべきではありません。安易に励ますことも、場合によっては逆効果です。

 それでも私たちは、犯人と戦わなくてはなりません。私たちが必要以上に怖がったり、地域の和が乱れたりすれば、犯人はますます喜ぶことになるでしょう。被害者や地域住民を温かく支えることも、間接的には、犯人と戦うことになるでしょう。

 警察は、犯人逮捕を目指して犯人と戦っていますが、私たちは市民として犯人と戦っていかなくてはならないと思います。


98.8.1

被害者のためにも、地域のためにも、社会全体のためにも、
そして犯人自身のためにも、
一刻も早い犯人逮捕を願っています。

リピーターの皆さまへ

実は、少し迷ったのですが、
リクエストにお応えして青酸カレー事件のページを作りました。
さあ、どのように展開していくでしょうか。

毒物カレー事件へ戻る

犯罪心理学「心の闇と光」へ戻る

心理学総合案内「こころの散歩道」へ戻る