秋葉原通り魔事件(秋葉原無差別殺傷事件)について、心理学から考える。
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犯罪心理学:心の闇と光

秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学

なぜ秋葉原が選ばれたか
「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」

2008.6.9(6.10加筆修正)
(このページは事件発生直後に書かれました。)


  

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いのちについて考える全ての人のために

2008.10.6 精神鑑定の結果、責任能力あり。
2009.6.6 秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学2:事件から1年
秋葉原殺傷事件の犯罪心理学3:犯罪被害者の心の傷と癒し

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事件の概要

2008年6月8日(日)午後12時半ごろ、歩行者天国でにぎわう秋葉原の電気街に、男が2トントラックで突入し歩行者をはねた。さらに車からおりた男は歩行者にナイフで襲い掛かり、7名が死亡、10名が怪我を負った。男は静岡県在住で派遣社員として働く25歳。その場で警官に取り押さえられ逮捕された。
容疑者男性は、「生活に疲れた」「誰でもよいから殺したかった」「殺すために秋葉原に来た」と供述している。

容疑者男性

容疑者男性は、地元青森でもトップクラスの進学高校に入学。高校時代は目立たない真面目な生徒だったようです(キレることもあったとと話す元生徒もいる)。高校卒業後は、自動車関係の短期大学へ進学しました。

短大卒業後、いくつかの非正規雇用の職業を転々とし、犯行時は派遣会社に登録しされて自動車工場で働いていました。職場での評判も良く、真面目、おとなしいといった評価です。暮らしていたマンションの住人たちも、まったく人間関係はなかったものの、おとなしく、普通の人に見えたと語っています。

実家の近所の人の話によれば、母親はPTA活動も行い、、一生懸命子育てをしていたということです。
両親は現在別居中、容疑者男性自身のネット上の書き込みによれば、「親が周りに自慢したいから(息子の自分を)完璧に仕上げた」「作文とかは全部親の検閲が入っていた」と語っています。

現在取調べ中ですが、犯行時寄っていたり、覚せい剤を使っていたりなどした形跡はないようです。取調べにも冷静に応じているということですが、彼の生い立ちなどに話が及ぶと、涙を流しているとのことです。ただし、犯行への反省はまだ聞かれないようです。

ネットの書き込み

容疑者男性は、犯行の数日前から、ネット上でこう書いています。
「勝ち組はみんな死んでしまえ」
「そしたら、日本には俺しか残らない あはは」
「俺が何か事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』っていうんだろ
「『いつかやると思ってた』 そんなコメントするやつがいたら、そいつは理解者だったのかもしれないな」
「親が書いた作文で賞を取り。親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。」
「親が周りに自慢したいから)完璧に仕上げたわけだ 俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入っていたっけ」
「中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた より優秀な弟に全力を注いでた」
「県内トップの進学校に入って、あとはずっとビリ 高校で手から8年、負けっぱなしの人生」
「友達ほしい」
「でもできない なんでかな」
「不細工だから 終了」
「彼女さえいればこんな惨めに生きなくていいのに
「彼女がいない それがすべての元凶」」
「作業所行ったらツナギが無かった 辞めろってか わかったよ」
「ツナギ発見したってメールきた 隠していたんだろうが」
「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり やっぱり人って大事だと思う」
「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし 難しいね」
「『誰でもよかった』 なんかわかる気がする」
「あ、住所不定無職になたのか ますます絶望的だ」
「やりたいこと・・・殺人  夢・・・ワイドショー独占」
「隣の椅子が開いているのに座らなかった女の人が、2つ隣が開いたら座った さすが嫌われ者の俺だ」
「そういうことされると、殺したくなる」

