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私の東日本大震災:亡くした友と避難所ボランティア体験

ある女子学生の手記

2011.5.9

Yahooニュース個人「碓井真史の心理学でお散歩」 「ふくしまと共に歩むために2013.3.8


 

プロローグ

私は家路に着く際にいつも「今日のご飯はなんだろうなあ」と思いながら自転車のペダルをこぐのだ。学校に2時間かけて通う身、いつも家に着く順番は私が最後であり、それを今か今かと待ち構える家族とともに夕食にありつくのだ。4年前ではできなかったこと。そう、私は数日前に東北地方の大学から一人暮らしを終え新潟の実家に帰っていた。それがどんなにこの後の運命を決めたか知る由もなしに。

あの日、3月11日

 3月11日を、私は一生忘れないだろう。けたたましくなった緊急地震速報。体が大きく揺れ、よたよたしながらテレビをつけた。直後、津波の衝撃的な映像が目に飛び込んできた。
日本とは思えない光景に、私の体の細胞ひとつひとつが叫び声をあげていた。
「友人がいる!」
そう、4年間苦楽を共にした友人たちは皆東北出身、そして大学も東北なのだ。急いで携帯を手に取り連絡を試みるも、混雑しているという無情なアナウンスが耳を突き抜けていった。
体がむずむずし、ただただテレビの情報を頼りに友人たちの無事を祈るしかなかった。しかし、その願いをいとも簡単にナイフで突き刺すように「津波」「原子力発電」という言葉がアナウンサーから聞こえる。眩暈がした。すべて、すべてがどの友人にも当てはまる区域だからだ

携帯の向こうの地獄絵図

 連絡がとれるようになったのは、数時間なのか、数十分なのか…異世界に放り込まれていた感覚から強制的にひっぱりだされるように携帯から着信音が鳴った。
 
「もしもし!?」するとすぐ向こうで知った声が聞こえた。
「津波がくるらしい。橋が地震で壊れ身動きがとれない…。逃げようにも車が渋滞しておりどうしようもない。地獄絵図のようだ」
その声の後ろで悲鳴や雑音が耳を駆け抜けた。
生と死。それが目の前に突きつけられたのだ。
今、目の前に。
 
 その後の詳しいことは、とても頭がぼんやりしていてうまく文章にできない。その後連絡がとれるようになった友人と、依然としてとれなかった友人がいる。その事実だけである。
被災地福島から:友人たちのの声

避難所ボランティアのスタート

数日後、私は新潟県内のとある体育館に足を運んだ。市に問い合わせ、ボランティア希望の旨を伝えたところ、家から自転車で通えるこの体育館に配属が決まった。
避難されてきたのは被災された東北の方200人程だった。
最初体育館内に足を踏み入れたとき、館内にいる避難されている方が「誰だ?」とでもいうかのように見つめてきたのが印象的だった。いや、もしかしたら見つめただけであってもはや関心さえなかったのかもしれない。
というのも、避難先であると公表されているため市民が善意で直接救援物資を届けてくれたり、業者の方が食事を運んでくださったり、市内の中学生が訪問してきたりと人の往来が多かったのである。


 


避難所の生活

こ本部で挨拶するとさっそく仕事にとりかかった。掃除、食事の運搬、支援物資の配給や分別、送られてくる新聞紙を並べたり、地元の情報が載ったインターネットのページを館内の見えるところ数か所に貼りつけたり。インターネットは2台ほどあったのだが全員が使用できるわけではなく、情報はほぼ館内にある一台のテレビのみであった。
一日中体育館にいるのかといえば、そうではない。日ごとに様々な行事が予定をされていた。散髪、運動レクリエーション、ギターの演奏、整体、足湯などどの行事も多くの方が参加して「ああ気持ち良かった、さっぱりした」と明るい顔でおっしゃってくださった。毎日温泉施設に一度時間を分けてグループごとにいくのだが、つるつるのお肌の方々を見るたびにこちらも明るく「おかえりなさい」とお出迎えできた。
***
だが、そうといって毎日満足できているかといえば答えは違う。答えの出ない原発、毎日行事があるといえどもそれだけですべて心のリフレッシュができているわけではない。生活している場所はあくまで体育館であるから、厚めの段ボールの上に布団を敷くだけの居住スペース。プライバシーなど一切なく卓球で使われるボードのみの区切りのみなので、周りから丸見えである。

