こころの散歩道(心理学総合案内)/心のニュースセンター/長野オリンピック と パラリンピックで学ぶ 心理学/閉会

希望と遺産

パラリンピック閉会

「価値ある目標に向かって歩みだした瞬間から、
あなたがたは成功者なのです。」

1998.3.14.全日程が無事に終了。

パラリンピックのテレビ報道

 パラリンピックに熱い思いをお持ちのみなさんは、 テレビ中継が少なすぎると感じられたようです。 そのようなメッセージがNHKにたくさん届いたので、 閉会式の生中継をすることになったとか。

 でも、私にとっては、 ずいぶん沢山の選手達の姿が映し出されたと感じています。 こんなに多くの障害者のみなさんが毎日テレビに出続けるなんて、 初めてのことではないでしょうか。 私は、長野へは行けませんでしたが、 テレビを通してふれあえたような気がします。

  スペシャルオリンピックス(知的障害者のオリンピック)に関わっている友人が 言っていました。

「長野パラリンピックで、どれだけ多くの障害児の親たちが勇気づけられたことか。 ああ、隠さなくても良いんだ。人前に堂々と出ても良いんだと思えた親たちが、 大勢います。」


慣れ

 知り合いのある牧師が、もう何十年も前ですが、進行性筋ジストロフィーの患者さん達のところへ、ボランティアに行きました。まだ、この病名も一般には知られていなかったころです。

 車椅子を押していると、下半身に毛布をかけた患者さんが、ちょっと足の位置がずれたので直してほしいと言いました。その牧師は、さっと毛布を取りました。そこには、とても細くてゆがんだ形の足がありました。そのくしゃくしゃの足を見たとたん、彼は思わず毛布をかけて足を隠してしまったそうです。そしてすぐに、自分の行動をとても悔やみました。

 さて、彼は障害者に対する差別意識などはありませんでした。温かい心で、車椅子を押していたのです。でも、今まで見たこともないものを見たとき、激しいショックを感じました。

彼は自分の行動を悔やんだのですが、見慣れない外見、が偏見と差別につながることもあるでしょう。

 見慣れないものに違和感を感じるのは、心理学的に言っても、人としてどうしようもないことです。私などは、青い目で金髪の人を目の前にしたとき、何か奇妙な感じがして、まともに相手の目を見て話ができなかったほどです。でも、少しその人とつきあえば、すぐに慣れて普通に話ができました。

 障害を持った人がどんどん街に出ていく、テレビに出演する。それが、とても大きな意味を持っていると思います。

 パラリンピックの選手達を毎日見ているうちに、「あの選手かわいいな」「あの選手はいい男だな」なんて感じ始めました(ちょっと不謹慎?)。テレビに出ている人の外見を見て、そんなことを考えるのは、ごく普通のことでしょう。

 テレビで見慣れていくうちに、最初は障害のある手や足に目が行っていたのが、だんだんと変わっていったのです。「障害者」として見るのではなく、一人の選手、一人のテレビ出演者として見られるようになったのです。

 みなさんは、いかかでしたでしょうか。

* * * * *

(偏見と差別の問題は、「心理学総合案内こころの散歩道」の中で、また別の機会に扱いたいと思っています。)

偏見:あるグループ(性別、国籍、宗教、障害の有無など)に属しているという理由だけで、その人に対して持つ否定的イメージ。差別は、その偏見に基づく行動。)


希望と遺産

 閉会式のテーマは、「希望と遺産」でした。長野オリンピックは、私たちにどんな希望を与え、遺産を残したのでしょうか。

 長野市は、オリンピックのために多額の借金を抱え込みました。そのため、長野の社会福祉が後退していくのではないかと心配している人達もいます。

 長野パラリンピックに向け、様々な活動に力が入れられました。さて、この後はどうなるのでしょうか。巨大なイベント自体は大成功でも、その後が何も変わらないとしたら、一体何のためのイベントだったのでしょうか。

 IPCの会長が閉会式のあいさつで語っていたように、夢は覚め、明日からは現実が待っています。日常的な現実の中で、私たちの意識を変え、社会を変えていくために、みんなで努力していきたいと思います。


弱者

 パラリンピックを福祉活動ではなく、一つの競技大会としてみても、やはり障害を克服し高度なスポーツに挑んでいる選手達の姿が、私たちに勇気と感動を与えてくれたと言えるでしょう。それは、障害者を特別な「弱者」として見ているからではないと思います。

 それは、私たちがオリンピック選手達を見るときも同じです。父親の死を乗り越え、4年前の悪夢を吹き払い、小柄な身体のハンデと戦い、以前は無名で涙を流しながら猛特訓を行った。そんなドラマに、私たちは勇気と感動を覚えます。

 障害者だけが特別な弱者なのではない。私たちはみんな弱い存在なのかもしれません。でも、私たちがその弱い部分を肯定的に受け入れ、そして自分を哀れむのではなく、自分の可能性に挑戦する。私は、長野オリンピックと長野パラリンピックを通して、もう一度、それを学びました。

    

 私たちには、みんな弱い部分がある。自分の弱さを否定するのではなく、自分や他者の弱さを哀れむのでもなく、他者の弱い部分をいたわり、自分の弱さを受け入れよう。

 私たちには、みんな可能性がある。自分の可能性を信じよう。他者の可能性を生かすチャンスを与えよう。

私たちが共に歩んでいくために。

    

*このホームページ「心理学総合案内こころの散歩道」では、パラリンピック終了後も、心理学全般を学び、人間の心の仕組みについて考えます。
 人間の弱さと強さ、人間の闇と光、人間の可能性について考えていきます。また筆者の所属が福祉心理学科ということもあり、福祉と心理の接点となるようなページも計画中です。

ぜひ一緒に、こころの散歩道を歩いてみませんか。

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