親子関係

彼は自分は親の操り人形だと思っているようです。
成績も、賞も、すべて親の力だったと言いたいようです。
普通は、小さい頃から親の良い子を演じてきても、思春期になって反抗し、親から離れます。
しかし、彼は親から離れられませんでした。
派手な犯行でなくても、もう少しスムーズに親から卒業していく人は多いのですが、彼はできませんでした。
彼は良い成績を取り、賞を取りましたが、自信や有能感、達成感は育ちませんでした。彼は、無力のままでした。
思春期になり、親の力が及ばなくなった時、彼は無力のまま学校社会、友達社会に放り出された気がしたと思います。
報道によれば、。「中学に入り、家庭内暴力があったようだ」と語る人もいます。(実際にあったかどうかは未確認)
上に書いたような思いを持った少年が家庭内暴力を起こすのは、典型的なパターンです。
家庭内暴力少年は、しばしば暴力を振るいながら叫びます。
「謝れー、謝れー、みんなお前が悪いんだー!!!」
お前がボクを自由にしてくれなかった、鍛えてくれなかったせいで、こんな弱いボクになってしまって、そのおかげで、学校で上手くいかないんだぞ、という意味の叫びです。
彼が本当に家庭内暴力を起こしていたとしたら、それは貴重な「サイン」でした。暴力は容認できませんが、彼の気持ちを受け止めて、適切な対応ができていたら、今回の犯行はなかったかもしれません。

勝ち組 負け組み

自分は負け組に入っているどころか、自分と比べれば、日本中が勝ち組で、自分だけが負け組みと思っていたようです。
ある心理学者は次のような意味のことを言っています(フロイトだったかな?(未確認)。「勝ち組」という言葉を使っているわけではありませんが)
”子どもを勝ち組にしたければ、子どもに愛されている実感を与えなさい。愛されていると実感している子は、人生に勝利していると感じ、そしてしばしば実際に勝利していきます”

彼女さえいれば

心が弱っている人が、しばしば言います。
自分も、頭さえよければ、やせてさえいれば、家がかねもちでさえあれば、あの学校にさえ入っていれば、自分が臭くさえなければ(神経症的な自己臭恐怖)、自分が醜くさえなければ(神経症的な醜形恐怖)、恋人さえいれば、などなど。
それが、自分の問題のすべての原因であり、それが解決されなければすべてが始まらないと思い込みます。建設的な努力ができません。すべてをその問題のせいにして、問題に直面することから逃げてしまうのです。
(そのような心理で仮に恋人ができたとしても、それは恋愛心理学からみれば、かえって不幸になる恋愛と言えるでしょう。)

「誰でもよかった」

近年の殺人事件で、よく聞くセリフになってしまいました。
今年3月に茨城県土浦市のJR荒川沖駅前で8人が殺傷された事件でも、逮捕された男性は、「人を殺したかった。誰でもよかった」と語っています。
同月発生したJR岡山駅でのホームから突き落とし殺人事件でも、加害者である18歳の少年は、「人を殺せば刑務所に行ける。誰でもよかった」と供述しています。

普通の殺人は、金銭目当てだったり、恨みが原因です。殺す相手は決まっています。
よほどの強い思いがなければ、殺人はできないはずです。

しかし、「誰でもよい」というのは、少なくても犯行時には金銭への欲もなく、激しく恨むほどの深い人間関係もなく、ただ社会全体を恨み、自分と自分が住む世界を終わりにしたいという思いなのかもしれません。

せめて、普通の欲を持ってくれれば、自分の保身も考え、複数殺人など簡単に起こさないのですが。
ネット上の書き込みを見ると、彼は以前の犯人の発言を意識しているようです。
「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし 難しいね」
人間関係が上手くいかない人は、人間関係の距離のとり方が上手くいきません。
近寄りすぎて、嫌われたり、絶望したらり、離れすぎてさびしさに負けたりします。
「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったり やっぱり人って大事だと思う」
この文章だけ、妙に素直で冷静です。彼も、理屈では別っていたのでしょうか・・・・・。

通り魔、連続殺人と大量殺人

道路上で、無差別に歩行者に危害を加える「通り魔事件」といっても、「連続殺人」と一度に大量の犠牲者を出す「大量殺人」は異なります。

連続殺人は、逮捕されないように巧みに犯罪を繰り返し、犯罪行為を楽しんでいるかのように見えます。

大量殺人は、最初から逃亡する気持ちはなく、多くの場合、今回のようにその場で(あるいはすぐ近くで)逮捕されるか、射殺されるか、自殺しています。
当サイト内の関連ページ
兵庫加古川7人殺害事件 大量殺人の犯罪心理
連続殺人と、大量殺人、通り魔事件 の犯罪心理 その心の傷
バージニア工科大学銃乱射事件の犯罪心理学
(被害者意識、歪んだ正義感、武器への傾倒など、今回の事件との一致点も多いように思えます。)
大阪児童殺傷事件の犯罪心理(池田小学校乱入殺傷事件)
(今回の事件と同じ日にちの出来事でした)
下関駅通り魔事件の犯罪心理
(車で突っ込み、その後、車から降りて刃物で殺傷する犯行形態は今回と同じです。もともと優秀だった人が、仕事で挫折してという点も似ています。)

