ドラマを通して学ぶ児童虐待、育児ノイローゼ、母子関係の心理
「心の散歩道」(心理学総合案内)/「心療内科医・涼子」から学ぶ心理学/ 10

子供を投げる母
児童虐待・母子関係・親子の愛・育児ノイローゼ

第10回 最終回 97.12.15


「今からだってやり直せる」
 「あたし絶対にあきらめない」

「あなただって戦っているじゃない」 「もう憎みたくない。私も人を愛したい」

「愛せるよ。絶対。」


ゲスト・クライエント:田中律子


心の問題
:育児ノイローゼ,母子関係

用語解説

児童虐待,過換気症候群,


あらすじ

 涼子(室井滋)達の病院に、赤ん坊が置き去りにされていた。夜になり、酔っぱらって戻ってきた母親は、元・子役モデルの清水麻美(田中律子)だった。昼間、皮膚科の外来に来て、そのまま置いていってしまったのだ。

 母親の手に抱かれた赤ん坊(マヤ)は、泣き出した。いらいらして怒鳴りつける麻美の首筋に発疹が広がっていった。

 マヤを邪魔にする麻美のことを、涼子は何とか心療内科で治療したいと考える。親に捨てられた自分自身の体験が重なってか、涼子は、いつも以上に懸命だ。ところが、麻美と一緒に乗ったエレベーターが停電で止まってしまう。暗闇の中、暗闇恐怖症の涼子は発作を起こしてしまう。

 涼子の発作を見て、事情を知らされた麻美は、「そんな人に他人の病気治せるわけない。自分の病気治しなさいよ!」とたたきつけるよう言い放ち、出ていってしまった。

 だが、帰宅した麻美は、夫にも協力してもらえず、子供を世話する気持ちになれなかった。取り乱した麻美は、雨の中マヤを抱き、再び病院に現れた。一緒に入院させてほしいという。麻美もやっと治療しようという気持ちになれたのだ。

 医局長の杉本(寺脇康文)が担当になり、カウンセリングが始まった。麻美は両親が離婚後の3歳の時から、母親がマネージャーとなり、モデルを始めた。母親は、麻美に厳しく、麻美は母親から全く愛されていないと感じていた。

 涼子は、麻美の母親の則子(絵沢萠子)も一緒にカウンセリングを行いたいと考えた。則子は麻美への不満を言いながらも、本心の一部もかいま見せる。だが、カウンセリングには協力できないと言う。母の言葉の一部分だけを聞いた麻美は、絶望し、自殺しようとする。

 何とか自殺をくい止めたが、事態は進展しない。涼子は最後の手段として「逆カウンセリング」を思いつく。暗闇の中、麻美がカウンセラー役、涼子が患者役になると言う。母の愛を知らない自分が、その問題と戦う姿を見せることで、麻美にも希望を持たせようと言うのだ。

 医局スタッフの反対を押し切り、逆カウンセリングが始まった。 杉本と飯島(河相我聞)が見守る中で、涼子は「ちえこ」を悲しみのあまり想像の中で作り出したと告白する。「あなたの中には、憎しみが詰まっている!」と激しくののしる麻美。だが、涼子は「あたしだって、誰かを愛したい。あいされている実感がほしい!」と本心を語る。

 涼子の戦う姿が、麻美の心に伝わっていく。「もう憎みたくない。私も人を愛したい」と、麻美も心の奥底の本当の気持ちを語るのだった。涼子は言う。「愛せるよ。絶対。」

 一人になった涼子の前にちえこが現れる。「もう恐いのはおしまい。ちえこがついててあげるから」そう言うと、ちえこは光となって涼子と一つになっていく。涼子の心に深い安心感が広がるのだった。

 婦長(萬田久子)のはからいで涼子の慰労会が始まった。だが、そのとたん、患者の問題で、ナースがかけ込んできた。涼子は白衣を脱ぎ捨て、部屋を飛び出していく。暴走特急・涼子は、ますます元気いっぱいだ。