ボランティアとして・・・

 ボランティアの初日に担当者の方に言われたことがある。
「もし暇されてる方がいらっしゃったら、話しかけてみてお話し相手になってあげてください」
そしていざ、杖をつかれてる方に
「お手伝いしましょうか」と言うと
「いい、いい。そんな何べんも言わんでいい」と一言つぶやいて自分の力でお手洗いに行かれた。
私よりも早くこの体育館でボランティアをしている方に何回もそのことを言われて、疲れているご様子だった。
そのほかも、館内を一周していたが、おばあさん二人が話をされていて、私を見つけたのか
「新しいボランティアさんかしら」
「…でも、ここはボランティアのための施設じゃないのにね」とつぶやかれたのが胸を突いた。
話相手をする方がいないか、館内にいる方をなめまわすような目線がそのようなことを言わせてしまったのではないかと、とても恥ずかしくなった。

けんか

 喧嘩だってある。毎朝はコンビニのおにぎりを一人2つと決まっているのだが、その味のことで揉めている場面にあった。鮭、ツナマヨ、梅と3種類で大人気は鮭のおにぎり。お年寄りが多いこの避難所ではやはりたくさんのかたが鮭のおにぎりを取っていく。
子どもがいる家庭ではやはり目の前ですべて鮭のおにぎりが無くなって、前に2つ鮭おにぎりをとった方に注意したり(喧嘩ではなくその場で1つ渡されたのだが)、その時々によってちょっとしたトラブルが起きやすい。
夜はお弁当になるのだが、バーコードに誤った賞味期限(そのお弁当を渡した前日の日付がプリントされていた。業者の手違いで実際賞味期限はその日当日であった)が記されており、騒動になった。

避難所から去る者、残る者

 また、ある日一つの家族が避難所を後にすることが決まり、お別れを言いにきた。
「家に帰る」その言葉に避難所の方々は食いついた。
「なぜ?」「どうして?」「大丈夫なの?」それを大丈夫大丈夫、とその方は笑って避難所を去った。
残された方々は、とても複雑な顔をされていた。自分たちだって帰りたい、そんな気持ちと、でも帰れないという相反する気持ちが葛藤している、そう感じさせる雰囲気だった。

実家福島・家族の葛藤

 また、似たようなことは私のかなり身近にも起きていた。
祖母は福島県在住で、叔母家族も一緒に住んでいたが、震災の後叔母の姉(私の母の妹にあたる)の家に避難していた。そこで祖母は「何が何でも帰る。一人でも帰ってやる」と母の話もろくに聞かない日々が続いた。
どんな車でも自由自在に運転してしまう(昔長距離トラックの運転手をしていた)ため、車を使わせないように祖母の車は家に置いてきて、ほかの車のカギを各自離さないようにしていたほどだ。
「どうしてわかってくれないの?私らはあなたの娘で、心配だから言ってるんだよ?」
泣きながらしゃべる母の背中は、私が見れるものではなかった。数日後、耐えられなくなったのか祖母と叔母は二人で地元に戻った。

目に見えない恐怖

 今回本当に厄介なのは、「目に見えない恐怖」だと思う。目に見えないから「こわい」、目に見えないから「もはや怖がったってどうしようもない」。考え方一つで行動が変わり、その行動で回りが刺激される。

避難所ボランティアで感じたこと、そしてこれから

 避難所にいた期間、動き回って感じたこと。
言葉一つで片づけられないのだが、「みんな同じ人間であること」・・・・こう言うと「いやあたりまえじゃないか!」と思われるかもしれないが、私たちは一人一人感情をもって生きている。怒り、悲しみ、喜びなどその表現を日々の生活のどこかで発散しているのだ。
私たちには家があり、その家でストレスをぶつけることだってできるし(たとえば母親に愚痴を聞いてもらう、食べて発散、寝てしまってなかったことにする、など)趣味でその感情を表現したりもできる。
避難されてきた方だって、そうしてきたはずだ。でも今はどうだろう?プライバシーのかけらもない、無機質な体育館。目に見えない恐怖と進展しない現状。周りは他の人であふれ、食べ物も支給されるお弁当。
自分たちはここに住み毎日同じサイクルなのに、職員はそこが「職場」になり帰る「家」がある。まざまざと見せつけられる現実は、避難所の方にとって大きなストレス要因だったに違いないと思う。どうしようもない気持ちが、体育館のあちこちに見られた、そんなボランティアの日々だった。

 早く、南相馬市の方々が自分の家に帰って「今日のご飯は何かな」と夕焼けの空でポツリとつぶやけますように…そう願わない日はない。 Tweet

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