大量殺人の心理

今回の容疑者が、なぜこんなことをしたのか。さらに取調べを待たなければならないでしょうが、

一般的な大量殺人者は、孤独と絶望感に押しつぶされた人と考えられます。彼らは、多くの場合優秀です。優秀ですが、学校や社会の中で上手くいきません。勉強はできても人間関係が苦手な人が多いようです。
優秀なのに、自分が思っているような成功を手に入れることができない。こんな思いの中で、彼らは、強い不公平感と被害者意識を持ち、社会への敵対心を高めます。自分が上手くいかないのは、自分が悪いのではなく、社会が悪いと思うのです。

そんな生活の中、彼らは暴力に魅力を感じ始めます。銃やナイフを集めたり、軍製品に興味を持ったり、体を鍛える人もいます。さらに彼らは、非常にゆがんだある種の正義感を持ちます。

世の中は間違っている、そのわからない連中に、自分が鉄拳を下す、天誅だといった意識です。
彼らは自分の人生に絶望し、同時に社会全体に絶望しています。大切に思う友人や家族や学校や職場があれば犯罪のプレー気になるのですが、彼らは自分の命もこの社会全体も終わりにしてしまいたいと考えます。
そして、今まで自分を認めなかった、馬鹿にしてきた社会に対して、「一発大逆転」を狙います。最期に見返してやると思うわけです。
本当なら、今上手くいかないのであれば、少しずつ改善していけば良いでしょう。しかし、彼らにはそんな自信もエネルギーもありません。コツコツ積み重ねるためには自分を信じる自信が必要です。彼らはしばしば0か100かという考え方をします。人生が上手くいかないとき、改善ではなく大爆発を起こしてしまうわけです。

今回の犯行へ向かって

中学校時代の容疑者男性に関する報道によれば、

彼は優秀で、明るく、何でも一生懸命で、テニス部に所属し、3年時の学園祭では合唱の指揮者を務めるなどリーダーシップを発揮し、学校行事にもスポーツにも積極的に取り組んでいたといいます。(指揮者は、おそらく当日の指揮だけではなく練習のリーダー役を務めたことでしょう。これはなかなか大変な役です。)
理想的な中学生としか思えないような情報しか、今のところ入ってきていません。そして彼は、県内有数の県立名門高校へ進学します。中学では成績も良く、生活上の評価も高かったからこその進学でしょう。
とてもたのしく充実した中学生活が想像されますが、高校へ入った後は、あまり活躍らしい活躍の話は報道されていません。成績も落ちていきます。真面目ではあっても、めだたない生徒といった評価です。
彼に何があったのかはわかりません。何かが起きたのかもしれません。あるいは、特別なことはなかったけれども、思春期の不安定な心理の中で迷い始めたのかもしれません。
あるいは、県内各中学校から優秀な生徒が集まる高校の中で、勉強や他の活動でも、以前のような目立った活躍ができず、挫折したのかもしれません。
現在(6.10)のところ、まだ不明です。
高校卒業後の進路選択の理由も、今のところわかりません。
満足した進路だったのでしょうか。あるいは不本意で挫折感を味わったことでしょうか。
(自動車は好きだったのかもしれませんが。)
犯行時勤めていた職場で、自分はリストラされると思い込んだのではないかとも思えます。
彼は、さらに絶望していったのでしょうか。
その後の報道によると、彼は家庭内でもかなりきびしい教育を受けていました。(さらに詳しくは、『誰でもいいから殺したかった! 追い詰められた青少年の心理』(ベスト新書)秋葉原無差別殺傷事件の犯罪心理学2:事件から1年)090608
***
詳細はまだわかりません。ただ「力」への傾倒は始まっていたようです。
報道によると、職場にいた元自衛隊員の男性に、4ヶ月前からたびたび「迷彩服は一般でも買えるのか」「自衛隊用品を買うにはどうしたらいいか」と尋ねたといいます。サバイバルゲームも趣味にしていたようです(ただし、もちろんサバイバルゲームを行なう人がみんな危険というわけではない)。
今回の事件で凶器に使われたナイフは、当初サバイバルナイフと伝えられましたが、その後の報道によると、サバイバルナイフとは異なり、武器として作られた「ダガーナイフ」でした。このダガーナイフは、日常的にも野外の道具としても使うサバイバルナイフに比べ、刃の切れ味は劣るが、突き刺して相手を殺傷する能力は優れているといいます
容疑者男性は、事件の2日前の6日、福井市内のミリタリーショップで凶器のダガーナイフ)などナイフ6本を購入していました。
彼もまた、多くの大量殺人者と同じように、社会へ怒りを向け、力と暴力を使ったゆがんだ方法で、失われた自信を取り戻そうとしていたのでしょうか。
***
小説や映画(「八つ墓村)の題材にもなっている「津山30人殺し事件(「八つ墓村」:悪いのはあいつらだ!)」や「バージニア工科大学銃乱射事件」の犯人は、村人やアメリカ人(白人)大学生が悪人であると感じ、自分の行為は正義であると主張し、兵士のような迷彩服や、鬼のような衣装、そして凶器を身に着けて、犯行に及んでいます。
校内で銃乱射事件を起こす少年は、次のようなタイプだといわれています。(今回の容疑者男性も同じようなタイプだったのでしょうか)
「頭も良く、一見ふつうの子だが、強い孤独感、疎外感を持ち、現状に不満を持つ。からかわれたり、いじめられたりすることに敏感で、世の中が不公平だと感じ怒りをもっている。落ち込むことでさらに判断力がゆがみ、人生は生きる価値がないと考え、自殺のかわりに他人を殺す。」
津山30人殺しの犯人は、次のような遺書を残しています。
「僕がこの書物を残すのは、自分が精神異常者ではなくて、前もって覚悟の死であることを世の人にみとめてもらいたいためである。〜復讐のために死するのである〜実際、弱いのにこりた。今度は強い人に生まれてこよう。〜実際僕は不幸な人生だった。今度は幸福に生まれてこよう。」