このセリフ・この場面

「本人にその意志がなかったら、」

 医師が見て治療の必要があると思っても、本人に治療の意志がなければ、無理に治療するわけにはいきません。身体の病気でもそうですが、心の病の場合は、なおさら問題が複雑です。いままで、登場したゲストクライエントのほとんどは、自分が心の病であるとは思っていませんでした。

 ただ、登場してきたような心身症や神経症の場合は、冷静になれば、自分が他の人とは違う、あるいは元気なときの自分とは違うことはわかります。


「愛していないし、じゃまだ。」

 子供がストレスの元になっていたのは、事実でしょう。でも、本当は愛しているのに、そして少なくても心の葛藤は感じているはずなのに、自分自身の気持ちに気づくことができず、素直に表現することができなかったのです。


感情的とも言えるほどの、涼子の熱心さ

 いつも一生懸命な涼子ですが、今回はまた特別です。それは、自分自身の心の問題とだぶっているからです。医局長の杉本は、涼子を担当にせず、自分が受け持ちますが、当然のことでしょう。


涼子の病気と身の上の説明

 麻美の前で発作を起こしてしまった涼子。杉本は、事情を麻美に説明します。現実的には、まず考えられない行動です。ドラマの進行上の都合でしょうか。それとも杉本は、この後の麻美の治療のことを考えて、あえて話をしたのでしょうか。


涼子の激しい落ち込み

 暴走特急だけに、行き詰まったときにはいつも落ち込む涼子。でも、今回の落ち込み方は、いつもよりずっと激しいものです(最終回だから?)。それだけ、今回のケースは彼女にとって困難なケースなのでしょう。


夫の無協力

 麻美が困っていることは、夫にもわかるはずですが、少しも協力しようとはしません。家族の中で、誰かが困っていたり、行きすぎたりしたときに、他の家族が援助することができれば、問題は大きくならずに済むのですが。


「母親になる自信がなかった」

 子供が生まれれば、自動的に母親らしくなるわけではありません。妊娠から、出産、育児の過程を通して、子供とのやりとりの中で、少しずつ母親らしくなっていきます。

 妊娠を知ったとき、出産の時、「喜び」を感じられることが大切です。子供にとっても、みんなに望まれて生まれることができれば、どんなに良いでしょう。


「おまえ、そういうとこ、お母さんそっくりだな」

 言っている内容は、間違っていませんが、夫の言葉としてはあまりにも愛がありません。そんな言い方をしても、麻美の態度が変わるわけではありませんし、二人の人間関係が改善されるわけではありません。必要なのは、イヤミや非難ではなくて、愛と理解と援助です。


「これが病気だったら治したい。この子を幸せにしたい」

 自分自身の問題に気づくことが、問題解決の第一歩です。たとえば、アルコール依存症の人達の多くは、自分が病気だとは思っていません。でも、これは単純な自分の努力だけでは治らない病であり、治療が必要なこと、治療が可能であることを知って、医療への意欲を持つ必要があります。

 人間、自分のことが一番かわいいと言いますが、不思議なもので、一人の時にはがんばれなくても、誰か大切な人のためにと思えるとがんばれるときがあります。


「ここに捨てていくよ」
「こんなダメな子はいらない」
「わたしの子じゃない」

 麻美が母親から言われてきた言葉です。このような言葉は、子供の基本的な存在の不安をかき立てるものです。使わない方がよい言葉だと思います。


「やる前にあきらめていたら、何も進展しないからね。」

 その通りです。
うつ状態の人と健康な人とを比較した心理学的研究があります。それによると、うつの人が特別に現実よりも悲観的なものの味見方をしていると言うよりも、健康的な人が現実よりも楽観的な見方をしていることがわかりました。

 今日一日生きれば、確実に一日死に近づいたことになりますが、私たちは普通その現実を意識しません。明日には、どんな悪いことが起こるかわからないのですが、そんなふうには考えず、明日はきっと良いことがあると思えるからこそ、元気が出せるのです。
 「明日は今日よりすばらしい」(誰かの言葉)
 「希望は失望に終わらない」(聖書の言葉)