現代社会・格差社会?

このような事件は、格差社会が生んだ犯罪でしょうか。しかし、昔のような身分社会であれば、最初からしたの身分の人はあまり不平は持ちません。農民は苗字がないといって社会に怒らないわけです(みんなが疑問と反発心を持てば市民革命へと向かうでしょう)。
ところが、自由な社会で、誰にもで学ぶ自由と、職業の自由が与えられている、個性が尊重され君には無限の可能性が待っているといわれる社会の中で、しかい自分にはその可能性はないと思い込んでしまえば、激しく絶望し、社会をうらむことになります。
格差がないはずの社会で、実際には格差があると感じることで、様々な反社会的行動が生まれやすくなります。勉強や勤勉によって社会の成功がつかめないなら、非合法な方法を使ってでもほしいものを手に入れようと思ってしまうのです。
近年の格差社会という話題から見れば、卒業後安定した正規雇用の職場にいけなかったことは、彼の心の安定を損ねた一つの原因でしょう。(現在では、卒業後正規雇用されない青年は数多くいます。また、あるローカル中小企業の社長が言っていました。以前は、多くの地元青年を雇うと良い社長と言われたが、今はできるだけ人を減らすと良い社長といわれていまう。自分はもっと地元青年を雇いたいが難しくなってしまった。)

  

ネット犯行予告 表現としての犯罪 表現したがる若者たち

犯行目的は、金銭でもなく、個人的恨みでもなく、本人なりの正義感を持った社会への恨みと攻撃であるとすれば、犯行は一種の「表現」です。この犯行を通して、世の中に人間にわからせたいと願っています。
今回、容疑者は犯行現場へ向かいながら、ケイタイサイトで犯行予告を行っています。

「秋葉原で人を殺します。車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんな、さようなら

オレのすばらしい行為を見てくれと、まるでゲームの攻略法をあみ出した人が自慢しているようです。
「途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな」
といった表現は、これから大量殺人を考えている人間の言葉としては、軽すぎます。
しかし彼にとっては、殺人も一種のパフォーマンスだったのかもしれません。
彼はネットに書き込んでいます。
「やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占」
そのとおり、今日のワイドショーは、この事件で独占されました。
***
普通の悪事は、目立たないように行なわれます。しかし、彼の表現としての犯行は、目立ち、報道されなければ、意味がなかったのでしょう。
現代人(特に青年)は、みんな表現したがってるように思えます。それが、音楽活動や演劇活動になるなら大変結構です。
しかし、現代の子どもたちは、勉強ができる、スポーツができるといったことだけでは満足できません。「個性的」でなければならないと思っているようです。空気が読めて、楽しくて面白い、芸人さんのようなキャラクターです。
昔の人々は、地味な生活の中でも、誇りを持ち、幸福感を持っていたように思います。しかし、現代の迷える若者たちは、もっと目立ち、かっこよい生き方でなければ納得できません。
実際の活動で、スポットライトを受けられれば、一番良いでしょう。ネットで目立とうとするのも、その一つかもしれません。派手でなくても身近な人が認めてくれれば、満足もできるかもしれません。しかし、すべてが上手くいかない。努力することにも疲れたと思った人々は、表現としての不法行為を選んでしまうのでしょう。
数年前に話題になった「大暴れする成人」も同じように思えます。(成人式 新成人大暴れ !? の 心理
本当は、特別案ことをしなくても、みんな個性があり、価値がある人間なのですけれども。
***
上記の犯行当日以外にも、上に書いたように、彼は多くの書き込みをしています。
まるで遺書のようにも思えます。
犯行を決め、その特殊な心理の中で、人生を振り返っているようにも思います。
自分の気持ちをわかってほしいという、心の叫びが聞こえるような気がします。
彼の書き込み内容を入手して、
「俺が何か事件を起こしたら、みんな『まさかあいつが』っていうんだろ
「『いつかやると思ってた』 そんなコメントするやつがいたら、そいつは理解者だったのかもしれないな」

という文章を読んだ時、
私はしばらくその先の文章が読めなくなりました。
理解してもらえない。理解してほしい。彼の切ないまでの思いが、心に突き刺さりました。
自分も大学で学生に教え、中学校のスクールカウンセラーを務めるものとして、こんな思いの少年が他にもきっといるんだろう、自分はそれに気づき、わかろうとしているだろうかと、自分を責めるような思いにもなりました。
誰かが、誰でも、たった一人でも、彼の気持ちに寄り添うことができていたら、この犯行はなかったかもしれません。
*彼の周囲の人間が悪かったというつもりはありません。愛のある家族親戚、良い先生、きっといたはずです。しかし、彼はそれに気づかなかった。周囲は愛していても、その愛が届いていなかったのだと思います。
*容疑者男性を安易にかばうつもりはありません。心が傷ついてたからしょうがないなどという気も、まったくありません。ただ、パズルをつくる小さなピースが一つでもなかったら、こんなに大勢の被害者が出なくても済んだのではないかと思うのです。)
*彼の行為はまったく認めれません。彼の思いは私なりに感じる部分があります。ただ、彼は頭がよく、文章表現も巧みだと思いますが、心はとても幼いように思います。悪い意味で、少年のような心です。思春期の心のままです。彼が書いているような思いを、中高生が言うのならわかります。もし彼が中高生の時にこのような思いを吐露し、学校のガラスでも割ってくれていたら(そのような形でも心を表現してくれいたら)、こんなことにはならずに済んだかもしれないとも思います。

なぜ秋葉原が選ばれたか

通り魔大量殺人者は、繁華街や駅前など、人々が幸福そうにしているにぎやかな場所を選びます。
今回は、具体的な供述はまだないようです。ですから、なぜ秋葉原だったのかわからないのですが、「アキハバラ」と聞くと、こんなことを考えてしまいます。
○にぎわう歩行者天国 今や秋葉原はただの昔の電気街ではなく観光客やパフォーマーが集まる、大きな注目スポットです。大勢の人でにぎわう歩行者天国。それは、幸福の象徴だったのかもしれません。また社会の注目の象徴だったのかもしれません。
○先進の街 秋葉原に来れば、パソコンや先進のIT機器があります。秋葉原は世の中の先頭の象徴だったかもしれません。
○オタクの街 秋葉原は今やオタクの聖地として、海外からの観光客も大勢来ます。風変わりなオタクたち。秋葉原は、自由と柔軟性の象徴だったかもしれません。
彼は、社会を憎んでいました。自分は幸福でもなく、注目もされず、先進的でもなく、自由でもない、そんな思いを持った彼が、自分とは正反対の現代社会の成功象徴として選んだのが、秋葉原だったのかもしれません。
☆その後の報道によれば、彼はネット上で自分を無視した人間たちに、「俺はここにいる」ということを示すために、ネットの人々にとって一番インパクトのある秋葉原で事件を起こしたと語っています。
***
ところで、実は私は犯行が起きた日の午後3時ごろ、秋葉原にいました。犯行現場とは駅の反対側の巨大店舗の中にいました。駅も、お店も、いつもどおりのにぎやかな日曜日でした。エネルギーにあふれていました。