「わたし、あなたがちゃんと子供を愛せる人だと思う」

 一見、母親失格の麻美ですが、心の底では子供を愛していました。子供を愛する行動をとっていました。そのことに自分では気づかなかったのですが、涼子に指摘され、少しずつ気づきます。

「そんなことない、あなたちゃんと赤ちゃんを取り戻しに来たでょ。」
「雨の中、自分がびしょぬれになっても、子供が濡れないようにしてきたでしょ。」

 私が個人的に関わる人達の中にも、自分は本当にダメな人間だと思い込んでいる方々がいます。そんなとき、私も決してダメではない部分の行動を指摘することがあります。(私はカウンセラーではないので、本格的なカウンセリングをしているわけではありません。ただ、ちょっとおしゃべりしているだけです。)

「人に相談するのは、弱さのあらわれではありません。強さの現れです。」
「私にメールを下さったのは、メールの内容がどんなに悲観的なものであれ、「元気になりたい」というあなたの心の叫びです。」
「AもBもCもできなかったとおっしゃいますが、CやDはできているでしょ。」


「子供を虚栄心の道具にして、」

 子供への基本的態度は、無条件の愛が大切です。勉強ができるから、良い子だから愛するのではない。その子供自体を無条件で愛することです。そして愛するがゆえに、しつけをすることもあるでしょう。

 子供への無関心は困ります。世間体のために子供をしつけるのも困ります。虚栄心のために、子供に期待をかけすぎるのも困ります。一見、かわいがっているように見えても、子供を「ペット化」するのは困ります。


「裏切り? 自分の人生を選びとっただけでしょ。」

 子供は親の持ち物ではありません。子供でも自分の人生は自分で選びとるものです。


「それがあの子の幸せだと思った。」

 ほとんどの親たちは、子供を愛しています。良かれと思っていやっています。でも、子供の人生はその子自身の人生です。

私にも良くわからないのですが、たぶん、たっぷりとを注ぎ、そして自律した人間になれるように支えることが、親の役目だと思います。

第4話の解説に書いたレオ・レオニ 『せかいいちおおきなうち―りこうになったかたつむりのはなし』 の話も参考にして下さい。

・私の研究テーマである「内発的動機づけ(賞罰によらない自発的なやる気)」の研究でも、内発的動機づけを高めるためには、大切な人から受け入れられることと、自律を支援する環境が大切だと言われています。 (私の研究にご関心を持って下さる方は、仕事部屋をご訪問下さい。)


「正しい育て方、正しい愛し方なんて、わからないじゃない。」
「どこかで間違いに気づいても、もう戻れないときもある。」

 親を責めるのは簡単ですが、その親もまた苦しんでいるのです。子供を愛していないわけではないのです。

 「戻る」ことがとても難しいこともあるでしょう。でも、できないことではありません。本当は、遅すぎることなんて、ないのです。ドラマの世界で、この後、麻子と母の則子の関係は、きっと修復されるでしょう。

 ところで、ドラマでは、短時間で則子は子供を愛しているという本心をさらけ出すことができましたが、実際はこんなに簡単には行かないでしょう。


「ひどくたたいたこともある。すっとして、ざまあ見ろと思った。」

 ひどいことをしてしまって、しかも快感まで感じてしまう。そして、激しく自分を責め、落ち込みます。でも、人間は誰でもそんな一面を持っているのです。あなたの心ももっと元気になって、健康を取り戻せば、そんなことをしないようになれるのです。


「あんな母親にはならないだけの自信はあったのに、」

 親を憎み、嫌っていながら、いつのまにかその親に似てくることはよくあることです。むしろ、親を受け入れることができたとき、親のクサリから逃れることができるのかもしれません。


「もう、傷は消せない!」

 そうですね。そうかもしれません。でも、傷は少しずつ治っていくものです。ある人達は、昔の傷ついた話をするとき、それをまるで昨日の出来事のようにありありと話します。

 「ああ、この人の傷は、まだ癒されていないんだな」と感じます。いまもまだ、その心の傷から、ドクドクと血が流れているようです。だれかが、その傷に触れたりしたら、叫び声をあげたいほど痛むのです。