ほんの200メートル先ではこんなことが起きているのに、秋葉原は何事もなかったように動いていました。私はそのとき、事件発生に気づいていませんでした。夕方変えるころになってニュースではじめて知ったのです。

大事件と普段どおりの繁栄。なんだか、現代社会の一面を見たような思いでした。

犯罪を防ぐために

今回の犠牲者の皆さん、ご家族の皆さん、どれほど無念であり、お辛いことでしょう。ご冥福とご回復を祈るばかりです。
こんな犯罪が二度と起こらないためには、どうしたら良いでしょうか。
普通の防犯であれば、鍵をかけたり、街頭を付けたりといったことをするでしょう。でも、こんな犯罪に対してはどんな防犯をしたらよいのか、わからなくなってしまいます。
重い刑罰を与えるにしても、本人が最初から死ぬ気であれば、あまり効果はないでしょう。
もちろん、法の整備や環境整備は必要です。しかし、こんな犯罪を前にすると、気が長いようですが、それでもやはり、家庭や地域の力をアップすることが必要だと感じます。
現代社会は、愛が伝わりにくい社会です。スキンシップも減り、物はあふれ、その中で、愛されていない不安、見捨てられる不安を持った子どもや青年が増えているのではないでしょうか。
何かすばらしいことをしなければダメだと思い込んでいる青年たちに、愛されている実感を与えられればと思います。
彼は、犯行予告の中で語っています。
「「いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される」
無理して良い子を演じなくて済んでいれば、この犯行はなかったでしょう。

「大人には評判の良い子だった 大人には」
「友達は、できないよね」
大人には評判はよくても、良い友達はいなかったのでしょうか。多くの思春期青年期の若者は、親や社会に反発します。そんな時助けてくれるのが、友達です。互いに愚痴をこぼし、共感しあうことで、思春期の危機を乗り越えます。彼にもそんな友達がいれば、犯行はなかったかもしれません。
彼は語ります。
「誰にも理解されない 理解しようとされない」
理解してくれる人がいない。理解しようとししてくれる人すらいないと、彼は思い込みます。たった一人でも理解しようとする人がいれば、結果は変わっていたでしょう。
今、彼のように思っている予備軍の人たちは、少なからずいるように思います。
彼は最後に、「時間です」と語り、犯行に及びました。
予備軍の人々には、まだ時間があります。
「時間だ」と彼らが思ってしまう前に、誰かの一声があれば、時間はさらに先に延びるかもしれない。彼らの人生も変わるのかもしれません。



 


 

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家族心理学01不幸を背負わないで(機能不全家族)
インターネット心理学(より良いネットコミュニケーションのために)

「心理学総合案内・こころの散歩道」から6冊の本ができました。
2008年9月緊急発行
碓井真史著『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』
誰でもいいから殺したかった! 追い詰められた青少年の心理』 
2008年8月発行
碓井真史著『嘘の正しい使い方:ホンネとタテマエを自在に操る心理法則』
人間関係が上手くいく嘘の正しい使い方ホンネとタテマエを自在に操る心理法則
2000年

なぜ少年は犯罪に走ったのか
2001年
「ふつうの家庭から生まれる犯罪者」
ふつうの家庭から生まれる犯罪者
2000年

なぜ少女は逃げなかったのか続出する特異事件の心理学
「誰でもいいから殺したかった青年は、誰でもいいから愛してほしかったのかもしれない。」
☆愛される親になるための処方箋 本書について(目次等)
『ブクログ』書評「〜この逆説的かつ現実的な取り上げ方が非常に面白い。」
・追い詰めない叱り方。上手な愛の伝え方 本書について(目次等)
bk1書評「本書は,犯罪に走った子ども達の内面に迫り,心理学的観点で綴っていること,しかも冷静に分析している点で異色であり,注目に値する。」  本書について 「あなたは、子どもを体当たりで愛していますか?力いっぱい、抱きしめていますか?」 本書について 「少女は逃げなかったのではなく、逃げられなかった。それでも少女は勇気と希望を失わなかった。」 本書について


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