 でも、あなたがどんなに傷ついていても、その傷は癒すことができます。だんだん、血が止まり、少しづつ傷跡も小さくなります。傷跡が、完全には消えないとしても、もうさわっても痛くない。「この、昔の傷跡はね、」って、ゆったっりとした気持ちで話せる日が、きっと来ます。


「親からのチェーンを断ち切る」
「今からだってやり直せる」

 自分はこういうふうに育てられたから、だからだめなんだとか、こんなに傷つくことがあったから立ち直れないとか思っている人がいます。うん。辛かったね。悲しかったね。でも、あなたは立ち直れます。昔、心がとても傷ついたから、だからもう治らないと思っているのは、あなたの誤解です。


「あたしだって愛したい! 愛されている実感がほしい!」

 誰かに(自分にとって大切な人に)しっかりと愛されること。誰かを愛すること。これが、これが心の健康の基本です。

 涼子のすごいところは、この自分の弱さをはっきりと受けとめて、表現できたところです。私自身も含めて、これがなかなかできない。愛がほしくてたまらない人ほど、愛なんかいらないと強がってしまうのです。


「あたし、絶対にあきらめない!」

がんばれ!


「あなただって戦っているじゃない」
「これ(皮膚湿疹)、戦っている証拠なのよ!」

 子育てを放棄する方法だってあったでしょう。でも、麻子は子供が邪魔だと感じつつも、子供を愛し、子供の幸せを願っていたのです。だからこそ、苦しかった。だからこそ、身体にも症状が出たのです。

 今、何か心の問題を抱えて、このドラマを見たり、このページを見ているあなたへ。あなたも、そうやって戦っているのですね。外見は、しくしく泣いているかもしれないけれど、でも、心は戦おうとしているのですね。すごい、すごい!! あなたの戦っている姿に、敬意を表します。思いっきり泣くことだって、一つの戦いの武器です。その後は、少しすっきりするでしょ。

 人に悩みを聞いてもらうのも、あなたが弱いからじゃない。それも一つの戦いの方法なのです。もし、必要なら、勇気を持って、だれかの援助を求めて下さい。人に援助を求められるのは、自律した大人である証拠です。

 あなたもきっとよくなります。

 あなたもきっと元気になれます。


ちえこちゃんと涼子の融合

 涼子の心が作り出した「ちえこ」と涼子自身が光に包まれて一つになります。涼子の心のいやしを象徴的に表しています。

 あるテレビ番組雑誌によると、ちえこは、涼子のインナーチャイルドだという解説が載っていたそうですが(未確認)、私には、どういう意味かよくわかりません。インナーチャイルドに関しては、別のページで別の機会にお話ししたいと思います。

 いずれにせよ、私たちの心の中には、様々な思いがあります。楽しい思いも、悲しい思いもあるでしょう。それらを全てまとめあげ、肯定的に人生を統合する作業は、必要なことなのかもしれません。

それが、心の癒しなのでしょう。

*インナーチャイルドに関するページをアップしました。
インナーチャイルド、今のあなたの力で癒す

当サイト内の関連ページ
親子関係の心理:傷ついているあなたのために

ドラマにちょっと一言

 ドラマ自体としては、涼子の心の癒しの部分が、描き切れていないように感じました。ただ、「心療内科医・涼子」の最終回として、親子問題、「愛されたい」「愛したい」というのは、ふさわしいテーマだったと思います。

 エンディングで、第1回から最終回までの名場面が出てきました。私は、単にドラマをふりかえるという意味だけではなくて、この10回の連続ドラマ全体を通した、心のいやしへのメッセージを感じました。

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BOOK:『心療内科医 涼子』(ドラマから生まれた小説)
DVD:『心療内科医・涼子』DVD 1〜4(全話収録)
MUSIC:『心療内科医・涼子』の曲 (主題歌など)

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☆ ネ ッ ト で D V D レ ン タ ル ! ☆ T S U T A Y A  D I S C A S ☆

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・いつも来て下さり、本当にありがとうございます。ドラマはおわりましたが、このページ「心療内科医涼子から学ぶ心理学」は、まだしばらくの間、更新していきます。

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